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連載

里山のランラン[中編] 暗闇のシンビジューム

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。

里山のランラン[中編] 暗闇のシンビジューム

2017/04/25

毎年、年末になるとたくさんのシンビジュームがガーデンセンターに並びます。その多くはお世話になった方々への贈答品に使われているようです。狭い意味でシンビジュームは主に東南アジア一帯に生育するさまざまなCymbidium(シンビジューム属)を交配して育成された園芸種を指しますが、広い意味では熱帯アジアと東アジアに自生するCymbidium属(シュンラン属)全体を差します。日本など温帯の東アジアにもシンビジュームの仲間は幾つか自生しています。私たちの身近に自生するランですが、植物としての生き方に根本的な大変革を遂げたモデル植物群としても注目されています。

シンビジュームでランの花のつくりを説明します。ガクや花弁がはっきりと分からない花を花被と呼びます。ランは外側3枚の外花被があり「セパル」と呼びます。内花被の2枚を「ペタル」と呼びます。唇弁となっている1枚の内花被を「リップ」といいます。おしべとめしべは合体して一体となり、「ずい柱」といいます。そして、花は左右対称に開きます。リップはハチなど虫が止まる場所となり、蜜を吸おうと体を奥に入れると、背中に花粉の塊が付く仕組みをもっているのです。

さて、シンビジューム(シュンラン属)の当主であるシュンランは、日本と韓国、中国に生える身近な里山のランです。シュンランCymbidium goeringii(シンビジューム ゲーリンギイ)ラン科シンビジューム属。種形容語のgoeringiiとはドイツの植物学者 Philip Friedrich Wilhelm Goering (フィリップ フレデリッヒ ウィルヘルム ゲーリング)氏にちなみます。

シュンランは典型的な地生ランという生活形態をもち、葉は細長く根出葉で、硬くギザギザしています。通常一つの茎に一つの花を地表から咲かせます。このランは、昔は里山や雑木林にはたくさんありました。今では探し出すことも難しくなってしまいましたが、山地に行けば4~5月には開花した株を見つけることができます。

植物は水と二酸化炭素から太陽光線のエネルギーを利用して炭素化合物を作り、栄養を自分で生産することができます。植物はこの光合成という大発明をして、地球上に繁栄している生物です。その生き方を独立栄養と呼び、植物が植物であることの証として、誰もが知っていることだと思います。しかし、身近なシンビジューム属の中にはこの光合成という生き方をさらりと捨て、生活のほとんどを暗闇の中で生きることを決めた者がいます。それはどんな生き方なのでしょうか。

中国とタイ国境付近の熱帯雨林の中に着生ランを見つけました。花が咲いていませんでしたが、それがシンビジューム属であることは分かります。最近の研究からもともとのシンビジューム属は木に着生し、自ら光合成によって栄養を作り出す、完全独立栄養植物だったことが分かっています。

木に着生していたシンビジューム属の中から地上に降り、地表で暮らす種が現れました。地表の下には樹木の根、草の根、そして菌類の菌糸が絡み合い、複雑な地下世界が広がっていたのです。地表に下りた彼らの中にその暗闇のネットワークに割り込み、栄養をいただく、ちゃっかり者が現れたのです。シュンランは緑の葉を付け、しっかり光合成をしますが、栄養の半分程度は菌根菌に依存する、部分的菌従属植物といわれます。

こちらはナギランCymbidium nagifolium(シンビジューム ナギフォリューム)ラン科シンビジューム属です。種形容語のnagifoliumはナギという植物の葉に似ているという意味です。和名も同じ意味です。裸子植物のナギなのか、ミズアオイ科のコナギに似ているという意味なのかは不明ですが、両方の植物の葉に確かに似ています。関東から南の東アジアの林床に生えるランで、光合成をして独立に栄養を生産する反面、シュンランより菌従属割合が高いとされています。自宅に植えてあるナギランの根を調べてみました。シュンランや普通のランの根より地下茎が太く、菌根が発達していると感じます。暗闇のランは光合成による栄養生産より、菌類を利用する割合が高いこのナギランに最も近いとされています。

これが暗闇のシンビジューム、マヤランCymbidium macrorhizon(シンビジューム マクロリヒゾン)ラン科シンビジューム属です。種形容語のmacrorhizonは太い根を表します。梅雨の湿気の中、雑木林の薄暗い林床に発生します。マヤランには光合成をする葉がありません。花を咲かせ、タネを付けるわずかな時間だけ地上に顔を出し、一年のほとんどを地下で暮らし、菌根菌から栄養を取って生きます。それは植物の植物らしさの放棄というか、生き方の大変革です。植物は独立栄養生物であるという定義が成り立ちません。

マヤランの和名は兵庫県にある摩耶山で発見されたからと聞きます。マヤランは関東から西の東アジアに分布します。写真は東京都で撮影しましたが、私の住んでいる神奈川県横浜市の里山でも発見しました。以外と身近に生えるランですが、人目の付かない薄暗い雑木林の中に生えるので、気が付かないことが多いのだと思います。

マヤランの花は確かにシンビジュームの花ですが、花を見たという感動が沸きません。色は桃白く、中心の紅色がなまめかしい色をしています。花茎の長さは15cmで、花を穂に2~4花程度付け、大きさ3cmくらいでした。花被は痩せていて、弱々しく生気がありません。それでいて生殖器官のずい柱だけがやたら雄々しい、妙な花です。

独立行政法人国立科学博物館筑波実験植物園所蔵

国立科学博物館筑波実験植物園にマヤランの地下茎標本がありました。マヤランの本体は葉を出すことを止め、葉緑体を持たず、根も出すことも止め、地下の茎だけです。栄養も水分も樹木に共生する菌類からもらい、根も葉もない塊になり、菌類に寄生して地下の暗闇に生きる道を選んだのです。これがシンビジュームというランの進化終着駅と考えると気持ちは複雑です。私にはこの姿が緑の茎葉を持ち、かぐわしい香りを放ち、見目麗しい花を咲かせるシンビジュームが行きついた進化の一つだという事実が、好ましいことに思えないのです。

次回は「里山のランラン[後編] そんなことシラン」です。お楽しみに。

JADMA

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