小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
女神の香り[前編] ジンチョウゲとその仲間
2016/03/29
それは遠い異国の神話です。アポロン(Apollon)はゼウス(Zevs)の子、弓の名手で芸術に秀で、太陽の神です。アポロンは、美しい女神ダフネ(Dafne)に恋をして執拗に追いかけますが、彼女は疎います。アポロンの手がダフネの腕に触れたその時、ダフネは姿をゲッケイジュ(月桂樹)に変えてしまいました。失意のアポロンはゲッケイジュの枝で冠を作り、身に着けたと言われます。
植物の世界では、女神ダフネはゲッケイジュとしてではなく、どのような訳か、ジンチョウゲ属として名を残しました。まだ寒い早春に、ジンチョウゲは芳しい香りを周りに振りまきながら、かわいい花をほころばせます。その女神の香りは、大好きな春の香りです。
Daphne odora(ダフネ オドラ)ジンチョウゲ科ダフネ属は、暖地性の常緑低木で1m前後に育ちます。種形容語のodoraは芳香を表します。花被片が4枚あり、外側が紅色、内側が白色、おしべが黄色の配色も絶妙です。まさに春の女神にふさわしい植物です。それ故に古い時代から園芸植物として利用されてきたのですが、その出生については謎なのです。原生地といわれる東アジア、中国でも自生地は不明です。自然分布していたものが絶滅して不明なのか…。古い時代に人間が作った園芸種なのかわからないのです。
多くの文献や記述に「ジンチョウゲは雌雄異株。日本にある木は、ほとんどが雄株で雌株は見られない」とあります。花が咲いていたので分解してみました。すると黄色い花粉を出しているおしべの下に、なんと立派なめしべがあるではないですか。それは、ジンチョウゲが雌雄異株ではなく、両性花である証拠です。
ではなぜ、めったに結実しないのでしょうか。これは私的な推測ですが、ジンチョウゲが遠い昔、誰かの手によって違うダフネ属の間で種間交雑が行われた雑種だということではないでしょうか。種間の交雑によってできた雑種は子孫を残す能力がないか、低い場合が多いのです。自然の自生地が発見できないこの植物の出生は、遠い昔に中国で作り出された交配種の可能性が排除できません。
赤白ツートンカラーの花被片が枝の先に20個ほどの固まりになって咲くジンチョウゲにも白花があります。このシロバナジンチョウゲに近縁で、とても似ている植物が西日本などに自生しています。
香川県琴平町にある金比羅山は、海上交通の守り神として江戸時代から人気のあるお宮さんです。本宮まで786段の石段が作られ多くの方が参拝されますが、植物愛好家の皆さんは、そこから先が植物観察の始まりです。さらに30分ほど歩くと本宮の先にある奥の院まで行くことができます。その周りは神様の領域である鎮守の森です。巨木の生い茂る手つかずの原生林が残されています。
奥の院まで続く参道の脇には、暖地の木であるカゴノキが生い茂っています。なごり雪の舞う寒い日に、林縁で小さな白い花を見つけました。それはすぐにジンチョウゲの仲間であることがわかりました。この植物は関東以西に生えるといいますが、あまり見かけない珍しい植物だと思います。
コショウノキDaphne kiusianaジンチョウゲ科ダフネ属。花の数が少ないシロバナジンチョウゲにも見えます。草丈や葉のつき方、形状はダフネ属そのものです。肥料をやれば、たくさんの花を咲かせるのでしょうか。コショウノキはジンチョウゲと違い、たくさんの花被片をつけません。ガクが細くスリムなこと、花の外側に細かい毛が密生することで区別します。種形容語は九州を表し、和名は実が胡椒のように辛いことに因みます。いまだ確認はしていませんが、実を発見したら味見してみたいと思います。
でも、かわいいジンチョウゲ属はほとんどが毒草です。よい子の皆さんはマネをしないほうがよろしいかと思います。
2月、横浜市自宅付近の里山でのことです。林縁でオニシバリが緑色をしたダフネ属独特の花を咲かせていました。オニシバリDaphne pseudo-mezereum(ダフネ プセウド メゾレウム)ジンチョウゲ科ダフネ属。夏に葉を落とす落葉性の低木になるので、ナツボウズ(夏坊主)とも呼ばれます。樹皮の繊維が強く、容易に切れたり、千切れないので、鬼も縛れるということが和名の由来です。日本をはじめ、東アジアの落葉広葉樹林に自生します。
緑色のジンチョウゲといった風情ですね。「鬼縛り」に「夏坊主」、友人はふざけて「金縛り」と言っていました。女神の花ダフネ属にしてはひどい呼ばれ方です。種形容語のpseudo-mezereumとは、偽のDaphne mezereumという意味で、西洋オニシバリに似ていることを示します。学名も「偽」とは不便な命名です。
次回は東アジアに自生するジンチョウゲの仲間について[後編]をお届けする予定です。お楽しみに。