小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
Plant of Xi’an 梨園
2020/01/28
誰が、どのように選んだのでしょう? 世界三大美女の一人といわれるのが楊貴妃(楊玉環、719~756年)です。彼女は、唐王朝玄宗皇帝が愛した側室でした。写真がない時代ですから楊貴妃がどのような容姿であったのかを知るすべは限られています。詩人である白居易(白楽天)は、玄宗と楊貴妃のエピソードを後世に残しました。それが、「長恨歌」です。この漢詩によって楊貴妃のことが目に見えるように伝わってきます。
なまめかしい女性の彫像が出てきました。唐の時代に造られた王室の離宮、華清宮にある楊貴妃のイメージです。豊満で肌が美しく物腰の柔らかな女性であったと伝えられています。彼女の美しさについては、「長恨歌」では次のように述べられています。
回眸一笑百媚生 六宮粉黛無顔色
(瞳を巡らしほほ笑めば百の色気が生まれ、後宮にいるお化粧した女官たちも色あせて見えるほどだ)
雲鬢花顔金歩搖
(雲のように柔らかな髪の毛、花のような顔に歩みにつれて金のカンザシが揺れている)
「長恨歌」は、1000年以上も昔の詩人が詠んだものですが、時を越え現代の私たちに語りかける表現力を持っています。
唐の絶頂期をつくった唐第6代皇帝玄宗。しかし、晩年は楊貴妃の美しさのとりこになり、仕事をしないでラブロマンスに浸る毎日を送るようになりました。その様子も、「長恨歌」からうかがうことができます。
芙蓉帳暖度春宵
(芙蓉の花模様の帳(とばり)は温かく、春の宵を楊貴妃とともに過ごす)
楊貴妃との愛の暮らしに浸り、玄宗は仕事への情熱を失います。
從此君王不早朝
(これより王は早朝の仕事をしなくなったと)
そして、唐は衰退していったとされます。
華清宮の一角に、王族を喜ばす音楽、踊り、歌劇の練習場があります。それは、梨園劇場と呼ばれました。この梨園という呼称は、長安において芸人たちをナシが植えられた庭に集め訓練をさせたことに始まります。日本では歌舞伎俳優の世界を梨園といいますが、長安の梨園劇場がその由来となっているのだと考えられています。
シルクロードの終着駅である西安には、西域の文化や人が集います。この時代、ペルシャの音曲や踊りがはやりました。楊貴妃は、その胡旋舞という舞踊の名人でした。楊貴妃は、この離宮に備えた梨園の舞台で、技を磨き玄宗皇帝を喜ばせたのでしょう。華清宮の梨園にも、ナシの木が植えられていました。
ナシは、バラ科ナシ属の落葉高木で、北半球に30種ほど。中国西南部が野生の分布の中心とされ、日本にも4種ほどの原生があります。果物として利用されるのは3種類、二ホンナシ、チュウゴクナシ、ヨウナシです。長安の梨園で栽培された可能性があるのは、元々、中国に原生のある二ホンナシかチュウゴクナシだったと思われます。
二ホンナシはヤマナシPyrus pyrifoliaの栽培種のことで、日本と中国揚子江流域に野生種があります。
チュウゴクナシはホクシヤマナシPyrus ussuriensisのことであり、中国東北部とシベリア、朝鮮半島に原生があります。
ヤマナシPyrus pyrifolia(パイラス パイリフォリア)バラ科ナシ属。種形容語pyrifoliaは、ナシの葉という意味です。ヤマナシを中国では沙梨shālíといいます。それは、果肉のシャリシャリ感を表し、砂梨とも訳すことができます。ナシの果肉には木化した石細胞という硬い細胞が含まれています。
ナシ栽培の歴史は古く紀元前にさかのぼります。ヤマナシは中国や日本でも栽培される基本種であることから、梨園に植えられたナシは本種であった可能性があります。人間が改良したヤマナシは野生のヤマナシと区別するためにPyrus pyrifolia ver. cultaとされ変種の扱いとなっています。変種名のcultaはカルチャーの意味です。
中国の山地で見つけたナシの野生種Pyrus spp.です。それにしても小さな果実です。この実をかじってみました。それは口がゆがむほど苦いものでした。
ヒマラヤナシPyrus pashia(パイラス パシア)バラ科ナシ属。中国の南部からヒマラヤ山脈周辺、コーカサスまで分布する野生のナシです。現代では栽培ナシの台木として使われます。
楊貴妃を愛した玄宗皇帝は、楊貴妃の外戚を要職へ登用しました。志もなく、才覚もない人間が国政の重要な役職に就くと、利権と保身に走るのは想像に難くありません。そして天下、国家が乱れ安史の乱を招きます。亡国の責は、楊貴妃を死に追いやります。彼女が悲しむ様子は「長恨歌」にこのように記されています。
梨花一枝春帶雨
(一枝のナシの花が春の雨にぬれているようであった)
楊貴妃に関する故事と植物の話は次号へ続きます。
次回は「Plant of Xi’an 海棠と暖房」です。お楽しみに。