小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
悠久の榧樹(カヤ)[後編]
2018/09/25
桑が折れると書く桑折は、こおりと読みます。福島県伊達郡桑折町大字万正寺大榧4番地には、カヤTorreya nucifera(トリーア ヌキフェラ)イチイ科カヤ属の巨木が生えています。カヤは、暖地の木なので東北が自然分布の北限域になります。幹周9mに近く、木の高さ16.5m。推定樹齢900年といわれるのですが、私の見立てでは、1000年を超えていると思います。今までこれほど見事なカヤの木を見たことがありません。
JR福島駅から程近い片田舎に桑折(こおり)という駅があります。ここから徒歩20分、道標のない道を歩きます。
万正寺(まんしょうじ)というのでお寺を探していたら突然道端にその巨木が現れました。大カヤは寺ではなく万正寺という地名の住宅地に生えていました。それにしても大きな木です。直幹で真っすぐに立つ木を想像していましたが、その直径20mくらい、裾野の広い円すい形に広がる樹形でした。
大カヤは四方に広がる樹形なのですが分岐樹ではなく単幹でした。地上から2m内外のところで大小いくつもの枝が広がっています。そして、枝は負の極性を持ちしだれ性、それにしても実に堂々とした腰つきをしています。
その木全体は、カメラに収まらず、部分を撮影して合成してみたのが上の写真です。『日本一の巨木図鑑』(宮誠而著、文一総合出版)は、「大きさ」「品格」「保護の状況」から判断してカヤの日本一にこの木を選んでいます。私も異論はありません。
しかも万正寺の大カヤは、1000年近い樹齢ながらいまだ命がみなぎり衰えをみじんも感じさせません。枝には、数えることなど到底不可能なほどの実をたわわに付けているのです。
これくらいの巨木になるとすごい量の実を付けます。それは食料の乏しい時代、貴重な糧であったに違いありません。
皆さんは、カヤの実を食べたことがありますか? 職場で多くの人に「カヤの実を食べたことある? 」と聞いても誰からも食べたことがあるという答えは返ってきません。しかし、その昔は、カヤは身近に生え、多くの人々がカヤの実の恩恵に浴してきたことは明らかです。縄文時代の貝塚からはカヤの実が見つかり、相撲の土俵の鎮め物の1つにカヤの実を供えます。神社に奉納したり、小野小町を愛した深草少将(ふかくさのしょうしょう)の物語『百夜通い(ももよがよい)』にも日数を数えるのにカヤの実が出てきます。カヤの実は、アーモンドぐらいの種実で堅い外種皮の中に焦げ付いたような内種皮があります。そのままでもいいのですが。爪でこそげ取り食べます。
カヤの実をいって仕上げると香ばしく、深い深い森の味がします。木の実の中でも最高点をあげたいくらいにおいしいのです。お気に入りの松ぼっくりを並べ、樹脂の香りがするジンを口に含むと大好きな針葉樹の森林を歩いているような気持ちにさせてくれます。
カヤの実からは、今では高級な油が採れます。油糧作物が少ない時代、海岸部では椿油が、山地ではカヤの実油が使われていたのだと思います。それは、ともしび、整髪料、料理など多目的に使われていました。さっぱりとしてコクがあるナッツの香り、森の香りがします。
カヤTorreya nucifera は、日本の照葉樹林に生える身近な針葉樹でした。しかし今のカヤは、神社やお寺の森など、神様や仏様に守られ古木が残されています。その昔、人々が材木を利用し、実を食料や油にしていたカヤはいずこに行ったのでしょうか? 今ではカヤは希少木の1つになってしまいました。
カヤは長寿の木です。その代わりに成長が遅いのです。人の都合で伐採するとその場所によみがえることはありません。私たちは1000年の尺度でカヤたちと付き合うことができるのでしょうか? 北米をはじめ、東アジアに生えるカヤ属はみな、生息域の喪失と人による伐採の脅威にさらされています。
万正寺の大カヤは、次の世代もしっかり育てていました。この子が大人になるまで300年の月日、そして1000年の時を生き、無事天寿を全うすることができるでしょうか? 私たちの生はあまりにも短くはかないものですが、カヤTorreya nuciferaは、悠久の時を生きる植物なのです。
次回は「鳳凰の木 青桐(あおぎり)」です。お楽しみに。