小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
ユリの王国[その1] ヤマユリ
2020/07/21
昔日の夏野原には、その大きな花が丘を染めたというヤマユリ。一点の濁りもなく南海に咲く白百合たち。北方の海岸に凜として立つスカシユリ。日本では、どこに行っても夏になると素晴らしい花を付けるユリに出合えます。
世界の北半球に100種程度分布するユリ属は、大半が東アジアに産し分布の中心をなしています。この地に生まれたユリ属は大陸の縁にある島嶼(とうしょ)にも進出しました。そして日本の気候風土の中で洗練され、さまざまに分化してきました。
日本で見られるユリ属は15種類、その半数は日本の固有種です。中でも、ヤマユリはユリの女王にふさわしい花を咲かせるユリです。世界中の人々はこのヤマユリに魅せられユリの品種改良と産業化が始まったのでした。
今回、「ユリの王国」と題しシリーズで日本産のユリを掘り下げたいと思います。ユリは、単子葉植物として最大の花を付けます。どのユリも花が大きく見応えがあり人々を引き付けます。まず初めはユリ属のうんちくから始めたいと思います。ユリ属の花に花びらとガクの区別はありません。同じ単子葉植物のアヤメやランのときに説明した構造です。外花被3枚、内花被3枚、6本の雄しべ、1本の雌しべ、柱頭の先は3つに分かれていて典型的な三数性を示します。
ところで、ユリが属するユリ科の一家(family)離散の状況はご存じでしょうか? 現在のDNA塩基配列による分子系統分類(APG分類)法が主流になる前は、ユリ科は多種多様な属の集合体でした。現在のユリ家族の有り様は大きく変わっています。ユリの花形をしたワスレグサ類も今ではワスレグサ科が新設され、ユリ科は8つの科に解体されたのでした。
写真は、以前ユリ科とされていた、ニッコウキスゲ(ワスレグサ科ワスレグサ属)。旧分類のユリ科は、APG分類において大きく変更がなされています。
DNAに刻まれた進化の系譜はユリ科(Lily family)に大きな変更を強いたのです。私たちがユリ科と覚えていた植物はもう一度、科名を調べ直さないといけなくなりました。今、ユリ科に残るのは以下の10属(genus)だけです。
1.ユリ属、2.バイモ属、3.アマナ属、4.キバナアマナ属、5.チシマアマナ属、6.ウバユリ属、7.ツバメオモト属、8.カタクリ属、9.タケシマラン属、10.ホトトギス属だけです。
19世紀、ドイツの植物学者Heinrich Gustav Adolf Engler(ハインリヒ・グスタフ・アドルフ・エングラー)は、植物の生殖器官の構造に着目して形態分類体系を完成させました。それをエングラー体系といいます。
その中では、いわゆるユリ状の花を付ける植物の中で子房(種が作られる部分)の位置の違いによって大まかにユリ科とヒガンバナ科に分けられました。それは、子房が花被の内側に形成される子房上位、外側に形成される子房下位の違いです。写真は左側がユリ属の子房です。それは花被の内側です。右側はヒガンバナ属の子房です。子房が花被の外側に配されています。
現在の分類学では、もちろん形態の相違が基本であってもDNAに刻まれた塩基の配列からどの植物がどこで生まれ、どの植物から進化してきたのかが解き明かされていきます。すると、ユリ科もヒガンバナ科も多様な祖先を持ち、異質な植物の集まりであったことが分かったのでした。
ユリ属のお話。最初は皆さんがよく知っているユリからです。
ヤマユリLilium auratum(リリウム アウラツム)ユリ科ユリ属。属名のLiliumは、ユリのラテン語によります。種形容語のauratumは、黄金色のという意味です。花被の中央に太い黄金色のストライプがあるからです。このユリは、日本各地に地方名があります。英語では、 golden-rayed lilyやlily of japan(日本のユリ)とも呼ばれ、世界でヤマユリの名声は広く知られています。
ヤマユリは、草丈1.5m程度、中には私の背丈を優に超す株も見ることがあります。花は、大きいもので直径25cmにもなり、花の重みで茎は弓のように湾曲する株が多いのです。葉は濃い緑色、互生し元が太く先細りで尖る広披針形という形状をしています。
ヤマユリは日本に固有のユリです。自然分布は本州だけ、東北から中国地方まで分布します。原生地の特徴は山地の林縁や傾斜地です。光が強過ぎて乾燥する南斜面には見当たりません。必ずといってよいほど、水はけのよい東斜面か北斜面に見られます。その範囲であれば日なたから半日陰まで適応しています。もう一つヤマユリが原生する条件があります。それは下草が生え、下部が日陰に保たれる場所です。根の周りが高温になる場所には生えていません。
繰り返しますが、ヤマユリはよく日が当たる道路際にも原生が見られます。でも、見てください。斜面であり(水はけがよい)、株元に他の草が生え、根の周りが日陰なのです。ヤマユリには多くのファンがいて園芸店でも人気です。栽培される方は、自然の原生株がどのような場所で育っているのか観察してヒントにしてください。
ヤマユリは香りがとても強い植物です。野生種でありながら育ちのよい花容であり、世界最大の花を付けるゴージャスな植物です。それを、来日した外国のプラントハンターが見過ごすわけがありません。19世紀シーボルトによってヨーロッパに紹介されたのをはじめ、欧州の万博などにおいてヤマユリが紹介され大絶賛されました。明治~大正の時代、神奈川県の野山からヤマユリの球根は膨大な量が掘り起こされ、横浜の港から輸出されました。当時、主要な輸出品目の一つとして外貨獲得の手段だったのです。
写真の株は蕾がピンク色で、花被に散らばる蜜標も赤みがあり美しい株でした。でも、中にはもっと美しいヤマユリがあります。
その美しさは、星の数ほどある花の中でも絶品といえるでしょう。ヤマユリの紅筋(べにすじ)という変異株です。黄金色の筋が紅色の筋に変化した株であり、花が咲くと新聞のニュースになるほどの希少性があります。このような変異が自然界で起こるのはヤマユリの自生株が多いからで、日本はヤマユリの王国なのです。
このような美しいヤマユリが未来永劫(えいごう)に咲き続けてほしいと願うのは私だけではないはずです。しかし、原生株や原生地には栄枯盛衰があるように思います。人為的な自生環境の破壊や開発行為、自然環境の変化、植生の遷移などでヤマユリの減少、消滅、再生は常に起きます。特にヤマユリにとって恐ろしいのはユリモザイクウイルスという感染症と枯死だと思います。それでも、ヤマユリは絶滅しません。自然界でヤマユリは、毎年種(タネ)を実らせ風に乗せて散布しています。タネはウイルスフリーですから、種の存続にとって種からの更新は宿命なのです。
ヤマユリはユリの女王様でした。次回は「ユリの王国2」。気高いユリの王様が登場します。お楽しみに。