小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
夏の野生ラン サギソウ[前編]
2019/07/16
春の花が終わり本格的な夏の季節が訪れるころ、東アジアの各地では夏の野生ランが開花の季節を迎えます。ランは世界で700属以上、種の数も1万5000以上あります。南極を除く全ての大陸にラン科の植物は生息し適応放散が著しい植物でもあります。特殊な環境、限られた環境に三次元的にも生えるために種類数は多いものの個体数は多くありません。そのために野生ランに巡り合うことは難しく出合えたときのうれしさは例えようがありません。世界球果図鑑を少しお休みして、夏のランに会いに行きましょう。
No.1 サギソウPecteilis radiata(ペクテイリス ラジアータ)ラン科サギソウ属。種形容語のradiataとは、放射状という意味です。サギソウPecteilis属は、アジアの地生ランです。 Habenaria(ハベナリア)という表記をよく見ますが、今ではsynonym (シノニム)異名とされています。
サギソウは、東アジアの湿地に生える地生ランです。日本では本州、四国、九州の広い範囲に分布していますが、自然界でその姿を見ることは非常にまれです。湿地の開発によって自生地が減少し、自然の変遷や盗掘によって個体数が減り続けています。現在多くの都府県で絶滅が危惧される状況です。
梅雨明けごろ、自生地の湿地にサギソウを見に行きました。盗掘の問題があり残念ですが自生地の地名は伏せておきたいと思います。サギソウは日当たりのよい湿地に生えます。原野にはオレンジ色のコオニユリも咲いています。
広い湿原にサギソウを見つけることは至難の業です。花が咲いていなければ発見することはできないでしょう。白い小さな花が咲いています。アシやハギ、夏草に隠れてつつましく咲いているではありませんか。
サギソウは、日本をはじめ、中国、朝鮮半島、極東ロシアの低湿地に稀産する球根性の地生ランです。春の3月に球根から芽生え7~8月に茎を1本立ち上げ先端に1~3個の花を咲かせます。花の大きさは3cmほどです。
それにしても、サギソウは、シラサギの飛んでいる姿に本当によく似ています。それは自然の造形の妙ともいえます。ランの花は左右対称に作られていてそれぞれの種で複雑な構造になっています。サギソウも花の構造が複雑なので解説します。まずは裏側からです。花の裏側には緑色のがくが3枚あります。両側を側がく片、中央が背がく片です。訪花昆虫を誘うための蜜の入れ物である距は、4cmほどの長さで花の直径より長く、先端にいくに従って太くなり、先端は平らになります。
手に持っているのが筒状の距の先端部分です。先にいくに従い太くなり、たくさんの蜜を蓄えます。蜜は人間がなめても十分な量があり甘く美味です。
唇弁は大きく3つのパーツに分かれています。真ん中を中裂片といい両側が側裂片です。上弁は2つの側花弁になっています。サギソウは、Pecteilis radiataという学名で、種形容語の radiataというのは放射状という意味です。その名の通りサギソウの唇弁である側裂片の先端は放射状に広がっています。
花の核心部分を示しました。サギソウの花粉を媒介するのは、大型のスズメガ類であることが知られています。4cmもの長い距はスズメガの口吻に適合しています。この虫が距の入り口から口吻を差し入れるときに、粘着体が虫の頭部分に付着します。粘着体は葯室(やくしつ)にある花粉の塊(花粉塊)と連動していて虫の頭に付く仕組みです。この虫が他のサギソウの蜜を吸いに移動すると花粉塊の中の花粉が距の入り口付近にある柱頭に付くのです。
ラン科植物は、花粉を媒介する昆虫との共生関係において最も進化したグループの一つとされています。サギソウが花を咲かせるのは、異なる遺伝子を得て形質の多様性を持った子孫を残すためです。サギソウの花に指で触れると粘着体が花粉塊を伴い付着しました。これがスズメガ類との間で起きるわけです。
サギソウの花を訪れ花粉を媒介する昆虫は、夜に活動する大型のガであるスズメガです。 純白の花色は、夜でもはっきり見えます。サギソウは花に訪れる闇の住人たちに自分の存在をはっきりと示すのです。放射状の側裂片は、花の大きさを少しでも大きく見せる工夫なのだと思います。
次回は「夏の野生ラン サギソウ[後編]」です。お楽しみに。