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連載

200万年の時を越えて[後編] 化石杉

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。

200万年の時を越えて[後編] 化石杉

2016/03/22

前編でお話しした化石杉の実態に迫る前に、もう少し序章は続きます。

高尾山周辺を源にして多摩丘陵を流れる淺川は、岸辺を3m以上削りながら流れ、200万~170万年前の地層を露にします。道なき道を流れに沿ってたどると、泥岩層から炭化した木立の跡があちらこちらに見つかります。私たちはそれを「化石林」と呼びます。

その中にひときわ大きな切り株が見つかりました。その株姿は見覚えのあるものです。その木の梢付近の泥岩に座り込み、凝視すると5分もたたずに今回のテーマであるその木の球果を見つけることができました。

多摩川の支流である淺川は、八王子付近で南淺川と合流します。それより上流を北淺川と呼び、中央高速道路の橋げた付近でさらに城山川と合流します。その付近の流れは関東ローム層をきれいに削り、古代の泥岩層に届いています。

北淺川の両岸にはタイムカプセルのように、化石林が時を越えて目の前に広がっていました。とりわけ大きな立ち木化石が目に留まりましたが、どこかで見た株立ちです。200万年前のその木だとすると球果があるはずです。

梢だった場所を推定して泥岩を凝視すると、バラの花のような球果がたくさん見られます。

さらにまわりを凝視すると十字対生する球果の鱗片葉が見つかったのです。球果は葉の変形ですから、この化石杉の葉は対生であるはずです。三木茂博士はこれをメタセコイヤ属として1941年発表したのでした。

ところが、三木博士の発表からわずか2年たった1943年、化石と同じ形状を持つ、現存する植物が四川省、湖北省の揚子江支流流域で見つかったのです。その植物は「化石の杉」として命名されました。メタセコイヤ(アケボノスギ)Metasequoia glyptostroboidesヒノキ科メタセコイヤ属だったのです。

夏のメタセコイヤの葉です。美しいですね。十字対生する葉のつき方がわかりますか。中国名を水杉といい、この樹種が湿地に原生することを示します。属名のMetasequoiaとはセコイヤの変形とか、後のセコイヤなどの意味をもち、種形容語のglyptostroboidesは水松と呼ばれる樹種に似ているという意味をもちます。

古代の昔、日本を含め北半球に広く生えていたメタセコイヤが、なぜ、各地で絶滅したかは謎です。しかし、東アジアの片隅でかろうじて命を繋いでいたのでした。中国で発見されてから、アメリカを経由して、1949年に苗木が日本にもたらされたのです。その後、成育が早く、美しい樹形をもつこの植物は挿し木などによって増やされ、全国に広まっていったのです。私たちの目にとまる、冬枯れの姿も美しいそのスギは、すべてその子どもたちです。今、メタセコヤは何百万年の時を超え、古代の生き物を眺めたように、私たちを見つめています。

JADMA

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