小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
小さな沢植物[前編] チャルメルソウ属
2019/04/02
日本は、温暖で一年を通じ雨がよく降ります。年間平均降水量は世界平均の2倍ほどあり、木々はよく茂りうっそうとした山地があります。年間降水量の世界平均は880ミリ。日本のそれは1700~1800ミリです。日本は、沿岸を世界最大規模の暖流である黒潮が流れ、台風による降水もあります。そして何よりアジアモンスーンの終着地という地理的場所に位置しているのです。
国土の急峻(きゅうしゅん)な地形によって水蒸気は冷やされ雨になり、山地の谷には渓流が豊富にあります。そして小さな沢は数えることができません。温暖で湿潤な環境には、日本ならではの草木があります。
豊富な水に支えられ、その水辺をよりどころに生きる小さな植物が日本にはたくさん生息しています。この時期、春の沢に生える小さな小さな草のお話です。
この植物の花は、アジの骨みたいな奇妙な形をしています。花の大きさは1cm足らず各々のパーツはミリ単位でカメラの焦点が定まらないほどの小ささです。この、魚の骨みたいな構造物、実は花弁なのです。どうして、このような形をしているのでしょうか? この奇妙な花にどのような意味があるのでしょう?
コチャルメルソウMitella pauciflora(ミテラ パウシフローラ)ユキノシタ科チャルメルソウ属。種形容語のpaucifloraとは、少数の花paucus(少数)+flora(花)の合成語です。
コチャルメルソウは、地域固有種が多いチャルメルソウ属の中で意外と分布域は広く、本州、四国、九州の山地の沢筋など湿った場所に原生します。関東の山地で見られるのはこの種だけです。コチャルメルソウの葉は根出で地下茎でつながって増える多年草です。株だけ見ると細かい腺毛が全草に生え、ヒューケラやズダヤクシュによく似ています。
春3~5月ごろ15~20cmほどの花茎を立ち上げ少数の花をまばらに付けます。このあたりがpauciflora(少数の花)という種形容語の元になっているのでしょう。
コチャルメルソウのチャルメルとは、楽器のチャルメラ(哨吶)のことです。古い時代中国から伝わったとされる楽器ですが、日本では夜鳴きラーメンの客寄せに使われるのです。短い花茎の先にラッパのように開いた花姿がチャルメラに見えたのでしょうか?
ミリ単位のこの花のディテールを見極めるのは目視では無理です。その小ささでもチャルメルソウ属は虫媒花なのです。チャルメルソウ属はそれぞれ固有のキノコバエ類と関係を持って花粉のやりとりをしていることが知られています。その際にアジの骨みたいな花弁にキノコバエ類は6本の脚を止まり木のように掛け、花の蜜を吸うのです。左の画像は、チビクロバネキノコバエと思われる写真です。この仲間は全世界で2000種以上が記録され、その数が定かでないほど多様な生き物です。
日本の地方にしか生えていない固有のチャルメルソウ属を二つ紹介します。
ツクシチャルメルソウMitella kiusiana(ミテラ キウシアナ)ユキノシタ科チャルメルソウ属。名前の通り九州に原生します。
コシノチャルメルソウMitella koshiensis(ミテラ コシエンシス)ユキノシタ科チャルメルソウ属。種形容語は、新潟の越後地方を表します。こちらも、日本の新潟県と富山県の沢に固有の種です。
チャルメルソウ属は、日本固有の種が多く、山地の谷あいや沢など水辺や湿った場所が生息に必要です。急峻(きゅうしゅん)な日本の地形にそれぞれが孤立し地域ごと、山地ごと、あるいは島ごとに特定のキノコバエ類と共生関係を結んで種が分化したと考えられます。東アジアには10種以上あり、ほとんどが日本の固有種です。台湾に1種が報告されますが、大陸には分布していません。温暖で湿潤な日本の環境こそがチャルメルソウ属の存続に必要だったのだと思います。
フタバチャルメルソウMitella diphylla(ミテラ ディフィラ)ユキノシタ科チャルメルソウ属。北アメリカ東岸に分布する雪の結晶みたいな花を付ける美しいチャルメルソウです。世界的視野でチャルメルソウ属を見ると、この植物たちは北アメリカと東アジアに隔絶して分布しています。ただ1種、マルバコチャルメルソウMitella nuda(ミテラ ヌダ)ユキノシタ科チャルメルソウ属だけが、南アルプスの限られた山系と北海道東部に生え、国外ではシベリアから北米へと超広域分布を示すのです。小さな沢に生え、目で確認できないほどのチャルメルソウ属ですが、ベーリング海峡が陸橋となってつながっていた、地球の歴史を秘めているのです。
次回は「小さな沢植物」[中編] ワサビ属です。お楽しみに。