秦嶺(しんれい)山脈は、横断山脈で誕生したサクラたちが生息域を広げる上で立ちはだかった自然の壁でした。その障壁ともいえる険しい山脈を越えられたのは、長い時間をかけてこの地域で進化し、小型のサクラへと姿形を変えたニワザクラだけだったと考えられています。
その南斜面は、サクラたちがたどり着いた“吹きだまり”であり、氷河期にはサクラたちにとって一時的な避難所としての役割も果たしていたと考えられます。

秦嶺山脈の南斜面には、いくつかの中国のサクラたちが原生しています。その中には、日本のサクラの主役であるヤマザクラのご先祖さまに当たると考えられるサクラたちも生息しています。
その一つが、シナヤマザクラ(Prunus serrulata)バラ科サクラ属です。それは雲南(うんなん)省、四川(しせん)省、湖北(こほく)省など中国南部から中部、さらに朝鮮半島中部の山地にかけて点在的に分布しているサクラです。白花から薄いピンクの花を咲かせ、同時に縁に鋭いギザギザの鋸歯(きょし)がある葉を展開します。これは、日本のヤマザクラにつながる形質であることから、ヤマザクラの祖先群に含まれると考えられます。

ヤマザクラの鋸歯が分かる写真。シナヤマザクラの葉も似た形をしています。
シナヤマザクラ(またはシナミザクラ、支那実桜)Prunus serrulata(プルヌス セルラータ)バラ科サクラ属。種形容語のserrulataは、ラテン語で「小さなノコギリ」を意味し、葉の縁に見られる鋸歯(きょし)に由来しています。上の写真からも、その葉のギザギザした縁の様子が分かると思います。
このシナヤマザクラは、
・Prunus serrulata ver. hupehensis(フプヘンシス)。Hupehensisは、「湖北省産」の意
・Prunus serrulata ver. Szechuanica(セチュアニカ)。Szechuanicaは、「四川省産」の意
・Prunus serrulata ver. pubescens(プベスケンス)。pubescensは、「毛が生えている」の意
といった、複数の変種を含む複合群として捉えられています。

この複合群は横断山脈にルーツを持ち、四川盆地から華南・華中へと広がったのち、秦嶺山脈を越えることなく、その南斜面を迂回(うかい)するようにして北東へと分布を広げました。そして、河南(かなん)省を通り、モンスーンと共に山東半島へ種(しゅ)を運び、彼らは旅を続けたのです。
その後、サクラたちは朝鮮半島中部の山地を経由し、かつて大陸の付加体として形成されていた日本列島へとつながるのです。このルートこそが、今回「サクラの旅路」で記述してきた物語の主軸となった道筋だと考えています。
その長い道行きの中で、シナヤマザクラの複合群は寒冷な気候をはじめとする環境変化に適応しながら洗練され、次第に「ヤマザクラらしさ」を備えた形へと変化したのだと思います。

日本に到着した複合群は、日本の多様な自然環境の中でさらに分化を進め、やがて現在のヤマザクラへとつながる系譜を形作っていきました。特に九州から本州中部にかけての温暖な山地は、ヤマザクラの生育に適した環境であり、この地域でヤマザクラは安定した生息地を得て、広く分布を拡大していったのです。
熱帯モンスーンの終着の地である日本の気象と多様な地形、里山、多くの島嶼(とうしょ)という地理的条件が、サクラたちに進化の舞台を与えました。そこは、まさにサクラたちが求め、たどり着いた「約束の地」であり「安住の地」でもあったわけです。
特にその中でもヤマザクラは、日本の低山から山地の環境に適合したサクラです。

「ヤマザクラは日本においてどのくらい生息しているか?」気になった私は、シミュレーションを行ってみました。
日本の国土面積は約3780万ヘクタールで、そのうち森林の面積は約66%に上るといいます。ここで想定したヤマザクラの生育可能域は、倒木や自然かく乱によって林床に光が差しこむようになった「常緑広葉樹林のギャップ」や、落葉樹と常緑樹が入り交じる「混交林」に限定しました。1ヘクタールあたり10本という密度で仮定すると、その生体量はおよそ3180万本になる計算です。
もちろん、この数値はかなり控えめな推定値だと思います。それほどヤマザクラが、広範囲にわたって日本の自然環境に適応している主役のサクラだということです。

ヤマザクラ
ヤマザクラPrunus jamasakura(プルヌス ヤマザクラ)バラ科サクラ属。その学名は、あのフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz von Siebold、1796~1866)が日本から標本をヨーロッパに持ち帰り、のちに日本の植物学者の小泉源一が記載をした際、和名「ヤマザクラ」をラテン語へ転記したものです。
それでは、「ヤマザクラらしさ」とは何でしょうか?

ヤマザクラの特徴として、次の4点が挙げられます。
1.花と赤みがかった若葉が同時に咲くこと
2.高冷地を除く屋久島から宮城県南部まで広く分布していること
3.光沢のある暗褐色の樹皮を持ち、皮目が横しま模様に並んでいること
4.他の野生サクラの中で開花が1~2週間ほど遅いこと
地域差はありますが、他のサクラよりヤマザクラの開花が2週間ほど遅いことが日本におけるヤマザクラ繁栄の理由だと私は考えています。

エドヒガンなど早咲きのサクラが咲く時期は、日本では三寒四温を繰り返し、気候が安定しません。寒の戻りがあると、せっかくサクラが開花しても、その花粉を運んでくれるミツバチが十分に活動できないのです。
一方で、ヤマザクラは日本の野生サクラの中でも遅咲きで、開花の最盛期は4月に入ってから迎えます。この時期の山地でヤマザクラに出会うと、驚くほどの羽音を響かせながらミツバチたちが群れ集まり、花を訪れる様子が観察できるでしょう。ヤマザクラは豊富な蜜を持つため、ミツバチを引きつけるだけでなく、ミツバチが活発に動ける気温と、ヤマザクラの開花期が見事に重なっているのです。

ヤマザクラなどのサクラたちは、自分自身の花粉を受け付けず、他の個体の花粉で受粉するように進化してきました。それを自家不和合性(self-incompatibility)といって、雌しべが「別の個体から運ばれてきた花粉」だけを受け入れ、そこで初めて種子を作ります。

この自家不和合性という仕組みによって、サクラたちは他個体同士で交配し「雑種強勢」を手に入れました。その代わりに、野生のサクラが実生(みしょう)から育つと、親とは少しずつ異なる特徴を持つことが多くなります。花の色や形、葉の形状、開花時期などが微妙に違い、同じヤマザクラでも同じものは一つとしてない、という状況が生まれ、その景観も珍しくありません。
ヤマザクラは、シナヤマザクラ複合群という祖先系を持ち、日本の風土で地域ごとに隔離され、独自に「ヤマザクラらしさ」を確立した種です。しかし同時に、多様な形質と連続的な変異を持つ「種の複合体(species complex)」として存在しているという興味深い側面も合わせ持つのでした。
次回は、『サクラの旅路[その6]ヨシノザクラとオオヤマザクラ』です。お楽しみに。