雲南(うんなん)省は、雲の湧き出ずる地。熱帯モンスーンの湿った大気が山脈にぶつかって雨を降らし、多雨で変化に富む気候を生み出す場所です。
この地で、サクラ属の中から“サクラらしさ”が形づくられ、やがてサクラ節が分化していきました。その主な舞台は、雲南省から四川(しせん)省へと連なる「横断山脈(Héngduàn Shānmài)」だと考えられています。サクラはまさに、春のように涼しい気候と豊富な雨量を持つ土地で生まれ育った樹木です。
ある意味で、サクラは春と熱帯モンスーンの申し子という身の上です。

ヒマラヤ山脈は東西に長く、東方に開放的な位置にあります。そして、熱帯モンスーンは北半球の「コリオリの力(ちから)※」によって東へ流れます。
※コリオリの力…または、コリオリ力(りょく)。地球が自転しているために、北半球では動く空気や水が右向きに曲げられる「見かけの力」
一方で、ヒマラヤの西側には湿気が届かず乾燥するので、サクラたちはヒマラヤ山脈から西には見られません。サクラたちは、横断山脈で300万~1500万年前にサクラ属の中から分化したと想定されていて、これは地球の温暖期と重なります。
山地で寒冷な気候にも対応したサクラたちは、そうした温暖期に北上して、揚子江の中流・下流域などの華南、華中へと進出したと考えられます。そして、中国の背骨とされる秦嶺(しんれい)山脈へたどり着きました。秦嶺山脈は、全長約1600km、幅約200km、最高標高3767mの大山脈です。

しかし、地球の気候は何度も変動してきました。「氷期」と「間氷期」が繰り返されるサイクルは、サクラ節にとって幾度もの試練となったはずです。北上したサクラは、氷期には寒さと乾燥に追われて南へ撤退し、間氷期になると再び北へ進出する。この前進と撤退の繰り返しが、サクラの進化と分布を形づくってきました。
最終氷期には、あまたのサクラの種(しゅ)が絶滅したことでしょう。それでも生き残ったサクラは秦嶺山脈の南斜面に根を下ろし、谷合いなどに身を潜めたと思います。
現在、横断山脈には30を超えるサクラの種が残っています。一方で、横断山脈から秦嶺山脈にかけての広大な地域では、数種の野生のサクラしか見られません。ほどんどの種が、特定の山地に原生する「遺存種」となっているのが現状です。
秦嶺山脈の南斜面は、アジアモンスーンを受け止めることで、温暖で湿潤な気候を保ち、年間降水量はざっくりと1000mmを超えます。こうした環境は、氷期の寒冷と乾燥をしのぐための重要な避難地になったと考えられます。サクラ節のように豊富な水分を必要とする温帯植物が生き残る条件を備えていました。

上の写真は、秦嶺山脈に連なる「終南山(しゅうなんざん)」です。終南山は秦嶺山脈の北斜面に位置していますが、局所的に南斜面に近い気候条件を持っています。
一方で、秦嶺山脈の北斜面は年間降水量が700mm以下と、モンスーンの影響が及ばないため、乾燥した気候が広がります。このような環境では、サクラの生育は難しく、野生種の分布も極めて限られたものになります。 モンスーンが山を越えられない以上、サクラもまたこの山を越えることはできなかったのです。

上の写真は、秦嶺山脈の東端に位置する「華山(かざん)」の北斜面で、乾燥して切り立った岩壁が特徴です。

秦嶺山脈は、温暖で豊富な降水を必要とするサクラたちが北へと分布を広げる際に、大きな障壁となる山塊です。サクラたちは、この山を越えるために、二つの道をたどることになりました。
一つは、山脈の南斜面を東へと迂回(うかい)する道。 このルートを進んだのが、日本のサクラへとつながるご先祖さまたちです。
もう一つは、秦嶺山脈に定着し、長い年月をかけて北側の乾燥した環境に適応するように、姿や性質を変えていく道です。
ニワザクラ、ユスラウメ、ニワウメ…。これらの植物は、横断山脈などには見られず、まるで秦嶺山脈から突然顔を出すかのように分布しています。それは、この山塊にとどまったサクラ節が、その環境に適応して分化した結果だと考えられます。

ニワザクラ
ニワザクラPrunus glandulosa(プルヌス グランデュローサ)バラ科サクラ属。種形容語のglandulosaは、ラテン語で「腺のある」という意味です。このニワザクラは、秦嶺山脈以北の陝西(せんせい)省、河南(かなん)省、河北(かほく)省に生息しています。
この植物はサクラ節ではなく、「小さなサクラ」という意味するマイクロセラスス(Microcerasus)節に分類されています。

まるで、八重桜を思わせるような可憐な花を持つニワザクラは、樹高が1~1.5mと通常のサクラの10分の1ほどにしか育ちません。
北上して秦嶺山脈に至ったごく少数のサクラたちは、北側に広がる風雪と乾燥寒冷の環境に適応するために低木化し、葉を小さくして水分の蒸散を抑える進化を遂げ、結果として、このような姿になったのでしょう。
自らの姿を縮めることで、エネルギーを節約したサクラです。モンスーンの申し子であることとの決別がマイクロセラスス節という進化を起こしたのだと思います。私は、サクラの末裔(まつえい)であるニワザクラこそが秦嶺山脈を越え、中国中北部にまで至った、唯一のサクラの遺伝子ではないかと思っています。

ニワザクラから作出された八重咲きの園芸種
上の写真は、そのニワザクラから作出された八重咲きの園芸種です。この種は、日本でも栽培されていますが、高温多湿の気候はあまり好まないため、病気になりやすく、どうも居心地が悪そうです。

ユスラウメ
マイクロセラスス節には、ニワザクラの他にもいくつかの種があります。
ユスラウメPrunus tomentosa(プルヌス トメントーサ)バラ科サクラ属。種形容語のtomentosaは、「細かい毛」を意味するtomentumと「〜に富んだ」を表すosaで構成された合成語で、学名としては「細かい毛を持ったサクラ」という意味になります。学名を記載したのは、あのカール・ピーター・ツンベルク(Carl Peter Thunberg、1743~1828)です。彼は、日本で栽培されていた株を標本として採種し、「ユスラウメ」の学名を付けたのでした。

ユスラウメは1.5~2mほどの低木で、日本への来歴は古く、平安時代に遣唐使が中国から持ち帰ったものと想定されています。甘酸っぱい実が人気の低木果樹で、ご存じの方も多いと思います。
原生地は、秦嶺山脈以北の陝西省、河北省、中国東北部にある内モンゴル自治区などです。ユスラウメは、環境耐性が特に強いため栽培が容易です。

ニワウメ
ニワウメPrunus japonica(プルヌス ジャポニカ)バラ科サクラ属。こちらもマイクロセラスス節に分類されています。種形容語のjaponicaは、皆さまもご存じのとおり「日本産」という意味です。これもユスラウメと同様、日本に植えられている株を標本として、ツンベルクが学名を付けました。
しかし、ニワウメは日本に原生する植物ではありません。その原生地は、秦嶺山脈以北で、陝西省、河南省、河北省などの山地斜面なのです。

ニワウメも1〜2mの高さにしかなりません。現在の分類学では、これらのマイクロセラスス節が、秦嶺山脈において「サクラ節が乾燥寒冷に対応するために進化したこと」を示しているとされています。
そこで観察しているうちに気付いたことがあります。確かにニワザクラは、サクラの小型化だと感じます。ところが、ユスラウメやニワウメには、サクラたちの遺伝子をあまり感じないのです。私の植物屋としての直感では「ユスラウメやニワウメは、スモモ節ではない」と言っています。マイクロセラスス節そのものの再定義が必要なのかもしれません。

さて、『サクラの旅路[その4]』の終わりに、ユスラウメに関するミニ知識です。
ユスラウメは、丸くて小さな梅状の果実を付けるのですが、ときに実がさや状に膨らむ現象が見られます。原因は、カビによる「ふくろみ病」という症状です。ふくろみ病は、殺菌剤の散布や風通りをよくするための剪定(せんてい)を行うなど、日ごろの予防が肝心です。
次回『サクラの旅路[その5]ヤマザクラ複合群について』もお楽しみに。
※『サクラの旅路』で扱っているサクラ属の分類は、2026年3月時点の最新の分類学に基づいています。詳しくは『サクラの旅路 ガイダンス[後編]』をご覧ください。