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連載

世界球果図鑑[その12]

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。

世界球果図鑑[その12]

2019/10/15

奥羽山脈から流れ出た米代川は、能代で日本海に注ぎます。川は大地を削り細かな砂となって海岸に積もります。この地はシベリアから日本海を抜けて吹き付ける季節風がとても強く、その砂は飛砂(ひさ)となって家屋や農地を埋め尽くしてきました。能代は秋田杉の木材集積地でもあり火事になると強い風でその勢いを止めることができず、歴史的大火を幾度となく繰り返してきたのでした。

秋田県の米代川は、山地の秋田杉を切り出し能代まで運ぶ動脈でした。河口には能代があり、そこは秋田杉の営林、加工、運搬の地だったのです。

強い季節風に悩まされた能代の人々は防風、防砂、防災のために広大な砂浜に江戸時代からクロマツを植林してきました。

風の松原。総面積約760ヘクタール、クロマツの植栽数は700万本です。日本には風光明媚(めいび)な松原が各地にありますが、これほどの規模で人間が植えたクロマツの松原は類するものがないと思います。

風の松原を歩くと、その広さと人々の郷土への思いの深さを感じないわけにいきません。営々と木を植えてきた人たちは、自分の孫や子の世代のためにクロマツを植えたのだと思います。松原を歩くとそんな先人たちの思いが伝わる気がします。

No.25 クロマツPinus tunberugii(ピヌス ツンベルギー)マツ科マツ属。種形容語のtunberugiiは、カール・ピーター・ツンベルギーにちなみます。クロマツは、東アジアに固有の植物であり、日本の本州から九州にかけての海岸などに原生するマツです。朝鮮半島南部の海岸沿いにも原生があると聞きますが、確認できていません。日本ではマツといえばクロマツを指すぐらい日本を代表するマツといえます。

クロマツは、典型的な陽樹であり日当たりと水はけさえよければ生育場所を選びません。岩の割れ目や砂地、荒れ地、崩壊地などにいち早く生育を始めるパイオニアプランツでもあります。また、潮風にも強く、日本の岩礁海岸などで独特の景観をつくります。

クロマツの和名の由来は、単純に幹が黒いからです。樹皮は亀甲状に割れ目が入り、枝は剛直で太く、枝は四方八方に力強く伸びます。クロマツは常緑の高木であり、樹高66mの巨木の存在が記録にあります。それほど大きくなるマツです。

葉は剛直で2枚一組の2針葉。平均で12cm程度の長さがあります。球果は2年ほどで成熟し、羽の付いた種子を飛ばします。クロマツの種はよく発芽し、生育が早いので実生での繁殖が普通です。

クロマツの球果です。海岸や公園に行けばたくさん落ちているのですが、デコレーション用に買うと意外と高い値段にびっくりするでしょう。クロマツの球果の大きさはまちまちで、小さいものでは3cm、大きなものでは7.5cmほどです。

クロマツは各地に名木、巨木があります。写真は、「大蛇(おろち)の松」です。枝葉が周りの木々に隠れ、黒い幹だけが蛇の姿に見え不気味です。樹齢約300年、江戸時代に松平讃岐の守の下屋敷であった場所に生えていました。

No.26 アイグロマツPinus x densi-thunbergii(ピヌス デンシ ツンベルギー)マツ科マツ属。学名は、この種がアカマツとクロマツの交雑種であることを示します。クロマツのような剛直な葉と枝を持ち、幹が赤いのです。

写真は「奇跡の一本松」といいます。2011年3月11日、東日本大震災に伴う津波で岩手県陸前高田は未曾有の大被害にあいました。浜にあった高田松原も壊滅。たった1本だけが残りました。残念ながらこの木も枯れ、遺構となっています。

しかし、幸いなことに高田松原のマツ由来のアイグロマツの種が残されていたのです。現在、高田松原復活への取り組みが進行中です。

アイグロマツの球果です。クロマツの球果との区別が付くかというと難しいのです。球果はアカマツというよりクロマツに近いものですが、球果評論家の私もこの球果が、アイグロマツであると分かっている木から採れたので判別ができるのです。

次回もお楽しみに。

JADMA

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