サクラを観察するときは、花だけでなくがく片にも目を向けてみてください。サクラはがく片の形や色で、そのサクラが「どのような環境で進化してきたのか」「どの系統に属するのか」を雄弁に語りかけてきます。

ヒマラヤザクラ
前回紹介したヒマラヤザクラ(Prunus cerasoides)とされるヒザクラは、中国名を「喜馬拉雅櫻桃」と言い、雲南省昆明市にある昆明植物園では「高盆桜桃」と表記されていました。雲南省の亜熱帯地域でも標高の高い山地に生育し、赤いがく片を持つサクラです。このサクラと地域を同じくして標高が低く、比較的暖かい山地に生息する、赤いがく片を持つヒザクラがあります。

カンヒザクラ
カンヒザクラ(寒緋桜)Prunus campanulataバラ科サクラ属。この植物の中国名は「鐘花櫻桃」と言い、赤い花を下向きに咲かせるのが特徴です。カンヒザクラは休眠が浅く、沖縄では2月中旬に満開を迎えるほど早咲きです。
亜熱帯を故郷とするサクラであり、DNA解析によればヒマラヤザクラとは別系統とされています。もし、直系であれば簡単な話でしたが、どうやら「収斂(しゅうれん)進化」によって似た特徴を獲得したようです。

カンヒザクラの種形容語のcampanulataは、ラテン語で「釣り鐘状」を意味し、花が下向きに咲く特徴を表しています。雲南省のヒマラヤザクラは赤いがく片が開いていましたが、カンヒザクラのがく片は赤いものの開かず、形態が異なります。
カンヒザクラは、中国雲南省南東部に位置するシーサンパンナ(西双版納)タイ族自治州から広西・広東、さらに台湾や沖縄へと続く、熱帯モンスーンの通り道に分布します。いずれも降水量が多く、沢沿いの湿潤な環境に原生します。

サクラは、沢沿いや河川沿いなど水の豊富な場所でよく見られます。水を多く必要とする樹木である一方、極相林のような暗い森の中ではほとんど姿を見せません。サクラは強い日光を必要とする「陽樹」だからです。サクラには、崖崩れや洪水などといった自然のかく乱が起きて地面がむき出しになった場所にいち早く根を下ろし、その荒れた土地を覆い、壊れた生態系を再び森へと導く役割があるのです。そして、森が安定するとサクラは徐々に姿を消していきます。
サクラは、強固な材を作らず、成長が早い反面、寿命が短いという特性もあります。森を再生させるために生え、森が成熟すると消えていく…そんな宿命を背負った樹木だと覚えておいてください。

雲南省でヒマラヤザクラとされるヒザクラとカンヒザクラは、直接の血統関係はありませんが、どちらも亜熱帯に生息し、赤いがく片を持つという共通点があります。熱帯・亜熱帯の植物には「赤く大きな花」「下向きの釣り鐘状の花」が多く見られます。それはなぜなのでしょうか?

1.強い日射への適応
強烈な光は、植物に活性酸素を発生させます。葉緑素を持たない花弁では、アントシアニンなどの色素を増やして光ストレスに対応していると考えられます。
2.鳥類を利用した受粉戦略
熱帯ではスコールが多く、昆虫の活動が不安定です。そのため、天候に左右されにくい鳥類を受粉者として利用する必要がありました。鳥は赤い色に強く引かれるため、赤い花やがく片が有利に働いたのでしょう。さらに、花が下向きであることは、スコールによる花粉の流出を防ぐ役割も果たしていたのだと考えられます。
こうした環境要因が、亜熱帯で赤いがく片を持つサクラを生み出したと考えられます。

沖縄県にある文化遺産「天然記念物 荒川のカンヒザクラ自生地」の碑
カンヒザクラは日本では石垣島に自生地があります。私も家族旅行で入り口まで行きましたが、原生林が深く、ハブの危険があるとのこと。このときは時間の制約もあり、カンヒザクラの野生種との遭遇を断念しました。調査を行った博士によると「沢の崩壊地で落石の危険があるため、学生を連れて行くにはリスクが高く、同行させられない」と言っていました。
この赤いがく片を持つ南方系のサクラは、雲南省から広東、台湾を経て、日本へ伝わり、旅路の終着点は日本でした。

カンザクラ
亜熱帯生まれのカンヒザクラは耐寒性が低く、自然分布は沖縄より北へ広がりません。しかし、その早咲きと赤い色は園芸的価値が高く、ヤマザクラとの交配で「カンザクラ(寒桜)」が生まれました。がく片が赤く、早咲きという特徴を受け継いでいます。このカンザクラは2024年1月31日に開花している様子を撮影したものです。

ヘイシチザクラ
江戸後期には、植木屋文化の中で「ヘイシチザクラ(平七桜)」も作出されました。名は、釜鳴屋平七という人物に由来し、これにもカンヒザクラが使われたと考えられています。

オカメザクラ
カンヒザクラの形質は日本人以外にも交配に使われ、このオカメザクラPrunus“okame”という交配種を生み出しました。この野趣豊かな花容(かよう)を赤いがく片が際立たせています。何だかグッと感じるものがあります。

オカメザクラは、日本の山岳地帯に原生する固有種のマメザクラ(Prunus incisa)とカンヒザクラ(Prunus campanulata)を交配して作出されました。作ったのはイギリス人のコリングウッド・イングラム(Collingwood Ingram、1880~1981年)です。
彼は驚くほどの長寿であり「“Cherry” Ingram(さくらのイングラム)」と呼ばれ、サクラの世界的権威でもありました。日本で絶滅した園芸種を持っていたイングラムが、その種(しゅ)を日本に帰したことでも知られています。彼は、この交配種に「オカメ」という日本風の名前を付けました。イングラムは日本のサクラを愛し、日本の桜文化に敬意を持っていたと伝えられています。