小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
黄河山水草木譜[その4] シャラノキ
2016/10/18
中国のある寺に、樹齢2000年のシャラノキ(沙羅の木)があると聞いたのです。シャラノキとは仏教三大聖樹の一つで、釈迦入滅の際にこの木が2本並んでいたとされ、沙羅双樹とも呼ばれます。学名Shorea robusta(ショーレア ロブスタ)、フタバガキ科サラノキ属の常緑高木です。その木はインド、東南アジアの熱帯地域に生える植物ですので、雪も降る中国の黄河流域に育つ訳がないのです。それは何かの勘違いだろうと思ったのです。
そのシャラノキがあるのは河南省崇山永泰寺。大室山西麓にあり、少林寺と対する中国に現存する最も古い尼寺です。西暦512年、北魏の明帝は権力争いが絶えない朝廷において、残虐な胡太后から実の妹の命を保護する意味で、都の洛陽から離れた場所にこの永泰寺を建立し、出家させたのです。
永泰寺のシャラノキにはこんな看板が立っていました。中国語に明るいわけではありませんが、漢字なので言っている意味はおよそ理解できます。その木がシャラノキShorea robustaでフタバガキ科であること。概要とその大きさの後に来歴が書かれています。インドの高僧から貢物として中国最古の寺院である白馬寺に植えられ、公元79年に洛陽から移植されたと書かれています。それから1500年、樹齢は1900年より多いと考えられています。そして最後に、ご丁寧にもこの木は中国とインドの文化交流の証であるというのです。
フタバガキ類の仲間は熱帯雨林の樹木です。そこには地上40m程度になる高木の樹冠の上に飛び抜けるスーパー高木があります。それがフタバガキ類の老成した姿です。写真はフタバガキ類に近い、望天樹(ボウテンジュ)Parashorea chinensis(パラショーレア シネンシス)フタバガキ科パラショーレア属です。生息地域が狭いのに過度に伐採利用され、今では国際的なレッドリストに記載されています。東アジア最大の望天樹はなんと高さ80mに育った巨木です。
写真は下に落ちていたフタバガキ類のタネを拾い集めたものです。どの種か分かりませんが、この仲間はこのような形態のタネを付ける高木で、熱帯雨林に行かないと出合うことはできません。
永泰寺のシャラノキは、寺の外からも確認できるほどの巨木でした。しかも枝一杯に穂状花序の白い花を咲かせています。
その木の花はどこかで見たことがあります。上が永泰寺でシャラノキとされる樹木です。葉に葉柄があり、花がスリムで蜜標が小さいです。下が、私が日本で撮影したトチノキです。葉に葉柄がなく、花がずんぐりむっくりしていて、蜜標が大きいです。どこかマロニエにも似ていますが、永泰寺のシャラノキは明らかにトチノキと同属あることに間違いはありません。
永泰寺のシャラノキとされるのは、看板に書かれたシャラノキShorea robustaではありませんでした。それは見事なシナトチノキAesculas chinensis(アエスキュラス シネンシス) ムクロジ科トチノキ属でした。シナトチノキは黄河流域に分布する落葉高木で、日本のトチノキに近縁な植物です。仏教が北に伝わるにつれ、シャラノキが育たなくなります。中国では仏教の聖樹であるシャラノキの代用が必要だったのは理解できますが、勝手に学名を付けてはいけません。
そして、日本でもシャラノキと呼ばれているは、ナツツバキStewartia pseudocamellia(スティワルティア プセウドカメリア)ツバキ科ナツツバキ属のことで、本当のシャラノキShorea robustaではありません。宗教上の都合をとにかくいうつもりはありませんが、学名を通して植物を正しく理解する必要はあると思います。それは植物的コンプライアンスの問題かもしれません。
永秦寺のシャラノキはシナトチノキでしたが、樹齢2000年のシナトチノキは、それは見事な巨木でした。樹勢も強く、老化した感じはまったく受けませんでした。若者のように枝一杯にすてきな白い花を咲かせ、いつまでも見ほれるばかりです。
幾つもの戦乱を経て数える樹齢2000年、そしてなお健在のその姿は立派です。きっとここの尼さんたちに大事にされてきたのでしょう。その枝にはたわわにトチノミを付いていることと思います。
わずかな期間しか花を咲かせない、シナトチノキの巨木の開花に巡り合うことができたのは幸運でした。しかし、あまりにも長い2000年の勘違いと誤表記はいつまで続くのでしょうか。
世界遺産であるこの寺に訪れた人たちは皆、誤ったシャラノキを記憶に植えつけてしまいます。
東アジア的植物の世界には、多くの誤認と勘違いがあります。私も人のことをとやかくいう資格はありませんが、誤りを正すことを、はばからないようにしたいと思います。
永秦寺のシャラノキは、速やかに看板を書き換えて欲しいものです。
次回は「温帯カルスト 平尾台 秋の草花」を取り上げる予定です。お楽しみに。