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連載

海石榴[その1] ザクロとヤブツバキ

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。

海石榴[その1] ザクロとヤブツバキ

2017/12/19

中国黄河の支流を眺めながらほとりに腰を掛け、昼間からお酒を飲んでいると、いつの間にか、土産物屋の主人と酔っ払い同士の酒飲み勝負と相成りました。どうして中国と韓国の男性は、お酒で勝負をしたがるのでしょうか? 過酷な競争社会なのは理解できますが、お酒ぐらい力を抜いて飲んでも罰は当たりません。
東アジア酒飲み競争ですが、私には勝算がありました。それは、孫子の兵法書には書かれていません。日本には「負けるが勝ち」ということわざがあり、私はこの戦法を取ったのでした。

伊水が流れる遠方対岸に、唐の時代の詩人白居易が身を置いた香山寺が見えます。楊貴妃と玄宗皇帝のラブロマンスを詩にした長恨歌は1200年以上も前の、男と女の物語です。現代の私たちが読んでも心を震わせる名詩です。
晩年、彼はお酒を飲んでは詠い、詠っては飲んだといわれます。

日中昼間からのビール合戦は、7対3で私の完敗でした。初めから勝つつもりはありません。3本も飲めば十分です。勝利に気をよくした酔っ払いの主人は、店の土産物を何でもただでよいから持って行けと言うのです。 私は、この辺に出土する小さな石ころのかけらを頂きました。

灰色の断崖が続く川岸には、1本だけ赤い花を咲かせていた木がありました。それは、「紅一点」という言葉のもとになった植物でした。
万緑叢中紅一点 (緑が生い茂る草むらに、赤いザクロの花が咲いている)
北宋の詩人が漢詩にしたのです。

ザクロPunica granatum(プニカ グラナツム)ミソハギ科ザクロ属。属名のPunicaとは、古代の地中海東岸に栄えたPhoenicia(フェニキア)を意味します。種形容語のgranatumは粒状の種子を表します。東アジアに自生はなく、イラン付近から地中海沿岸地域の原生とされ、シルクロードを通り東アジアに伝わった植物です。

このザクロを漢字では、石榴と書きます。昔のペルシャ付近を安石と中国ではいいました。この地域から来た、こぶ状の実をつける植物を石榴と呼んだのです。

一方で、古い時代に海石榴と呼ばれた植物があります。その実はザクロに似ています。
海石榴とは、海を渡ってきたザクロのような実のことです。それは、何なのでしょう。

大陸で海石榴と呼ばれた植物は、ヤブツバキCamellia japonica(カメリア ジャポニカ)ツバキ科ツバキ属のことです。ヤブツバキは、朝鮮半島や中国の一部にも自生するのですが、日本がこの植物の分布の中心で海岸林に多く自生し、資源量として豊富なのです。
隋、唐、渤海(ぼっかい)国の時代、日本は、遣隋、遣唐使等を送り、大陸の文化を吸収しました。そのとき、絹などと一緒に朝貢品としてもツバキ油を贈ったのです。

ザクロの実に似ている、ヤブツバキの実には大体3つぐらいの大きなタネが入っています。このタネには重さで20~30%の油分が含まれています。

タネを搾るとツバキ油が採れます。油が貴重品だった時代に、この油は照明の燃料、料理、美容に使い、不老不死の薬とも考えられていた節があります。当時の大陸において、ツバキ油は、日本の使節団がもたらす宝物だったのでした。

海石榴。それは、ヤブツバキCamellia japonicaの古名です。このヤブツバキの実は、東アジアでは日本の特産品として知られました。 次週では、大陸のツバキ属についてお話します。

次回は「海石榴[その2] 大陸のツバキ属」です。お楽しみに。

JADMA

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