小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
ヤマハッカ属[前編] ヒキオコシ
2021/10/26
その昔、遠くに旅に出るのは命掛けだったと思います。船や馬などの利用もあったのでしょうが、多くの人の交通手段は、自分の足だったに違いありません。
徒歩の旅には、あらゆるリスクがあります。晴天ばかりが続くわけではありませんし、気候の寒暖によって、低体温症や熱中症も考えられます。野宿をする場合、ダニ類の感染症も心配です。冷蔵庫などもありませんから食中毒なども頻繁にあったことでしょう。旅に病むということは、そのようなことだったに違いありません。
今回は、旅の病に起死回生の妙薬とされた、ヒキオコシと呼ばれる植物の話です。
ヒキオコシIsodon japonicus(イソドン ジャポニカス)シソ科ヤマハッカ属。種形容語のjaponicusの意味は、ご存じ日本産という意味ですが、この植物は、東アジア東部に広く原生しています。ヒキオコシは、日当たりのよい山野、林縁、道端などに生え、丈は50~100cmぐらい。対生した葉と四角い茎を持ち、秋に枝の上部に白い円錐(えんすい)花序を出します。
よく見ると全草に白い毛が密生していて、花の大きさは約5mm、白く見える花弁は淡い青色をしていました。花弁は5枚、基部で合着し上唇弁は4枚、下唇弁1枚が唇のように突き出ている唇弁状の花を付けます。ヒキオコシはシソ科で、シソ科には約束事があります。
① 唇弁花を付けること
② 茎の断面が四角いこと
③ 果実が4つに分かれること
などです。
そして、香草の本家であり、薬理効果を持つ種も多くある植物群だということです。
ヒキオコシは、直立する姿が印象的で目立つ草。この葉はとても苦く、胃液が盛んに分泌され、消化不良を改善し、食欲増進、腹痛の改善に効果があるとされています。このヒキオコシには、弘法大師空海にまつわる伝説があります。それは、空海が道端で病んで倒れ込んでいる旅人を見つけ、近くにあったこの植物の葉の搾り汁を与えたところ、まさに起死回生、病人が起き上がり元気になったというのです。
各地には、数知れず空海に関する言い伝えがあります。その一つであるヒキオコシ伝説を考証してみようと思います。
①長期化した病を持つ人は、旅に出ないので慢性疾患は除外できる。急病人は食中毒と仮定できる。
②ヒキオコシという草は、全国に原生し、旅人の通る道端にも生えている身近な草である。
③その植物の葉の搾り汁はとても苦く、腹痛や食あたりなどに効果がある。
以上3点は、伝説に符号します。
後は、
④空海が本草学に対する知識を持っていたのか?
⑤病人を救ったのは誰なのか、本当に空海本人だったのか?
ということです。
西安(昔の長安)慈恩寺の前広場には、中国において高名なお坊さんの像が4つ置かれています。1つ目は、『西遊記』の玄奘(げんじょう)。2つ目は、仏教の戒律を日本に伝えた鑑真。3つ目は、禅宗の第六祖慧能(えのう)。そして、真言密教第八代後継者の空海です。
この沙門(しゃもん)空海の像は、若々しく希望あふれる青年の姿で立っています。入唐時の空海は、よわい31歳。青龍寺の阿闍梨である恵果は、その青年がさまざまな修行を十分に行った跡を認めたとされています。空海は中国に行く前、山林において修行を行う行者でした。言うなればサバイバルの達人。天土にあるものを食し、薬にしてきたことでしょう。
ここは、その空海が訪れたとされる、河南省龍門の石窟です、ひときわ大きなお洞の中央に見られるのが、毘盧舎那仏です。それは真言密教の大日如来のことでもあります。この龍門で、大きな仏像以外に人気の場所があります。
それは、薬方洞です。薬師如来がおられる壁には、さまざまな薬草の処方が彫られているのです。昔のお坊さんには、本草学の知識が必要だったと思います。生老病死は人の性。人々からは、病苦除去の懇願もあったことでしょう。お経を唱える傍ら、薬法を伝えることもお坊さんにとって必要なことだったに違いありません。
空海は、文才に秀でて、書道の達人。時として土木に才能を発揮したことは、よく知られたことです。この天才は、山林修行で植物に親しみ、中国においても本草学を学んだことは理解できます。前出の④の考証は十分で、彼が薬学の知識を持っていたことは疑いもないことです。
⑤の考証です。ヒキオコシ伝説には、空海の諸国行脚の途中とのくだりがあります。
彼は中国からの帰国後、多忙を極めたはずです。諸国行脚などをする時間があったとは思えません。また、旅人をヒキオコシの葉の搾り汁で救った人が、本当に空海だったのかということも確かめることができません。でもそれは、検証できないし、する必要もないことなのでしょう。空海は、救いを求める人に、あまねく救いの手を差し伸べてくださるという人々の思いが、それらの伝説を生んでいると思うのです。
ヒキオコシと名の付く植物がいくつかあります。その一つがこの植物です。
クロバナヒキオコシIsodon trichocarpus(イソドン トリコカルパス)シソ科ヤマハッカ属。種形容語のtrichocarpusとは、tricho(有毛)+ carpos(果実)の合成語。上の写真では確認できませんが、クロバナヒキオコシの4分果実に細かい毛が密生しているからです。
クロバナヒキオコシは、ヒキオコシより大型で人の背丈ぐらいに育ちます。初めて見たとき、このちりみたいなのは何だろうと思いました。それは、クロバナヒキオコシの小さな花でした。花の大きさは、5~6mmで、濃い赤紫色をしています。
ほぼ日本の全土に生息するヒキオコシに対して、この植物の生息場所は、限られています。山陰や北陸以北の日本海側、そして北海道など日本海要素の植物なのです。
地域限定、遠目ではちりに見え、目を凝らしてみると、シックでモダンな色合いをしているクロバナヒキオコシでした。
次回は「ヤマハッカ属[後編] アキチョウジ」です。お楽しみに。