小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
ヒカゲヘゴとシダの繁殖
2020/07/07
シダは、私みたいに日陰の存在。暗く湿った場所に生え、一生涯、花を咲かせることはありません。シダの爽やかな緑色が、目を和ませてくれたとしても、華やかとは決していえない小さな草であり、目立たないことを家訓としている連中です。しかし、同じシダでもヒカゲヘゴは違います。名前とは裏腹に、明るい場所を好み大きな体で目立ちます。
大きな木生シダの生い茂る景色は、日本の本土では見ることはできません。それは、奄美大島から南の南西諸島にあります。鹿児島から台湾までの距離は、東京から鹿児島より遠く直線距離で1200km以上。そこには198を数える島々が連なり、温帯植相から亜熱帯植相へとつながっています。ヒカゲヘゴは、奄美大島を北限に東アジアの亜熱帯域に生息する樹木のようなシダです。
ヒカゲヘゴCyathea lepifera(キアテア レピフェラ)ヘゴ科ヘゴ属。ヒカゲヘゴやその類いは、草というより樹木のように見えるので木生シダといわれます。草か木か、植物的な区別は実は結構難しいものです。形成層が2次成長し、木化して肥大するのが木の定義ですが、ヒカゲヘゴには当てはまらないのです。
種形容語のlepiferaは、鱗片(りんぺん)を有するという意味です。葉跡が鱗片のように見えるからです。英語では Flying Spider monkey Tree Fern といいます。(猿の顔をした空飛ぶクモシダ)です。シダのことを英語でFernと書いてファーンと発音します。ヒカゲヘゴの大きな葉が落ちた跡が、猿の顔とは面白い表現です。
猿の顔に見える葉の付いた跡は、徐々に茶色いアリ塚とも思える焦げ茶色の物質で覆い隠されていきます。これは何でしょうか? この物質こそ、樹木ではないこのシダが、木生シダと呼ばれるゆえんです。
それは、茎から出る根っこ。つまり不定根です。10m以上に育つヒカゲヘゴを物理的に支えているのは大量に発生した不定根なのです。園芸で使われるヘゴ材は、ヒカゲヘゴの不定根の集合体だったのでした。
以前は、木生シダが観葉植物として出回っていましたが、最近はほとんど見かけることはありません。それは、多くの人が育てられず枯らしてしまうからだと思います。ヒカゲヘゴは水やりが難しく、鉢土に水をやるだけでは駄目なのです。空中湿度が高いことと、茎に生える不定根に水をやらないと駄目なのです。
ヒカゲヘゴの倒木がありました。硬く石炭のような材質感です。あの太い幹は中空です。最初にできた維管束の周りには不定根がギッシリと詰まっていました。中心の維管束は葉痕の方向、つまり葉の方向に向かって分枝しているようです。
大きく育つヒカゲヘゴは、日本のヘゴ属の中で最も大きく育ちます。その成長を支えるのは幹から生じる大量の不定根です。では、どのように増えていくのでしょう。ヒカゲヘゴは、シダですから胞子で増えます。私たちは種子で育つ植物をよく知っていますが、胞子で育つとはどのようなことなのでしょうか?
植物は海から新天地を求め陸上に進出しました。初期の陸上植物は、コンブやワカメと同じ胞子で増えるのです。胞子繁殖を説明する前にまず、通常、生物は皆、遺伝子を2セット持っている複相2nという状態だと覚えていてください。そして、シダの生活環においてその状態を造胞体(複相2n)といいます。
シダは、暗く湿った場所、日陰者のイメージです。シダはその繁殖時期に、体が水で満たされるような環境を必要とします。それは、胞子で繁殖する植物にとって必要条件なのです。
シダの成熟した葉は、細胞を減数分離(DNAを半分に減らす)させ胞子(細胞の塊)を作ります。葉の裏には胞子嚢(胞子の入れ物)がたくさん付いているのを見ることができます。
この胞子は単相nでありDNAを1セットしか持っていません。胞子一つの大きさはおよそ50μ(ミクロン)です。胞子(単相n)から複相2nの植物体(造胞体)に戻すには、どこかで単相nと単相nが合体する受精が必要なのです。シダは花を咲かせません。雄しべも雌しべもありません。どうするのでしょう?
ばらまかれた胞子が湿った岩などに付着すると、発芽して前葉体という配偶体を作ります。形は崩れていますが、のりみたいな濃い緑色に見えるのが前葉体です。前葉体上では、違った場所に造精器と造卵器が作られます。造精器で作られた鞭毛(べんもう)を持ったシダの精子が造卵器の卵に泳いでいって受精が完了します。シダでは前葉体上で単相nと単相nが合わさって、複相2nになります。すると細胞分裂が開始しシダの造胞体となって成長していきます。
胞子で増えるシダは、生きている化石です。水の中に生きる植物のご先祖様である、ワカメやコンブなど藻類たちから繁殖の方法を受け継ぎました。だから今でも、配偶体である前葉体の上に、水の膜がはるような環境でしか増えることができないのです。でも、現代にもそういう場所がないわけでありません。シダ類は古い奴といわれながらしっかり時代を超えて多くの種が生き残り繁栄を続けています。
最大20mに育つヒカゲヘゴも、元は胞子でした。前葉体の上に水が張るような、湿った日陰のジャングルが苗床です。ヒカゲヘゴは、小さなときは日陰で育ちます。そんな日陰のジャングルでも時折、革命が起きます。大きな木が枯れたり、台風で倒れたりして光が差し込みます。するとヒカゲヘゴは成長して、今度は周りを日陰にするヒカゲヘゴに生まれ変わっていくのでした。
次回は「南米桜(トックリキワタ)」です。お楽しみに。