小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
葦原中国(あしはらのなかつくに)[後編] イヌセンブリ
2018/12/18
豊かに葦原が広がる日本の原風景。それは『古事記』では葦原中国(あしはらのなかつくに)、あるいは豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)とも表現されます。葦原の話を終える前に葦原などの湿地に生育する珍しいセンブリと海浜植物に進化したさらに珍しいセンブリを紹介します。
「東アジア植物記」ではいろいろなセンブリを紹介してきました。センブリSwertia japonica (スウェルティア ヤポニカ)リンドウ科センブリ属。草丈は通常10~15cmくらい。葉は細く線形で長さ1~3㎝、花の大きさは1.5cm程度の小さな草です。
センブリは、日本をはじめ東アジアの各地に自生し日当たりのよい草原に生えますが雑草的ではなく、豊かな自然が残っている場所に生えます。現代では草原環境の減少によって見ることが難しくなっています。しかし、センブリは広範囲に分布し種子で更新する二年草ですので、さまざまな環境、特殊な環境において種分化を起こしています。
始めは、葦原に生息するセンブリの話です。アシは水の中か、もしくは増水時に水没する生態系に生えます。葦原で生活するには、アシと同じように水没しても生きていく能力が必要です。
イヌセンブリSwertia diluta(スウェルティア デイルタ)リンドウ科センブリ属。種形容語は、弱い様子を表します。花期はセンブリと同じかさらに遅く晩秋の11月。センブリより背が高くほっそりした印象です。
イヌセンブリは、草原に生える基本種のセンブリが湿原環境に合わせ分化した種だと思います。葦原や湿原では背の高い他の草が多いので細長く育ち40cmほどの草丈になっていました。この種は湿原の開発によって全国で姿を消そうとしていて絶滅の危険が増大している種(絶滅危惧Ⅱ類)に指定されています。
広大な湿地にあって、何の情報もなく小さな草を探すのは絶望的なことだと思います。しかも、このような絶滅危惧種の情報は容易なことで得ることはできません。イヌセンブリの和名は、薬用にならない、役に立たないという意味ですが、センブリよりはるかに生息数は少なく希少なセンブリです。このかわいらしいイヌセンブリの姿を私は目に焼き付けました。もうイヌセンブリと呼び捨てにできません。オイヌセンブリと「御」付けて呼ぶことにしました。
イヌセンブリは、センブリ同様、がく片と花弁は通常5枚。センブリより花冠が細く同じように紫のしま模様が入ります。一番の特徴は、毛状突起がとても長く縮れ、花冠の半分ほどの大きさになることです。このもやもやした花を見ればセンブリとイヌセンブリの区別が付くと思います。
さて今度は違うセンブリです。人も寄り付かない断崖で海を見ながら暮らすセンブリがあると聞いて駆け付けたのは伊豆半島の突端です。その名もソナレセンブリ。ソナレとは「磯馴」のこと。海水の飛沫と強風を浴びながら暮らすのはつらいことです。なぜなら塩が葉などに付くと浸透圧の関係で水分が葉の外側に移動し浅漬けのように葉の水分が抜けるからです。強い日差し、塩分と強風という環境に即した体のつくりに進化しないと、海岸で生息することはできません。そのような進化を磯馴(そなれ)というのです。ソナレセンブリとはどのような植物でしょうか?
海やそれに続く海岸には強風を遮るものはありません。植物たちは潮風でちぎれ、地面をはいます。そうした植物たちの葉を口に入れるとよいあんばいに塩味が付いています。ソナレセンブリが生えている場所には、イズアサツキが生えていました。イズアサツキAllium schoenoprasum var. idzuense(アリウム スコエノプラスム イズエンセ)ネギ科ネギ属。アサツキの変種でシロバナアサツキともいいます。種形容語は、イグサのようなニラという意味を持ちます。通常立性のネギ属がほふく性になっているほど風の強い場所です。伊豆で発見されたこの種は狭い地域に限定的に生えますので 絶滅危惧IB類に指定され、このような生息地が開発されると絶滅の淵に立たされます。
それは、ソナレセンブリも同じです。ソナレセンブリ(磯馴千振)Swertia noguchiana(スウエルティア ノグチアナ)リンドウ科センブリ属。種形容語は人名です。そこは海のすぐそばで周りにはイズアサツキ、ハチジョウススキがあり一緒に仲良く生えていました。
ソナレセンブリは、風の影響を避けるため極わい性に育ち草丈は5cmほど、線状だった葉は短く硬いヘラ状になっていました。しかも葉肉は厚く、硬くなり多肉植物を思わせます。葉の表面はテカテカで塩分の飛沫をブロックするようにクチクラ層を発達させていました。
ソナレセンブリも絶滅危惧IB類に指定されています。牧野植物図鑑にも記載のないとても珍しいセンブリです。世界でも伊豆半島と伊豆諸島にしか自生しません。ソナレセンブリの生えている所々で、土が掘り返されて根があらわになった株をいくつか見ました。誰がこんなことをしたのか悲しくなりましたが、たぶん穴の掘り方からしてイノシシの仕業です。そんなことにもめげずソナレセンブリが自然の中で生き続けてほしいと願うばかりです。
次回は「石蕗(ツワブキ)の花」です。お楽しみに。