亜熱帯に起源を持つサクラは陽樹であり、暗い森では生息できません。赤いがく片を持つサクラたちは、低地の沢筋、河原、崩壊地、林縁など熱帯モンスーンの通り道に生じる照葉樹林の隙間を利用して、北へ生息地を拡大しました。しかし、寒冷ストレスを受ける環境にあう機会がなかったため、耐寒性を獲得できず、台湾と石垣島がその終着地(北限)となりました。
しかし、私たちはサクラがもっと北に生えていることを知っています。それらのサクラはどのように日本にやってきたのでしょうか。

その答えの一つが、雲南(うんなん)省の山地に生きるサクラ、ウンナンザクラにあります。ウンナンザクラは、亜熱帯の沢筋や斜面などをたどって標高を上げ、標高2000〜3500m付近の森林が途切れる疎林や山腹にも生息地を求めた「山地系サクラ」の一種です。
こうした山地系サクラたちは、高地の寒冷な気候にさらされながら世代を重ねる中で、寒さに強い個体が残り、耐寒性を身に付けられたのでしょう。その結果、寒冷な地域にも広がっていったと考えられます。

ウンナンザクラ
ウンナンザクラPrunus yunnanensis(プルヌス ユンナネンシス)バラ科サクラ属。種形容語のyunnanensisとは「雲南産」という意味です。このサクラは、サクラの進化中心地に現存し、サクラの古い形質を維持していると考えられています。

サクラの進化中心地はヒマラヤ造山帯の南東部周辺とされていますが、その核心は、麗江やシャングリラにあたる雲南省北西部から四川省南部付近と考えられています。そこには南北1000km以上続く、巨大な横断山脈(Héngduàn Shānmài)がそびえ立っています。写真の玉龍雪山(ぎょくりゅうせつざん)は、標高5596mのとても急峻(きゅうしゅん)な山で、すぐ西を流れる長江の上流は標高1800mです。なんと、その標高差は3796mにもなります。

玉龍雪山の緯度は北緯27度ほどで、気候区分は亜熱帯です。従って、この山には標高によって、亜熱帯から寒帯までの気候が存在します。地球は温暖期や氷河期を繰り返してきました。この山脈は東西ではなく、南北に長いため、動植物の南北への通り道であり、逃げ道でもありました。きっと、凍(い)てつく氷河期でも南斜面の深い谷底は暖かかったはずです。
その結果、この山脈は東アジアの植物にとっても「移動回廊(wildlife corridor)」であり、氷河期に「氷床から逃げてきた動植物の避難所(refugium)」でもあったわけです。

もう一つ重要な点は、地球環境の変化の中、横断山脈で生物の分散と集合が繰り返された可能性があるということです。違う形質を持った生物が再び出会うと、異なる場所で獲得した形質が混ざり合います。その結果、さまざまな影響があったことでしょう。横断山脈は、例えるならば「種(しゅ)のふ卵器(incubator)」でもあったと思います。
そんな環境でサクラたちは別れと出会いを繰り返して進化し、複数の山地系サクラの祖先集団になっていったのでしょう。

玉龍雪山の麓には、かつて納西(ナシ)族の王都として栄えた麗江(れいこう)が広がっています。山の雪解け水を利用した水利システムを持つ麗江古城 (Old Town of Lijiang)は、世界文化遺産として登録されています。この都市は標高2400メートルの高原に位置し、その周辺はウンナンザクラの原生地の一つとして知られています。

サクラ属(Prunus)の植物化石は、チベット高原周辺部で多数見つかっています。ウンナンザクラは、花柄(かへい)が長く、花序がまばらという特徴や、葉の形状がその化石種に似ています。そのことから、サクラ属進化の中心地とされている雲南省から四川(しせん)省の山地(標高1500〜3000m)に現存する、「古い系統を維持するサクラ」と認定されています。

スピラエア カントニエンシス
ウンナンザクラを観察して気になったのは、ややしだれていて、樹冠が下向きに広がることです。節間が長く、細い枝がしなる性質は、山地斜面に生息する植物が見せる形状の一つです。
上の写真は、秦嶺(しんれい)山脈に原生するSpiraea cantoniensis(スピラエア カントニエンシス)バラ科シモツケ属です。このような崖斜面に生きる植物にとって、しだれさせた形状は太陽光線を多く享受できるし、より多くの生活空間を確保できることにつながります。

ウンナンザクラが示す形状は、このサクラが山地斜面の環境に適合した結果だと推測します。山地斜面に生きるサクラの遺伝子は、シダレザクラが持つ「強く重力方向に枝を伸ばす」という性質の原動力になったのでないかと考えました。

サクラは沢筋や崖の崩壊地、斜面、ガレ場など森のニッチな空間に生きる植物です。亜熱帯の山地では、常緑広葉樹林から針葉樹林へ移り、亜高山帯・高山帯へと植生が切り替わります。
麗江周辺の山地には、森林限界に近い疎林帯が広がり、陽樹のサクラにとって安定した生育環境だったのでしょう。こうした場所にたどり着いたサクラたちは、長い年月の後に寒冷地への適応性を強め、より広く、ユーラシア大陸へと拡散していったのだと考えられます。
次回も雲南省の景色と共に、サクラ属の中からサクラ節が分化したお話をお届けします。お楽しみに。