小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
星咲き木蓮 シデコブシ
2020/04/15
春の訪れを告げる花はいろいろありますが、コブシの花もその一つだといっても異論はないはずです。青空に凜(りん)と咲くこの植物は高木ですから、家庭に植えるには広い庭が必要です。その点、ヒメコブシといわれるシデコブシは、大きく育っても3mくらいなので家庭に植えるにはちょうどよい大きさです。モクレン属の仲間でも、とりわけかわいい風貌で人気があるシデコブシ。それは、狭い地域の特殊な環境にだけに原生する希少なモクレンなのでした。
シデコブシMagnolia stellata (マグノリア ステラータ)モクレン科モクレン属。種形容語のstellataは、英語でstarのこと。星のようなモクレンという意味です。属名のMagnoliaとは、フランスの植物学者Pierre Magnol(ピエール・マグノール、1638~1715)に献名されています。彼は植物の分類体系を考案した人物として知られています。
シデコブシは漢字で四手辛夷と書きます。四手は紙垂のこと。紙垂は玉串や、しめ縄に付けるもの。それは古事記に由来します。天照大神が立てこもった岩戸の前で、榊に紙垂を付け祝詞を奏上したと書かれているからです。辛夷とは、モクレン属の蕾を乾燥させた中医薬である、辛夷(しんい)を無理矢理にコブシと読ませたのだと思います。
どうでしょうか? シデコブシは、紙垂(四手)に見えるでしょうか? 花の色もピンク色だし、ちょっと無理があるネーミングかもしれません。学名の星咲きモクレンという方が分かりやすいと私は思います。
シデコブシ花の大きさは8~9cm、花被片は数えた範囲で8~26枚、雄しべは多数らせん状に配置され、中央に雌しべが合着した太い花柱が1本あり、柱頭が多数露出しています。花の色は白から薄いピンク色、写真は特にピンク色の濃い花です。
シデコブシは、コブシのように高木ではありません。大きくなっても3~4mにしかならないのです。コブシのように直幹にならず株元で分枝をして四方に広がる樹姿も独特です。最も違うのは、その原生する環境です。日本全土の山地に点在するように生えるコブシですが、シデコブシは限られた地域の湿地に群生する性質なのです。
シデコブシは、世界中で日本にしか原生はありません。しかもなぜかしら伊勢湾周辺にしか生えていないのです。それ故に周伊勢湾要素植物もしくは東海丘陵要素植物といわれています。
シデコブシは岐阜県、三重県、愛知県の東海三県に原生し、特定の場所に隔絶して分布しています。愛知県田原市は、遠州灘と三河湾に突き出た渥美半島にあります。半島の中央部は丘陵地帯、二次林ではあるけれどよい具合に自然が残っている地域です。この地域には4カ所の原生地があります。
伊川津シデコブシの原生地。車からすぐに見える道路際にあり、気軽にシデコブシを観察できる場所です。ここは森の北側に位置し、小さな小川に沿ってシデコブシが生えています。全体がくぼ地であり大雨が降れば、シデコブシの株は水没するでしょう。
この原生地では、小高い森から豊富な湧き水が染み出ていました。そこでは、決まってシデコブシが水際に沿って生えている様子なのです。面白いことに、水際から離れるとシデコブシは生えていません。
伊川津に程近く、椛(なぐさ)の原生地です。ここは、国の天然記念物に指定されていて200本ほどのシデコブシが群生しています。目の位置、手のひらに乗るような距離でヒメコブシを観察できます。足元にはミズゴケSphagnum spp.(スファグナム)が生えていました。
こちらは小さな黒川湿地という原生地です。水の中に抽水している株もありましたが、枯れている様子です。完全に水の中では育たないのです。シデコブシの原生は、どこでも水際なのです。
この湿地には、トウカイモウセンゴケDrosera tokaiensis(ドロセラ トウカイエンシス)モウセンゴケ科モウセンゴケ属が生息していました。モウセンゴケ属は貧栄養の湿地に生えます。この種は、モウセンゴケとコモウセンゴケの自然交雑によって生じた種と考えられ、この地方に固有です。
ここは、藤七原湿地原生地です。田原市の市街地にあり衣笠山東斜面に位置します。そこは、山の斜面という変わった地形です。地下に粘土層があるらしく、山に降った雨が染み込まず、この斜面に染み出しているのです。自然界では湿地にしか生えないシデコブシですが、実際に植栽してみると普通の場所で普通に育ちます。きっと種(タネ)で増える際の発芽生理や、幼苗での生育に湿地の水際という環境が必要なのかもしれません。
今から約500万年をさかのぼると、伊勢湾周辺の三重、岐阜、愛知には東海湖という大きな湖があったことが分かっています。その古代の湖の沿岸部とシデコブシの原生地は見事に重なるのです。湿地の水際に原生するシデコブシは、東海湖のほとりに生まれ育った植物だったのだと思います。
次回は「からかさお化け ヤブレガサ」です。お楽しみに。