タネから広がる園芸ライフ / 園芸のプロが選んだ情報満載

連載

聖なる香りハス属[前編]

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。

聖なる香りハス属[前編]

2021/08/17

もし天国というものがあるのなら、「こんな香りがしているのかもしれない」。今の時期、ハス(蓮)の咲く水辺ではそんな香りが漂っています。清浄で聖なる香りとでもいうのでしょうか? それだけではありません。泥の中にありながら、水や泥をはじく撥水性を持つハスの地上部は、世俗の垢にまみれない神聖性を持っているようにも感じられています。

アジアにおいて、ハスは特別な存在です。美しい花を咲かせ、種や葉を食べたり、その根茎は重要な野菜でもあります。人の食生活だけでなく、その心情にも深く関わっているハスという植物を見つめます。

ハスNelumbo nucifera(ネルンボ・ヌキフェラ)ハス科ハス属。属名のNelumboは、スリランカ言語の一つである、シンハラ語でハスという意味です。種形容語のnuciferaは、堅果を持ったという意味です。それは、ハスの堅い実を表します。

以前は、水中の泥底に地下茎を持ち、水の上に葉を出す水生植物としての、形態と生態の同一性から、ハスはスイレン目スイレン科ハス属とされてきました。現在、分類学の発展に伴い、今では、類縁が遠い、ヤマモガシ目とされ、ハス科が新設されたのです。ハスは、ヤマモガシ目のプロテアやマカダミアなどの樹木に近縁というのですから驚きます。どこで彼らは分かれ、違う道を歩んだのでしょう?

仏教界において、ハスは極楽浄土に咲く花とされ、さまざまな仏様の台座にもなっています。どのような訳か、仏教においてハスとスイレンは、同じ「蓮華」と解されています。「蓮華座」は、ハスというよりは、デザイン的にはスイレンの形です。精神世界においては、ハスやスイレンの差異など、大きな問題にならないのかもしれません。

英語圏でも、スイレンとハスは混乱しています。エジプトの国花であるヨザキスイレンの学名がNymphaea lotus(ニンフェア ロータス)といい、スイレンを lotusということはよいのですが、同じくハスのことをlotusとも表記するのです。

さまざまな世界で、スイレンとハスは混同され続ける運命にあります。目くじらを立てるつもりはありませんが、植物愛好家としては違いを明確にしておきたいと思います。

スイレン
①スイレン科スイレン属 数属多種
②葉は水に浮く、浮葉が基本
③スイレンの葉は親水性
④スイレンの種は胚乳種子

ハス
①ハス科ハス属 1属2種
②葉は水の上に出る立葉が基本
③ハスの葉は撥水性
④ハスの種は無胚乳種子

もう少しハスのことを詳しく見てみたいと思います。

①ハス科ハス属 1属2種
現代のハスは、古代に繁栄を遂げた遺存種。世界に、1属2種しか現存していません。化石研究によると、白亜紀には、ハスが繁栄していたとされます。特に北半球の高緯度地域である、欧州やカナダから多くの種が化石で見つかっています。地球の温暖な時代、北極付近で多くの種を分化させ、寒冷化に伴い、多くの種が絶滅し、陸続きであった二つの大陸の南方に逃れた種が、アジアと北アメリカに生き残りました。一つが、アジアのハスNelumbo nuciferaハス科ハス属であり、もう一つが、北アメリカのキバナハスNelumbo luteaハス科ハス属です。両者とも花色を除けば似ていて、親和性があり同じ種から分化してきたのでしょう。交雑が可能です。

アジアのハスである、ハスNelumbo nuciferaの原生地は、どこかというと少々難しいと思います。さまざまな文献にインドと書かれていますが、埼玉県行田市の古代蓮は、埼玉県の3000~1400年前の地層から出土して花を咲かせたとされていますし、大賀博士は、千葉県千葉市検見川(現・千葉市検見川区)の2000年前の地層から種を取り出し開花させました。一方、中国長江の下流域では、7000年前の遺跡からハスの種が出土しています。そのことから、東アジア各地に、ハスNelumbo nuciferaが原生していたことは確かなことですし、生き残りがアジアの各地にあったとしても、不思議ではありません。

②葉は水の上に出る立葉が基本
スイレンは、葉を水の上に浮く葉を基本としているのですが、ハスは、水中から葉を抽水させます。正直にいうと根茎から初めに出る葉は、スイレンのような浮葉です。しかし、勢いがついてきた後の葉は、全て水面から長く突出するのです。その茎の長さは100cm程度、葉の直径は40cm以上にもなります。

③ハスの葉は撥水性
ハスの葉は、上向きに100℃程度の角度を持っていて、雨などを受けます。しかし、その水は葉の表面に付着しないで転がるのです。それは見事な撥水性効果です。水や泥を寄せ付けないのです。誰でも、そんな不思議な体験をしたことがあるでしょう。葉の表面には水分子が入り込めない、小さな突起とワックス成分が付いているのです。

ここで、面白い実験を一つ紹介します。ハスの葉柄とつながる中央部分を、荷鼻といいます。ここから葉の周囲に葉脈が放射状に広がっているのですが、それは道管(地下から吸い上げた水の道)です。葉柄から、ホースなどで水を流し込むと、道管の先から水がシャワー状に広がるのです。

④ハスの種は無胚乳種子
成熟したハスの種です。堅果であり、大きさは2cmぐらい、どんぐりによく似ています。胚乳はなく、子葉に養分をため込み、発芽したらすぐに成長できるようにあらかじめ準備が整えられています。

5年前の種に傷をつけて、30度程度のお湯の中につけておきました。6粒のうち1粒だけが3日で芽を出したのです。その出芽の早さには驚きました。それは、胚乳種子には考えられない早さです。無胚乳種子は、初期生育に必要な養分を大きな入れ物である子葉に蓄え、生存競争に打ち勝つために、誰よりも早く、大きく育つように進化した結果なのです。

殻から出た芽は、あれこれいう間にどんどん伸びてきます。通常、種子は、種から初めに根が出ます。それを発芽といいます。出芽はその後なのですが、ハスは逆なのです。どのようなものにでも例外は付きものなのです。

次回は「聖なる香りハス属[中編]」です。お楽しみに。

JADMA

Copyright (C) SAKATA SEED CORPORATION All Rights Reserved.