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樟 or 楠[前編] クスノキとタブノキ

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。

樟 or 楠[前編] クスノキとタブノキ

2017/11/21

皆さんはクスノキを漢字で書くとき、どのように書きますか。楠でしょうか、それとも樟でしょうか。鎌倉時代から南北朝時代にかけてに足利尊氏とともに活躍した楠木正成という武人が日本史の教科書に出ていたことから、楠木という漢字を思い浮かべる人が多いと思います。クスノキが自生している中国南部ではクスノキは樟(zhang)、樟科樟属と呼ばれています。そしてこの木の精油を樟脳(zhang nao)といいますので、どうやら樟が正しいのかもしれません。日本ではクスノキは知らない人がいないほど有名な樹木で、神社仏閣や公園などに植えられているのですが、日本の山野に自然の自生は見当たりません。

赤道の強い日射に照らされたインド洋の水蒸気はヒマラヤ山脈を上り、冷やされて雲になります。それは偏西風に流されていくのですが、真っすぐ西に進みません。低気圧は温度の高い陸地に沿って、ユーラシア大陸の東岸に寄り添いながら北西に流れていき、その下に温帯多雨地帯を形成します。それはモンスーントラフとも呼ばれ、さまざまな照葉樹を育みます。雲南省昆明市西山風景区では寺の後ろに照葉樹の森が広がっていました。遠くインド洋で蒸発した水蒸気は雲南省を通り、日本の東北南部まで続く照葉樹林帯をつくりました。

照葉樹のクスノキが5月の陽光を浴びてきらきらと輝いて見えます。その季節は木々たちが最もうれしそうにしている瞬間です。葉の表面にクチクラ層が発達していて、ツヤツヤしている葉を照葉といい、そうした樹木を照葉樹といいます。照葉樹といえばツバキ、サカキ、タブノキ、シイ類などいくつもの樹種が思い出されますが、クスノキも照葉樹を代表する植物の一つだと思います。

クスノキCinnamomum camphora(シナモマム カンフォラ)クスノキ科ニッケイ属。クスノキはシナモンと同じ属です。種形容語のcamphoraとはカンフルのこと。木全体に精油を含み、材を砕いて水蒸気蒸留によって樟脳が得られます。樟脳は防虫剤であまりにも有名ですが、カンフル剤など医薬品にも使われます。

樟脳の効能や使い道はそれだけではなかったのでした。20世紀初頭において樟脳は無煙火薬や工業生産材に盛んに使われたのです。樟脳は日本の植民地政策において、政府専売品であり、最も利益の上がる輸出品の一つだったのです。

春に目立たない緑色の小さな花を付け、夏に直径8mm程度の小さな実を付けます。この実を口に入れてかじると、爽快な刺激が広がります。カンフルの味です。眠いときに口に入れる錠剤のような感じです。熟すと鳥が食べるのですが、人に対する毒性は不明なのでまねしないでください。

クスノキは縦に裂け目が生じるので、木肌を見ただけでそれと分かります。開帳気味に枝を四方八方に広げ、大木になります。枝分かれが多く、直線の材が取れないのですが、精油を多く含むので防虫、防腐効果があり、腐りにくく、古代から船をつくるために伐採されてきました。そのため各地に大木は残っていないのですが、鎮守の森や寺に植えられたクスノキは御神木として手付かずに守られてきたのです。

クスノキは日本各地の神社などに巨木があります。私が見た中で最も大きなクスノキは、鹿児島県姶良市蒲生町にある蒲生八幡神社の大クス、その名も「蒲生の大クス」です。高さ約30m、何と幹回り約24.22mです。日本に生えている樹木の中で、その幹回りは最大です。太さを尺度とした場合、全樹種を通じて日本一大きな木がこの「蒲生の大クス」なのです。それは感動を通り越し、もう笑うしかありません。その巨大な姿を写真に収めるのが難しいくらい大きいのです。鹿児島県錦港湾の奥深いこの地に故郷を持つ知り合いがいます。鹿児島に独特の苗字を持ち、日本人離れした骨格と千里眼を持つ彼の家にはある言い伝えが残っていると聞きました。

「祖先はクスノキの丸木船に乗ってこの地に着いた。浜に立てかけて置いた船は根を生やし、葉を茂らせ、大クスになったのだと」。クスノキは日本の山野に自生がないため、帰化植物とされています。それも紀元が始まる前に帰化した樹種とされています。「蒲生の大クス」の推定樹齢は1500年、いや3000年という人もいます。中間値を取っても2250年です。だとすると紀元が始まる前に誰かが、このクスノキを海の向こうからこの地に運んで植えたことになります。クスノキの巨木が九州に多く、しかも海岸部に多いことを考えると、 彼の家に伝わる伝承が一塊の真理を持っているのではないかと思うのです。

次回は「樟 or 楠[後編] クスノキとタブノキ」です。お楽しみに。

JADMA

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