小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
葦原中国(あしはらのなかつくに)[前編] ガガイモ
2018/12/11
間もなく一年で最も太陽の出ている時間が短い時を迎えます。長い夜に読書をするのも時を過ごす楽しみの一つだと思います。日本で最も古い物語といわれる『古事記』を改めて読み返しました。『古事記』は7世紀に天皇の命を受けて作成されたとされる神話ですが、この書物を植物学の観点から眺めてみることにしました。
『古事記』では、天地創造の神である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が日本列島とさまざまな神様を産みました。彼らの娘である天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、伊邪那岐命に「お前は私に代わって高天原(たかあまがはら)を治めよ」と言いました。伊邪那岐命の息子である須佐之男命(すさのおのみこと)には、「海原を治めよ」と命令されますが、須佐之男命は黄泉国(よもつくに)にいる母である伊邪那美命が恋しく甘えん坊です。少しも仕事をしないで乱暴ばかり。しまいには高天原を追放されます。しかし、葦原中国(あしはらのなかつくに)の出雲の国で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治しました。
この物語には、天の神様が住む高天原と死者の国の黄泉国、そして人の住まう葦原中国が登場します。この書物で最初に出てくる植物は何でしょうか? それはアシです。
もともとの人間は、天土にある動植物などを採取し、または狩猟して生活していました。おそらくドングリや清らかな水が容易に手に入る山住みの生活であったと思います。人々が定住して農業を始めると生産力のある平地に住むようになります。縄文時代は、縄文海進といって海水面が上昇して陸に水が進入した時代です。その後には海が後退し広大な湿地が広がっていきました。そしてそこには、豊かな葦原が広がっていたのでしょう。農業を、そして稲作を始めた人たちに一番身近にあった植物がアシであったことは容易に推測できます。アシPhragmites australis(フラグミテス アウストラリス)イネ科アシ属。アシの種形容語は南方系を意味します。アシは東アジアをはじめ、温帯から熱帯の湿地、あるいは水中に抽水して生育します。成長は早く、1年で4m程度は育ちます。現代では、アシをヨシともいいます。アシが「悪し」に通じるがゆえに人間の都合で和名を読み替えているのです。
アシの次に『古事記』に出てくる植物としては、クス、ノブドウ、モモ、サカキ、アサ、ヒカゲノカズラ、マサキ、イネなどの五穀などがあります。『古事記』には大陸から日本に伝来したとされるクス、モモ、イネの表記がすでにあるので、歴史公証にも『古事記』のような古(いにしえ)の記述は貴重なのだと思います。『古事記』に記載のある植物のうち、日本の国にもともと自生があり、野に生える植物としての記述で面白いのはなんといってもガガイモだと思います。
大国主命(おおくにぬしのみこと)は須佐之男命の孫。葦原中国の国づくりを担うことになりました。大仕事をどのようにすればよいか悩んでいると、波頭の白く立ち騒ぐ沖の方から天乃羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って駆け付けた小さな小さな神様がいました。そして、その神様は大国主命の国づくりを手伝うことになります。その神様が少名毘古那(すくなひこな)です。天乃羅摩船とは、ガガイモの果実の皮で作った舟です。ガガイモの果実の皮は舟みたいな構造で外皮と内皮からなり水に浮きます。そして内皮は水を通さない丈夫なクチクラ層で覆われています。
ガガイモは、路傍や葦原などの原野に育ち、晩秋に10cm程度で舟の形をした実を付けます。ガガイモMetaplexis japonica(メタプレクシス ヤポニカ)キョウチクトウ科ガガイモ属。和名は蘿芋(ガガイモ)。カガミグサ、カガミイモ、ジガイモ、乳草(ちちくさ)など、さまざまな名前で呼ばれます。これら多くの名は、古くから人々に親しまれた証拠です。
ガガイモは、日本をはじめ東アジア一帯の路傍、林縁、空き地、原野などに生える雑草的なつる性の植物です。ガガイモは地下茎を伸ばし増え、葉は長さ10cm程度の長い卵形で先端が尖ります。8月の暑い盛りに葉腋から集散花序を伸ばしこのような花を付けます。色は、ピンクからホワイトまであり、ガガイモの花が咲くと周りによい香りを放ち花に訪れる虫たちを集めます。
ガガイモの花はよく見ると複雑で面白い花を付けます。花弁5枚で軟毛に覆われます。その姿はまるでオニヒトデのようです。花の中央から飛び出ているのが雌しべだと思われていたのですが、最近では認識が変わりただの飾りといわれています。雄しべ、雌しべは副花冠の下に開いた隙間の中にあるのです。
ガガイモは、身近な道端ややぶで見かける植物ですが、花を咲かせているところや実を見つけることはまれです。なぜでしょうか? それは、迷惑な雑草として草刈りをされてしまうからです。また、都会で咲いても花に訪れる虫が少ないと実を結びません。晩秋の葦原でガガイモの実を見つけたときは宝物を見つけたように喜びました。
ガガイモの果実は紡錘形です。このような未熟な果実をオクラのように食べるというのですが、キョウチクトウ科の植物ですから食べない方が無難です。この果実をもぎ取ると切り口からガガイモ特有の乳液を分泌します。この植物を乳草と呼ぶゆえんです。その乳液は、いぼにつけいぼ取りに使うそうです。ガガイモは茎や根を漢方に使います。ヘビにかまれた傷に特に有効だそうです。そして男性の強壮に使用したり、腸内寄生虫の駆除にも使うとのこと。葦原中国の時代に、ガガイモは人々の健康に有効で身近な植物だったのだと思います。
ガガイモの果実は、乾燥すると割れて中から種を出します。種には種髪(しゅはつ)といわれる毛が生えていて整然と果実の中に格納されています。
この種髪は乾燥すると四方八方に広がり綿のようになります。その繊維は驚くほどの繊細さです。その太さはミクロン単位。この毛に空気がまとわり付き空中に放つとスローモーションのように空間に漂うのです。この繊維は人工物では無理なほど精巧なものです。
葦原が普通に広がっていた時代、ガガイモがアシに絡み付き花を咲かせ豊かに実を結び人々に利用されていたのでしょう。『古事記』を植物的に読み返すとそんな妄想が湧いてきました。本当にこのガガイモの果実の皮はよくできた小舟です。少名毘古那が羅魔の小船(ガガイモ)に乗って海を渡ってきたという話は、よほどの植物観察眼がないと書くことはできません。昔は、人間と植物との関係が今よりもっと親密であったのでしょう。
次週は葦原中国の後編、湿地に生える珍しいセンブリのお話です。
次回は「葦原中国(あしはらのなかつくに)[後編] イヌセンブリ」です。お楽しみに。