小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
夏の野生ラン チドリたち[前編]
2019/08/13
夏の野山で出合える野生ラン。サギたちの次は、チドリと名の付く野生ランの登場です。野生ランを見掛けることは少ないですが、いるところにはいます。寒い冬は寝て過ごし、暑い夏は避暑地で暮らすランたちは多いのです。ランの仲間は、低地より標高の高い場所を好み、蒸し暑い場所は苦手です。今回は、ラン科ハクサンチドリ属とテガタチドリ属、そしてノビネチドリ属についてお話しします。同じようで違う3属の夏の野生ランを見てみましょう。
No.4 ハクサンチドリDactylorhiza aristata(ダクティロリザ アリスタータ)ラン科ハクサンチドリ属。種形容語のaristataは、とげや切っ先の意味です。3枚のがくの先と唇弁の中央が鋭く尖っているからです。なるほど、3枚のがく片と唇弁が展開する姿は確かに機敏な小鳥が飛び立つ姿に見えなくもありません。
ハクサンチドリの花をアップすると、短く太い距(きょ)が後ろに伸びているのが分かりました。大きく丸く開いた距の入り口は口吻の長い昆虫でなくても、体を中に入れれば蜜は吸えそうです。粘着体と葯(やく)が上についているのが分かります。ハクサンチドリは、蜜を求めて虫が体をねじ込むと花粉塊を背中に付ける構造をしている花です。
ハクサンチドリの花を見上げると、上からかぶさるように蕊柱(ずいちゅう)が付いています。虫の背中に花粉塊を付ける構造です。その後で別の花に蜜を吸いに訪れると蕊柱が背中にスタンプを押すように下りてきて花粉を受け取る仕組みになっているのだと思います。
ハクサンチドリ属Dactyloryzは少数の葉を付ける小型の寒地型野生ランですが、資料では草丈100cmに及ぶ種もあるようです。ヨーロッパを中心として北半球に100種ほど分布しています。オランダのアムステルダムの街中の湿った空き地に雑草のように生えていたのを見たことがあります。この地域では品種改良で園芸品種化が行われていますが、東アジアでは珍しい夏の野生ランなのです。花は総状花序で唇弁は3裂、花色は赤紫色から白色、多くは唇弁に斑点状の蜜標が付くので英語では spotted orchid といいます。
ハクサンチドリは、日本では本州中部の山岳地帯から北海道に生息し、他の東アジアでは、サハリン、カムチャッカ半島、アリューシャン列島を通り広くアラスカまでに原生します。 特に涼しい環境を好む地生ランです。本州の中部では森林限界を超えた草原や湿った湿原でよく見掛けます。
ハクサンチドリの和名は、石川県白山にちなみます。そこは、花の百名山にも選ばれる山です。この植物は暖地では高山植物ですが、北に行くに従い原生する標高が下がり生息量も増えます。写真は、岩手の盛岡から三陸の宮古に行く途中、早池峰山の登山口のバス停前、草丈20cm程度で群生していたハクサンチドリです。
ハクサンチドリと同じ生息環境には、いくつか違うチドリと名が付く野生ランが生息しています。
No.5 テガタチドリGymnadenia conopsea(ギムナデニア コノプセア)ラン科テガタチドリ属。種形容語のconopseaは、ギリシャ語のkónopsからで、ハエやブヨに似たという意味とされています。花の形がそれらに似ているからです。テガタチドリは、虫を呼び寄せるためによい香りがするので外国では fragrant orchid と呼びます。残念ながら私は香りを嗅ぐのを忘れてしまいました。
テガタチドリは背丈が20~60cmになるスレンダーな美しい地生ランで森林限界を超えた草原で見ることが多いのです。このテガタチドリの仲間はユーラシア北部に分布し、東アジアの冷温帯に少数が生息します。日本では本州中部の高山から東北、北海道に生えます。
テガタチドリは、漢字では「手形千鳥」と書き、地下茎が手のひらのように広がっているというのです。しかし、いくら好奇心があっても希少な野生ランを掘り出し、地下茎を確認することはいけません。そのままにしておきましょう。
花を拡大しました。がく3枚と花弁3枚はお分かりでしょう。花弁3枚のうちの1つである唇弁は短くそして丸く3裂しています。距は短いようです。花と花の間に細長く上に向いて斜上しているは葉の一部である苞です。
次週に続きます。
次回は「夏の野生ラン チドリたち[後編]」です。お楽しみに。