小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
夏の野生ラン サギソウ[後編]
2019/07/23
東京都世田谷区は緑豊かな住宅地です。神奈川県と東京都を分ける多摩川は、長い年月をかけ大地を削り国分寺崖線といわれる崖の連なりを作りました。この影響で世田谷区の多摩川沿いは、緑地と水が湧き出る地域になっています。世田谷区の地図を広げると、下北沢、深沢、駒沢、そして奥沢と沢が付く地名がたくさんあります。そこにはその昔、崖から水が染み出す沢の風景があったのです。奥沢付近には、奥沢城址があり鷺の谷という旧名があります。湿地にはサギソウが原生していたといわれ、語り継がれる悲しいサギソウ伝説があります。
電車や車で、神奈川から東京方面に多摩川を渡ると川に沿って、緑豊かな緑地が帯状に見えるはずです。それが国分寺崖線です。その規模は大きく、立川市~大田区まで多摩川にほぼ平行して、10~20mの高さで崖が30kmにも連なります。それは、サギソウ伝説が生まれた地域の地形でもあります。
サギソウ伝説には諸説ありますが、その一つを紹介します。
その昔、世田谷城に吉良頼康(きらよりやす)というお殿様がいました。奥沢城主、大平出羽守の娘である利口で美しい常盤(ときわ)姫を側室にし、こよなく愛していました。常盤はほどなく身ごもったのですが、他の側室はそれを妬み常盤が他の男と密通をしている噂を流します。吉良は激怒し、常盤に冷たくあたります。常盤は愛情を疑われた悲しみにくれ、死のうとかわいがっていたシラサギの足に遺書を結び付け、自分の育った奥沢城へ向けて放ちました。たまたま奥沢で狩りをしていた吉良は、そのシラサギを矢で射落とし遺書を発見し常盤の無実を悟ります。
吉良は、慌てて世田谷城に帰ったのですが、常盤は自害し、胎児と共に息を引き取った後でした。その後、使命半ばに倒れたシラサギの体からサギソウが咲くようになったのです。それは、あまりにも悲しいサギソウ伝説です。
東京都世田谷区は、区民の公募からサギソウを区の花に制定しています。まちづくりセンターや、フラワーランド(瀬田農業公園)などでは、栽培の講習会を行い展示会などが行われています。
フラワーランドは、花作りを楽しむ公園として開園されました。この施設では、区民が花作りを園芸の基礎から学ぶ教室が設けられ、卒業をすると友の会に入会して、自分の好きな植物について自主的に活動をしています。ハーブ班、宿根草班、バラ班、菊班、アサガオ班など、皆思い思いに好きな花作りをしています。
フラワーランドの観賞花壇です。花作り教室の生徒さんがデザイン、花の種まきからの栽培、植え付け、その他の管理をしています。
一般向けの園芸教室もフラワーランド友の会のボランティアさんが行います。フラワーランドは、花作り、花を愛するボランティアさんの活動拠点なのです。園芸相談員も常駐していてほぼ年中無休のサービスが受けられます。私は仕事柄、全国の園芸事情に詳しい方ですが、このような取り組みをしている場所は少ないと思われます。
ここにはサギソウ班があり、園内で咲かせるサギソウのほか、世田谷各地のイベントなどで見せるサギソウの栽培をしています。そして、栽培技術の研さんが行われ大変立派なサギソウを毎年咲かせています。
これは、私が育てたサギソウです。トワダアシと共に育てています。少しでも自生地に近い環境づくりが肝要です。平地の日当たりのよい湿地に生えるサギソウの栽培は難しくありません。同じような湿地の環境を再現すれば何年でも育てることができます。しかし、毎年温暖化が進み夏のサギソウの傷みが気になっています。
フラワーランドでは、植え付けにはミズゴケ単用ではなく、鹿沼土にマグァンプKを少量混ぜて使用し、その上にミズゴケでマルチングをしていました。暑い夏を乗り越えるためには、経験上この方法がよいのだといいます。
今年もフラワーランドでは、たくさんのサギソウの開花株をたくさん見られます。早生種は7月上旬から、晩生種は8月上旬までが見ごろです。世田谷では野生のサギソウは絶滅しました。しかし、世田谷人たちの間では悲しい伝説と共にサギソウが愛され、各地で栽培されています。ここでは、個人やボランティアさんと、行政が一緒になってサギソウを大切に育み守っているのです。
次回は「夏の野生ラン ツレサギソウ属」です。お楽しみに。