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龍門と遠志(オンジ) イトヒメハギ

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。

龍門と遠志(オンジ) イトヒメハギ

2016/06/28

中国では、華北平原の中心地を中原と呼びます。黄河の中流域に開けた大平野。車で1000km程度走っても山地はほとんどなく、見渡すかぎりの畑、畑、畑です。中原は、黄河が運んだ肥沃な土、大河の恩恵を受ける穀倉地帯です。土地の生産性が高いゆえに、覇権を競う兵家がつねに争う場所だったのです。ここは三国志の兵たちの舞台でもありました。
今回の旅はこの中原を中心に、黄河流域の植物を見て回りました。東アジア植物記はしばらく中国の植物を紹介していきます。

洛陽の都に通じる関所があった河南省龍門。黄河の支流である伊水が流れています。その両岸には、西暦495年から魏、斉、隋、唐、宋と各々の王朝が、気の遠くなる歳月をかけ造営をした仏教遺跡群があります。その数、2345箇所の石窟、10万体を超える仏像があります。

石窟や仏像の大きさは大小さまざま。2cm程度の小さなものから、見上げるような巨大な仏までが岩に彫られています。万年の時代を生きる岩の仏も、永遠ではありません。時の権力者による廃仏毀釈で破壊されたもの、自然の風化に身を任せる石仏、皆、社会や自然の移ろいに身を置いています。

石窟の中に彫られた薬方堂です。鎮座する仏様の中でも薬師如来は多くの人の信仰を集めます。現世は四苦八苦の世界。仏教では生、病、老、死を四苦と言います。いわゆる四苦八苦です。四苦を安らかに過ごすために、「薬」にすがる人々の気持ちは理解できます。この祠(ほこら)には、野山に生える薬草の処方が示されていました。そして、この周りの岩の裂け目などに遠志(オンジ)が花を咲かせているのでした。

遠志とは、遠く(久しく)志を保つという意味で、『本草綱目』という古代の薬学書において、「其効功専於強志益精」と書かれています。その功はもっぱら精神と志を強くすると理解されます。また無毒で、神経衰弱や健忘症にもよいとされ、生命を養う養生薬に使う「上薬」とされます。

中国名の遠志とはイトヒメハギPolygala tenuifoliaヒメハギ科ポリガラ属のことです。属名のPolygalaとは、乳牛の乳の量を増やすという意味をもち、tenuifoliaとは葉が細いことを表します。細かく切れ込んだ、清々しいライトブルーの花を咲かせるきれいな花なのですが、あまりにも小さな花を咲かせる小さな草なのです。イトヒメハギは、中国の華北や東北地方の乾燥した原野に生える植物です。荒野に生える植物は、小さな上部構造に似合わない大きな地下構造を持ち、頑強に生きます。中医薬の遠志はこのイトヒメハギの地下茎を乾燥させたものです。

さて、世界遺産、龍門最大のクライマックスは奉先寺洞です。盧舎那仏が、弟子と金剛力士、四天王、文殊菩薩、普賢菩薩を従えます。その威容とデザインの斬新さは、見事というほかありません。このご本尊は東大寺大仏のモデルといわれます。

武力で権力を握った人たちも不老不死ではありませんでした。時の皇帝が造営を命じた龍門石仏たちは、権力の誇示だったのでしょうか。自らの極楽浄土行きを祈ったのでしょうか。それとも、権力の犠牲になった人たちの菩提を弔うためだったのでしょうか。それはわかりません。しかし、重機のない時代に、この石仏たちを作るためにどれだけの人々が過酷な労働を強いられたかは想像がつきます。

きつい労働による、体力の消耗、気力の落ち込み、精神的塞ぎ込みの処方に、この遠志、トヒメハギPolygala tenuifoliaヒメハギ科ポリガラ属の地下茎が用いられたのでしょう。龍門石窟の堅い橄欖(かんらん)岩の上には、ほとんどの植物は生えることができません。しかし、遠志は岩の隙間にへばりつくように花を咲かせていました。イトヒメハギは龍門の点景です。遠い昔に石窟を作り続けた人々の志を、支えてきただろうこの植物は、イトヒメハギとか、Polygala tenuifoliaとかの呼称より、遠志の名前がふさわしいと思います。

次回は神々しく美しい松の話「神農の山(白松)」を取り上げる予定です。お楽しみに。

JADMA

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