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仏塔と槐[前編] エンジュ

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。

仏塔と槐[前編] エンジュ

2017/12/05

黄河流域に栄えた都市国家を初めて統一した、秦の始皇帝から始まる秦と漢の帝国は、紀元前に始まり、日本には稲作が伝わりました。しかし、この地域は絶えず、北からの圧力を受けてきたのでした。
この地域の北側には、内モンゴルの乾燥地帯があり、外モンゴル、アルタイ、黒海沿岸まで続く草原の道があります。そこには、さまざまな民族が暮らし、遊牧生活を営んでいました。

黄河から北西の内陸は、乾燥するため、農耕が困難なのです。小麦やソバの栽培は雨しだいで、収穫が望めない年もあります。
そのため、人々は家畜が生み出す糧をなりわいにする牧畜をします。内陸の乾燥地帯は、人が住みにくい土地柄でした。しかし、そこには、他にない資源があったのです。それは、馬です。野生の馬を巧みに飼いならし、遊牧騎馬民族国家が形成されました。

彼らは、馬を戦力として使ったのです。人馬対人の戦いは、ランチェスターの法則からも明らかです。馬は1馬力、人を0.2馬力とすると、戦力的に人馬は人に対し6:1で優勢です。馬上は、位置エネルギーもあり、機動力も人に対し圧倒的です。人の数が一定なら、馬を用いた側がいつでも勝利を収めます。
この物理差は、世紀を超えて東アジアの歴史を決定づけてきたのです。遊牧騎馬民族は、いっときアジアだけでなくユーラシア大陸に君臨したのでした。

漢が滅び、三国時代の曹操が夢見た統一は晋によっていったんは果たせたものの、遊牧騎馬民族によって黄河流域は支配され、彼らの王権が打ち立てられます。
漢族は江南に逃れ、大陸には北朝と南朝という2つの権力が存在する時代が訪れました。それは、南北朝時代といわれます。
今回は、南北朝の時代に建てられた仏塔と植物のお話です。

北方の遊牧騎馬民族が華北に開いた北朝時代は、シルクロードを通り西域の文化と仏教が伝来した時代です。
520年崇岳大室山南麓に、この仏塔が建立されました。名前は嵩岳寺塔(すうがくじとう)といいます。1500年前の建物ですが古びていません。台風や地震がないお国柄故です。塔の風貌は、どこか遠い西の薫りを忍ばせているように見えます。多文化がミックスされたようなこの仏塔は、中国における現存するレンガ造りの塔として最も古いものです。

崇岳寺塔は、高さ36.78メートル、地上部分の直径が10.6メートル。黄色みを帯びたレンガを組み合わせ、セメントのような粘土で張り付けてあるモルタル造り台座と塔身、尖塔部分からなる15層の建物は、南アジアのストゥーパ(仏塔)風でもあり、基礎部分の台座は、西欧風でもあります。

塔の構造は十二角形から始まり、八角形へ変化していきます。よくもまあ1500年も前に、このような堅牢で幾何学的な建築ができたものです。日本は、やっと弥生時代から古墳時代を迎えていました。

遊牧騎馬民族は、農耕民族と違い定着して生活をしません。馬という移動手段を取り生活圏が広いのが特徴です。絶えず移動し、旅行や出張をすることを南船北馬といいますが、それは、彼らの生きざまでした。
アジアとイスラム、西欧の文化が入り交じったのが、この時代だったのだと思います。
現在の椅子と机、ベッドという中国の生活スタイルは、この時代の生活様式を踏襲したものとされています。

遊牧騎馬民族と崇岳寺塔の話を長々しましたが、この植物の話をするための前ふりなのです。
崇岳寺塔は歴史のある仏塔ですが、今は人影なく廃墟のように遺構を残すだけです。古の寺院の敷地には、仏塔建立からさらにさかのぼること500年。この地に自生する2000年のよわいを持つ巨木が生えていたのです。

それは、中国で槐(ファイ)と呼ばれる落葉樹です。筆者が塀によじ登り槐の脇に立っているので、この樹木の大きさが分かると思います。それは見事な大樹でした。
槐は、日本ではエンジュと呼ばれますが、読むことが難しい漢字です。

エンジュStyphnolobium japonicum (スティファノロビュウム ジャポニカム)マメ科エンジュ属。種形容語のjaponicumは日本産という意味ですが、日本に自生はなく、中国の北部が原生地です。
崇岳寺塔を建立した北魏が都に定めた洛陽。そして長安の都から遣唐使が、エンジュのタネを薬用として日本に持ち帰ったと考えられています。
種形容語がjaponicumでも、日本原生の植物とは限らないことは、東アジアの植物にはよくあります。

次回は「仏塔と槐[後編] エンジュ」です。
後編では、エンジュをもう少し掘り下げてみたいと思います。お楽しみに。

JADMA

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