小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
ユリの王国[その10] カノコユリ、クルマユリほか
2020/09/23
思いもしなかった新しい感染症の世界的流行。まさかこんなことになろうとは、誰も思いもしなかったことだと思います。急に世界が閉ざされてしまいました。さまざまな予定の変更のみならず、私たちの多くが人生の岐路に立たされているのかもしれません。
この「東アジア植物記」の取材も、思うようにできませんでした。 カノコユリの世界最大の原生地である、鹿児島県甑島(こしきじま)。この取材を通じて群生するカノコユリの姿を記述しようと計画しましたが、まさかの来島自粛要請を受け断念しました。野生の臨場感をお伝えできなくて残念ですが、今回は庭で咲かせた花を見てお茶を濁すことになりました。
カノコユリは、ヤマユリほどの大きな花を咲かせ、強い香りを放つわけではありません。ササユリのような透明感と清楚(せいそ)なイメージとも違います。それは、ユリの王国におけるマドンナ、あるいはアイドル的存在です。
標本や図画でなく、カノコユリの現物を初めてヨーロッパに持ち帰ったのは、あのシーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)でした。彼は、その著書『日本植物誌』の中で次のように述べています。「花の美しさと芳しさからして、これはユリの中で最も素晴らしいものに数えられる」と。
カノコユリLilium speciosum(リリウム スペシオスム)ユリ科ユリ属。種形容語のspeciosumとは、美しい、華やかなを意味し、美しく開花する様を表します。漢字では「鹿の子百合」と書きます。花被は白くピンクの薄ボカシ、鮮明な赤い色のまだら模様が、点上突起となっています。その赤い盛り上がりが鹿の子絞りを連想させるのが和名の由来です。
カノコユリの花の大きさは10cmほどあり、下向きに咲きます。花被6枚は反り返り、雌しべ1本、雄しべ6本が飛び出しています。草丈は中型で50~150cmとなり、葉はヤマユリのような幅の広い披針形です。カノコユリは、四国と九州に原生し、東シナ海に浮かぶ鹿児島県甑島が世界一の群生地として知られています。この他、台湾、中国南部に及び東アジアの草が茂った斜面に原生します。
カノコユリには色素合成ができないアルビノのシロバナカノコユリがあり、シラタマユリとも呼ばれます。このシロバナカノコユリの学名はLilium speciosum var. tametomoという変種名が付き、江戸時代から海外でも知られていました。シーボルトは、それを別種と考えましたがカノコユリの白花種です。他にアカカノコユリなど、色彩の変異があります。
次はクルマユリのお話です。北緯50度以上に位置するカムチャツカ半島は、人の数よりヒグマの数が多いとされる北の大地です。このユリは、そんな北の果てにも生息しています。
このユリの南限域は中国浙江省の高山にあり、日本では本州中部の亜高山帯や高山帯に生えます。白馬岳の雪渓付近の草地でクルマユリを見かけたことがあります。しかし、東北や北海道では平地に原生し、暗い林中で見かけます。暑がりで冷涼な気候が好きなこのユリの印象は、王国の隠者。人との交わりを絶って瞑想(めいそう)にふける哲学者のようです。
このユリは、中国、日本、朝鮮半島、サハリン、千島、カムチャツカ半島に至る、寒冷な地帯に原生します。私の知る限り最も北に分布しているユリの一つです。
クルマユリLilium medeoloides(リリウム メデオロイデス)ユリ科ユリ属。種形容語のmedeoloidesとは、北米に原生するユリ科 Medeola 属(メディオラ)に似ていることを表します。「東アジア植物記」では何度も説明しましたが、接尾語oidesとは、(似た、類する)という意味のラテン語です。和名のクルマユリとは、見ての通りの独特の葉の付き方(輪生)からの命名でしょう。葉の様子が車輪のように見えますね。この葉を見ればクルマユリとすぐに分かります。
クルマユリの花色は、単色もしくは濃い赤色のまばらな斑紋を持つオレンジ色です。斑紋を持たないクリアーな個体もあります。花は丸く反り返り、その大きさは5cm程度の小輪。草丈もあまり高くならず、大概は50~100cmです。花は夏場の7~8月に咲きます。
ここまで、ユリの王国にすむユリたちについて述べてきました。
ユリ属は世界の北半球に生息していますが、今までご紹介したユリの王国に生息しているユリたちはどこのユリたちよりも、あるものは花が大きく香りも強く、純白であり、見応えがあるのです。透明感があり清楚であり、直立し受け咲きであり、茎が剛直で丈夫なのです。
そんな訳で、全世界で観賞用、あるいは宗教上などに利用され、庭や鉢に植えられ、観光産業にも使われているのです。そして、園芸種として使われている品種のほとんどは、ユリの王国である、日本のユリたちが母体となって育成されたものです。
スカシユリは、古く江戸時代から改良が行われていたのですが、時代の変遷の中で失われました。現代のスカシユリ系品種の多くは20世紀、オランダ人の園芸家Jan de Graaff氏(ヤン・デ・グラーフ)がスカシユリとオニユリを交配して作出したEnchantment(エンチャントメント)という雑種を親として発展してきました。
上の写真は世界中で名花とされるカサブランカです。あまりに有名な品種ですが、その豪華な花容は、ヤマユリに似ています。このユリは、ヤマユリとカノコユリを掛け合わせで作られたパークマニー系という雑種に、純白のタモトユリ、もしくはウケユリの実生系を交配してオランダの育種会社が作出しました。それは、日本に原生するユリの粋を集めて作られたのです。
ユリの王国に住まう私たちにとって、ユリは身近な存在です。時期になれば、近所のやぶに咲き、山地や林、あるいは海岸で見ることができます。そして、その鱗茎(りんけい)を食べたりします。
野生の姿そのままでも十分に美しい王国のユリたち。園芸的にユリを育てる場合、一番の参考になるのは、そのユリがどの野生種から改良されたのかを見抜くことです。それは見れば分かります。ヤマユリ系ですか? スカシユリ系ですか? それともテッポウユリ系でしょうか? 園芸種はどれも祖先の血筋を持っています。その野生種がどのような地域に、どのような環境で原生しているのか「東アジア植物記」を参考にしてみてください。きっと育て方が分かるはずです。
ユリの王国シリーズは今回で終わります。次回からブナ科の堅果(ドングリ)を付ける植物のシリーズが始まります。
次回は、堅果(ドングリ)を付ける植物のシリーズです。お楽しみに。