時は紀元前のお話です。当時、ポントス(現在のトルコ北部)の国王だったミトリダテス6世エウパトル(Mithridates VI Eupator、紀元前132~紀元前63)は、アレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)の後継者であることを自認していました。彼はアナトリア半島や黒海沿岸に君臨し、ローマ帝国という強大な軍事国家に挑んだ伝説的な人物として知られています。
対外関係の一方で、王国内では継承や簒奪(さんだつ)を巡る争いが起きます。父親のミトリダテス5世エウエルゲテスを毒殺された経験を持つミトリダテス6世は、日常的にさまざまな種類の毒を少量ずつ摂取し続けたことで、複数の毒に対する抵抗性を獲得し、毒殺に対する抵抗力を身につけたと伝えられています。
その逸話にちなんで、ミトリダテス6世エウパトルの名前を属名に冠したのが、アルカロイド系の有毒成分を持つヒヨドリバナ属の「Eupatorium(エウパトリウムまたはユーパトリウム)」です。
ヒヨドリバナ属
古い図鑑にはヒヨドリバナ属は、500種ほどが知られていると記されていました。しかし、近代分類学の発展に伴い、そのヒヨドリバナ属は見直され、その全容を大きく変えました。現在、ヒヨドリバナ属に残ったのは数十種とみられ、それぞれの種(しゅ)に対する学名も一貫性がなく、その分類は過渡期にあります。
『東アジア植物記』では、最近の分類成果を加味しながら、私の理解と見解に合わせ学名を表記することにしました。
ムラサキヒヨドリバナ
ムラサキヒヨドリバナEupatorium purpureum(ユーパトリウム パープレウム)キク科ヒヨドリバナ属。このヒヨドリバナ属は主に北アメリカと東アジアに隔絶分布をしている種属です。種形容語のpurpureumは、紫色を表しています。草丈が2mを超える雄大な種で、北米東北部ミシガン州から東南部のジョージア州などの湿地や林縁に生息します。
この植物は英語で「Joe Pye Weed(ジョー・パイ・ウィード)」とも呼ばれます。Joe Pyeとは、ネイティブ・アメリカンの人名で、彼がこの植物を生薬として熱病やチフスの治療に用いたことに由来します。
北アメリカ南西部に原生するEupatorium perfoliatum(ユーパトリウム ペルフォリアツム)は、熱のせいで関節痛があるとき、その痛みを和らげるとされ、骨を整えるという意味で「Boneset(ボーンセット)」と呼ばれています。北米のヒヨドリバナ属は、有毒とされながらも、生薬として伝統的医療に利用されてきました。
Eupatorium sp.
ヒヨドリバナ属は、北米を起源としながら種分化の中心は東アジアでした。北米には約10種が分布しているのに対し、東アジアには約30種が存在すると見積もられています。一方で地中海沿岸国と中東には1種、南米、オーストラリア、サハラ以南のアフリカには分布していません。
Eupatoriumという学名をミトリダテス6世エウパトルにちなんで命名したのは、分類学の父といわれるCarl von Linné(カール・フォン・リンネ、1707~1778)です。彼リンネが活躍したヨーロッパには、ヨーロッパヒヨドリEupatorium cannabinum(ユーパトリウム カンナビヌム)1種しか原生していませんので、ヒヨドリバナ属はかなり珍しい種属だったことでしょう。
さて、ここから先は東アジアに原生するヒヨドリバナ属についてです。
ヒヨドリバナの1種であるEupatorium sp.の分布領域と形態からみて、私はシナヒヨドリバナEupatorium chinense(ユーパトリウム シネンセ)キク科ヒヨドリバナ属と同定しましたが、違うかもしれません。ヒヨドリバナ属の特定は、とても難しいのです。
シナヒナヒヨドリバナの種形容語のchinenseは、中国産という意味です。中国東中南部、台湾、インド、ネパールなど広域に分布する種で形態的に変異が多いです。さらに染色体を調べた資料によると2n(二倍体)=20、30、31、39、40、50と染色体数に幅があります。シナヒヨドリバナは、異なる種が集まって構成される「種の複合体」である可能性が高いと思います。
上の写真は、中国雲南省の石林イ族自治県にある、日当たりのよい荒れた岩場で撮影したものです。背丈は1mほど、茎は赤く、基部は木質で剛直です。一般的なヒヨドリバナ属は、冬に茎葉を枯らすのですが、雲南省など温暖な地域では、冬も枯れずに低木状で育っていました。
この場所のヒヨドリバナ属には、上の写真のような色素を持たないアルビノの個体もありました。
ヒヨドリバナ属は、中国の人里に近い乾燥した荒れ地などに原生していて、地上部の全草を煎じて、風邪やインフルエンザのような感染症に対する民間療法として利用されているようです。古今東西、「毒も薬もさじ加減」ということです。
上の写真のように、ヒヨドリバナ属を見ているとさまざまな昆虫たちが花の蜜を吸いに来ていることが観察されます。ヒヨドリバナ属は、花の蜜にも有毒ピロリジジンアルカロイドが含まれているのですが、昆虫たちはそのことに無頓着です。
先に紹介したお話を思い出してください。少量の毒を継続的に摂取することで、体がその毒に対して耐性を持つようになる現象をミトリダテス6世エウパトルにちなみ「ミトリダティズム」といいます。
多分、これらの昆虫たちは、少量の毒を摂取して耐性を持つ先駆者なのだと思います。有毒アルカロイド耐性は、気の遠くなる時間の中で「ミトリダティズム」が実践され、生き残った個体の性質が遺伝的に受け継がれている結果なのだと考えられます。
次回も引き続き、『エウパトリウム(ユーパトリウム)ヒヨドリバナ属[その2]』です。お楽しみに。