小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
日本で花開いた切り花用種[前編] ストック
2018/04/17
植物の世界では野生に生えている植物が、その地では利用があまり行われないのに、異国で盛んに利用されていることが多々あります。今回の植物記は、生まれは東アジアからは遠く離れた南ヨーロッパの地中海沿岸地域ですが、その切り花が盛んに利用されるのは、東アジアの日本というストックの話題です。
ストック(アラセイトウ)Matthiola incana(マシオラ インカーナ)アブラナ科アラセイトウ属。原生地は、南ヨーロッパの地中海沿岸地域です。野生種は基部が木本化する宿根草で、開花に低温要求性が強い植物で開花はかなり遅くなります。赤紫で一重の十字花を付け、現地では若葉を食用にするようです。ストックの属名Matthiolaは、イタリアのシエーナで生まれ、ベネチアで育った医者Pietro Andrea Gregorio Mattioli(ピエトロ アンドレア グレゴリオ マッテオリ)にちなみます。
種形容語のincanaとは、写真のように、葉が灰白の柔毛で覆われたという意味です。このような野生種から、どのように品種改良が進んだのか、古い時代の経緯は不明です。16世紀、初めてこの植物の八重が記録されました。タネをまくと約50%の確率で八重の花を咲かせる(Ever. Sporting)が見いだされ、20世紀になって、一重のストックから八重が出現する理論が確立してから本格的にストックの品種改良が進んだのです。
ストックの品種改良は、戦前までは欧米において行われてきました。写真は、ハンセンス系と呼ばれるヨーロッパの品種群です。葉色が黄色いのでヘルシーに見えないこと、茎が柔らかいことなどで、あまり世界的には普及していません。現在、世界をリードするストックの品種改良は、欧米から日本にその主役は代わりました。
ストックは、冠婚葬祭に花を多く利用する東アジアの日本において品種改良が行われ、素晴らしい品種が育成されています。私が調べた少し古いデータでは、切り花生産量は一億本ほどあります。長年ストック種子と付き合ってきた私にとって、日本のストックの歴史は知っている限りにおいて、『東アジア植物記』として残しておくべき記録だと思いますので、後ほど語りたいと思います。写真はストック「アイアンシリーズ」。この植物の花には強い香りがあり、長く伸びた花茎に総状花序を付け花色も豊富です。この品種は茎が剛直で花持ちが特に優れており、現在のストック切り花において、最も活用されている品種群です。
ストックは、日本各地で切り花生産が行われています。暖地では極早生品種のタネを夏にまいて、暖房が必要な冬の前に出荷をする夏秋栽培。寒冷地では、中生、晩生品種を使いハウスで暖房をして、冬から春に出荷をする秋冬栽培が盛んに行われています。ストックは日本において重要な切り花植物ですが、故郷のヨーロッパでは重要な切り花植物にはなっていません。それは、欧米では近代において品種改良が進まなかったことと、ストックのタネをまいて育てても、商品価値のある八重と商品価値のない一重が半分半分に出現するため、面倒なことを避ける合理性に合っていないからです。
ストック(アラセイトウ)Matthiola incanaの野生種は一重です。普通ストックのタネをまくと全て一重です。一重の花は、すぐに受精するため、花持ちが短く、豪華さがありません。タネをまくと、一重が約半分、八重が約半分出現するEver. Sporting系が今の園芸種としてのストックの元なのです。ストックの切り花栽培の場合、農家はタネをまいて小さな苗の状態で、鑑別作業を行い、八重を選んで圃場に定植します。その作業を八重鑑別といい、経験が必要な仕事なのです。
八重鑑別は、何回かに分けて行い、八重率90%以上にしないとプロの仕事ではありません。まず発芽したての時期に第1回目の鑑別をして、一重と見られる苗を抜き取ります。この場合、発芽が早く双葉が大きいのが八重で、逆に発芽が遅く、双葉の小さな株が一重の確率が高いのです。また、子葉の色が薄いのが八重で、濃いのが一重の可能性があります。その形状の違いをマーカーといいます。
私なら、この段階で★印の苗を抜きます。私の心眼がどのくらいか分かりませんが、若いころの八重鑑別における成績は88%の八重率でした。
マーカーは絶対的ではなく相対的です。他と比較しての判断なのですが、指針は写真の通りです。
ストックの育苗をして、圃場に定植するまでに八重鑑別の作業が必要なのです。これが、欧米の栽培農家に嫌われるゆえんです。日本の農家は、その労苦をいとわない勤勉性を発揮してストックの切り花生産を行っているのです。
Matthiola incanaのEver. Sportingという突然変異がストックと呼ばれる植物に商品性をもたらせたこと、そして勤勉な日本の生産者によって、切り花ビジネスが成り立っていることをお話ししました。もう少し理論的にEver. Sportingという変異とその理論について語りたいと思います。野生のストック(アラセイトウ)Matthiola incanaは、全て一重でした。その突然変異として、タネをまくと一重と八重の花が約半分半分に出現するのがEver. Sportingです。
一重の形質が、ストックでは顕性です。Ever. Sportingの後代はメンデルの分離の法則によって本来は、以下のシミュレーションによって 1:3の割合です。
ところが、実際に交配してタネを採ると、一重と八重の割合は、ほぼ、半々5:5なのです。それは、花粉細胞の遺伝子における一重の因子が致死遺伝子とリンクしていてその遺伝子が欠落してしまうと考えられているのです。その仮説に基づき、シミュレーションをすると、なるほど、一重と八重の出現割合は半々になります。この理論がストックのEver. Sportingの原理と考えられています。
次回、「日本で花開いた切り花用種[後編] ストック」では、戦後の日本をストック王国にした品種改良の歴史を振り返ります。お楽しみに。