今回登場する植物は、特別な手入れをしなくても、不平を言わず毎年咲いてくるアヤメの仲間です。明るい場所でも木漏れ日程度の場所でも苦にする様子がなく、あまりに丈夫なので邪魔者にされる場合もあります。それでも、花をよく見ると色の配置がすてきで、とってもきれい。それが、シャガです。園芸ファンのみならず、よく知られたシャガですが、そのいわれは不明なことが多く、不可解な植物でもあります。
シャガ
シャガIris japonica(アイリス ジャポニカ)アヤメ科アヤメ属。属名のIrisとは、ギリシャ神話の女神イリスにちなみます。種形容語のjaponicaは、「日本産」を意味しています。この学名を付けたのは、あのCarl von Linné(カール・フォン・リンネ、1707~1778)の使徒とされるスウェーデンの植物学者Carl Peter Thunberg(カール・ピーター・ツンベルク、1743~1828)です。彼は日本滞在中に、このアヤメをIris japonicaと命名しました。
日本の人里やその谷あいなど、人の手が入った場所に群落を作るシャガです。ツンベルクが「日本のアヤメ」と思ったのは無理もありません。ところが、日本に生えるこの植物は、種子を付けない三倍体植物なのです。生物学的に、私も皆さまも染色体を2セットもっている二倍体です。二倍体は、生殖の時に2本の染色体が分かれて1セットになります。受精すると(1+1)で二倍体に戻り生殖が完了します。動物では聞いたことがありませんが、植物では、二倍体の染色体が倍に増えて四倍体になる突然変異が起こることがあります。
四倍体同士で種子を付けると生殖のときに染色体は、二つに分かれ(2+2)=で四倍体の子孫ができます。四倍体と二倍体が交雑すると、その子孫は(2+1)=三倍体になるわけです。染色体の増加は通常、環境耐性の向上につながることが多く、草勢が強く、丈夫になることが多いのです。ところが、三倍体は、染色体が二つに分かれられず生殖不能となり、子孫を残せません。日本のシャガは、北海道以外で見られるのですが、どの花もはんこで押したように同じ顔をしています。それは有性繁殖ではなく、栄養繁殖したクローンの証しです。シャガは、根茎が増えることによって増殖するのです。
種子ができる二倍体のご先祖様がいないと三倍体に変異した後代は現れません。シャガは、日本において二倍体が見つかっていないので、三倍体の個体が国外から日本に持ち込まれたと考えられます。それは、ヒガンバナの例と同じです。このシャガは、とても古い時代に持ち込まれたといわれていますが、どの時代に誰がどのように持ち込んだのか、分からないのです。
種子を付けて子孫を残し、多様性を持つシャガは、中国の雲南省、広西チワン族自治区、四川省、広東省などの湿った草原や林縁に生息しています。中国のシャガは、日本のシャガと色合いなどがちょっと違います。シャガの学名はIris japonicaですが、日本産ではなく、中国の長江以南からミャンマーに至る広域に原生していました。このように学名は、時として間違った見識で命名されるのでした。それでも一度付けられた学名は、基本的に変更できないのです。
シャガの花は、外花被と内花被がそれぞれ3枚あり、合計6枚です。外側に位置する3枚が、外花被で白地にムラサキとオレンジ色の斑紋を持ち、縁にはフリルがあります。内側にある3枚が内花被で模様はなく、細長く先端が二つに分かれます。そして、一番内側に三つの花柱があります。上の写真、左は日本に生える三倍体のシャガ、中央と右が中国で見かけたシャガの花です。中国には、種子を付けるシャガがあるので、有性生殖してさまざまな形質が現れるのです。
ヒオウギ
シャガは、漢字で「射干」と表記されます。中国語で「射干」は、「Shègān(シゥー ガァン)」と発音されますので、シャガという和名は、中国名の転用と理解できます。ところがです。中国語での「射干」は、ヒオウギの根茎から作る生薬のことを指し、ヒオウギIris domestica(アイリス ドメスティカ)アヤメ科アヤメ属を表す名前でもあります。和名のシャガという名前のいわれ自体に、問題があるような気がします。
中国のシャガ
原生地である中国でシャガは、「蝴蝶花(こちょうか)」と呼ばれています。雲南省で見かけたシャガは、日本より1カ月ほど早く咲いていました。そして、5月から種子を付けるそうです。シャガは常緑の宿根草ですが、冬に休眠し、春に新芽を出します。原産地では、その柔らかい茎と葉を摘んで食用にするそうですが、一般にアヤメ科は有毒です。日本では、絶対に食用としてはいけません。
さて、内モンゴル自治区の乾燥した枯れ谷で見かけた、シャガに似た植物の紹介です。季節は6月下旬、草丈は100cm、花被の大きさは6cm程度ありました。花被は、山猫の文様ような渋い色彩です。
この植物の名前は、長い間不明でした。専門家から、白射干(ハクシャカン)Iris dichotoma(アイリス ダイコトーマ)アヤメ科アヤメ属との教示を得たのですが、腑(ふ)に落ちません。Iris sp.(アイリス エスピー)、アヤメ属の1種?としておきます。この植物について、かれこれ10年にわたって種名が分かりません。おそらくシャガの仲間だと思いますが、まだまだ分からないことが多いのです。
ヒメシャガ
最後に「姫射干」といわれる植物の紹介です。ヒメシャガIris gracilipes(アイリス グラシリペス)アヤメ科アヤメ属。種形容語のgracilipesとは、ラテン語のgracilis(細い)+pes(脚)の合成語で「弱々しい茎」を表しています。
ヒメシャガは、常緑のシャガと異なり、冬に地上部が枯れます。初夏に咲くけれど、開花期間が短く、すぐに終わる性質があるのでその花容を見る機会は多くありません。この花の薄いブルーの色合い、そしてシャガの強健さと比較するとか細い草姿に、野生のはかなさを感じさせる植物です。
シャガという植物のあらましを記しましたが、その学名と漢字名にどこか過ちがあるようでもあり、来歴が不明なこともあって、ミステリアスなことが多いです。それでも、シャガとその仲間がおしゃれできれいな花を付ける植物であることには、何の疑問もありません。願わくば、一日花でなく、もう少し開花を続ける植物であってほしいと私は思うのでした。
次回は、春の草むらに現れる青い花「ラショウモンカズラ(羅生門葛)」のお話です。お楽しみに。