「異国に咲く美しい花々」を想像し、「見たことのない花を見てみたい」「愛(め)でてみたい」と思うのは人間の本源的な欲求の一つだと思います。それだけ私たちは「花好き」なのだと思います。
オシロイバナ
美しい花を他国から園芸用として導入して、自国に居着いた例は意外と多いものです。その数は、帰化植物の30%ほどに及ぶと推定されます。
オシロイバナMirabilis jalapaオシロイバナ科オシロイバナ属。属名のMirabilisとは、「驚くべき」「素晴らしい」という意味を持ちます。種形容語のjalapaは、メキシコの都市Jalapa、もしくはグアテマラの都市Jalapaに由来すると考えられ、この植物が中央アメリカや南米北部の熱帯域に故郷があることを表します。
オシロイバナの学名は、スペイン語風に発音すると「ミラビリス ハラパ」です。英名は、「Marvel of Peru(ペルーの不思議)」といいます。それは、オシロイバナを異国からヨーロッパにもたらせた時、人々に「驚くべき花だ」と思われた歴史を物語っています。オシロイバナは、今でこそどこにでも花を咲かせていますが、初めてそれに気付いた人は感激したに違いありません。
オシロイバナ科は、30属300種ほどのファミリーとされ、主に熱帯に分布する種属で構成されているので、日本ではあまりなじみがありません。よく知られているのは、オシロイバナとブーゲンビリアでしょう。
テリハイカダカズラ
テリハイカダカズラBougainvillea glabra(ブーゲンビリア グラブラ)オシロイバナ科ブーゲンビリア属。ブーゲンビリア属は、メキシコ、ブラジル、ボリビア、ペルーなど熱帯アメリカに原生する20種程度の属種です。
Bougainvilleaという属名は、フランス人として初めて世界一周航海を成功させた、18世紀の貴族Louis Antoine de Bougainville(ルイ・アントワーヌ・ド・ブーゲンヴィル、1729~1811)に献名されています。
学名の命名者は、航海に同行し、リオデジャネイロでこの花を発見したフランス植物学者Philibert Commerson(フィリベール・コメルソン、1727~1773)です。そして、この航海に男装して秘密裏に乗り込んだJeanne Baret(ジャンヌ・バレ、1740~1807)も、この植物の発見に貢献しました。
ブーゲンビリア属
私たちが園芸店などでよく目にするのは、南米に原生するブーゲンビリア属の種間雑種が多いと思います。ブーゲンビリアは、つる性樹木で5メートルを超える樹勢を持ちます。昨今の東京では、この植物に屋根まで覆われている景観を見ることがあり、環境の温暖化を実感せずにはいられません。
ブーゲンビリアのピンク色は印象的ですが、色が付き花びらに見えるのは、葉の一部で「包葉(ほうよう)」といいます。花は、小さく筒状で目立ちません。
さて、オシロイバナ科オシロイバナ属に話を戻します。オシロイバナ属は、亜熱帯、熱帯アメリカに原生する数十種の草本植物から構成されています。上の写真は、長い花被を持つMirabilis longiflora(ミラビリス ロンギフローラ)だとおもうのですが、自信がないのでMirabilis sp.としておきます。その属種の中で最も知られているのが、オシロイバナMirabilis jalapa(ミラビリス ハラパ)なのです。
オシロイバナ
オシロイバナは、ブーゲンビリアよりももっと早い時代に熱帯アメリカからヨーロッパに持ち込まれました。イタリア人のChristopher Columbus(クリストファー・コロンブス、1451~1506)は、世界は丸く、西に航海すればインドやジパング(日本)にたどり着けると考えていました。
1492年にスペインから西に向けて航海した彼は、アメリカの海域にある島々にたどり着いたのです。インドやジパングを見つけたわけではないのですが、彼が大西洋を横断して未知の地へたどり着いたことを契機に大航海時代が始まります。それは、西欧による「世界の植民地化」の始まりでもありました。
熱帯アメリカの原野に生えていたオシロイバナは、すぐに彼らの目に留まったことでしょう。1525年ごろには、ヨーロッパに持ち込まれたとされ、「Marvel of Peru(ペルーの不思議)」として知られるようになりました。
日本におけるオシロイバナの来歴も大航海時代に関係しています。江戸時代の鎖国中でも、オランダとは制限を設けながら交流がありました。
時は元禄(げんろく)、徳川綱吉の治世、貝原 益軒という儒学者がいました。彼は多才で本草学、実学者でもあり、1694年に「花譜」という植物の栽培書を書いたのです。なんとその中に「白粉花(オシロイバナ)」の記述があるのです。そのことからオシロイバナは、西欧から江戸時代に持ち込まれたと推定されます。「花譜」には、花の色や夕方に開花する性質が記されていました。
オシロイバナ科のブーゲンビリアとオシロイバナの来歴が面白過ぎて、多くのページを割いてしまいました。それにしても、男に変装して船に潜り込んだ、ジャンヌ・バレの物語は、さまざまなインスピレーションを与えてくれます。彼女は、フィリベール・コメルソンの奥さまが亡くなった後にお手伝いさんとして働き、彼の生活を支えたとされますが、女性科学者の先駆者でもありました。
フィリベールは、世界一周航海で60属以上3000種にのぼる種(しゅ)を発見、記録したとされ、ペチュニアの原種の発見者としても植物史に名を残しています。
その業績は、ジャンヌ・バレのものでもあります。しかし、残念なことに1773年、フィリベールはモーリシャス島で夭逝(ようせい)してしまいます。46歳で病死とされますが、死因は不明です。ジャンヌ・バレは、彼を最後まで支え続けました。そのとき33歳、後に島の酒場で働き生計を立て、フランス軍人と結婚し帰国、67歳で生涯を閉じたと記されています。
植物史のお話は、ロマンがいっぱい。ついつい、いろいろ書いてしまいました。次回、『オシロイバナ[その2]』へと続きます。お楽しみに。