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神代の時代から スギ

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。

神代の時代から スギ

2016/03/08

トリケラトプスやティラノサウルスの名は誰でも知っているでしょう。子どもは大好きですし、大人だって古代へのロマンを掻き立てるものです。恐竜たちがばっこする時代を考えるだけで楽しく、小説や映画の題材になってきました。

ではその頃、植物はどんなようすだったのでしょうか。それには、古植物学の力を借りるしかありません。今回のテーマであるスギ類(杉類)は、中生代の白亜紀から新生代の第三紀に最も栄え、今、現存している種はその時代の残存種といわれる起源の古い植物種とされています。

スギCryptomeria japonica(クリプトメリア ジャポニカ)ヒノキ科スギ属は、種形容語からわかるように日本の特産種です。日本建築は言うに及ばす日本酒の樽など、さまざまなこの国の文化は、スギの存在なしに語ることができません。これからの季節、花粉症で大変な方もいらっしゃると思いますが、この木の恩恵についても忘れないようにしたいと思います。そして、日本の植物の中で最大、最古老の木として知られています。スギが育つには多くの水を必要とします。降水量が多く、肥沃な土壌をもつ日本の気候が、世界で唯一、この樹種を日本に残存させています。杉という漢字は、まっ直ぐ育つ木「直ぐ木」や「すくすく育つ木」が語源といわれています。

瀬戸大橋から高知県へ抜ける高速道路は、四国山脈を貫きます。いくつものトンネルを抜けて見えてくる外の景色は、ひと言でいうと、山とスギです。高知県大豊町、吉野川の畔に、その名も「杉」という地名はあります。スギが多すぎる地域であることと、とんでもないスギの巨木が生えている場所から「杉」という地名がついたことが推定されます。

その巨木の名は、「杉の大杉」です。言い換えれば「杉の大きすぎ」と私は思いました。
高さは68m、それはビルの高さで20階建て以上、まるで中層のビルのようです。かなり遠方から見渡さないと画像に全景を収めることができませんでした。スギは日本の樹木の中で最も背が高くなる樹種です。それは、草食恐竜との生存競争によって獲得した形質であると古植物学者は考えているようです。大切な成長点を食べられたくないスギは恐竜より背を伸ばし、柔らかい新芽を食べたい恐竜はそれに応じて背を伸ばす、相乗効果だったのかも知れません。

「杉の大杉」は根元で南スギと北スギに分かれていて、幹周は、南スギで15m、北スギで8mで合計23m。そして高さ68mもの圧倒的なキャパシティーでした。それは、想像を超えるものです。私はそれを見た時、声を出して笑うしかありませんでした。

「杉の大杉」は中ほどで分枝を繰り返し、とても複雑な樹形をして樹冠を見上げることができません。地元では、須佐之男命が植えたと伝えられ、伝え聞く樹齢はなんと3000年!
かなり「盛りすぎ」の話かもしれませんが、「杉の大杉」を見れば、何も考えず納得してしまいました。

このスギは、3000年の齢を経ても樹勢は旺盛です。若者のように葉の先には写真のような球果をたくさんつけていました。マツやスギの仲間は、松ぼっくりのように、葉が鱗片状に変化して球状になり果実を作ります。この果実を作る裸子植物を球果植物と呼びます。現存していないとされるスギ類の球果(杉ぼっくり)が、日本の古い地質に見つかります。古植物学者がそれを、絶滅種として名前を付けたのです。ところがです。20世紀になって同じ球果をつける樹木が東アジアの片隅で発見されたのでした。

次週の話題は東アジアの片隅で発見されたスギ類の球果について考えてみましょう。

JADMA

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