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ヤツデのススメ[前編]

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。

ヤツデのススメ[前編]

2021/12/21

12月。人々の喧噪(けんそう)や歓声が消えた、静かな三浦半島観音崎を歩いてみました。通常、海岸縁は人の生活圏と深く結び付いているので、昔からの植生は残りにくいのですが、観音崎周辺は江戸の時代から、首都防衛の要衝であったために長い間一般人が立ち入ることができない地域だったのです。

観音崎から見える東京湾。海進によって低い土地が海の下に沈んでできました。対岸の千葉県富津岬を結ぶラインから北側を内湾、南側が外湾です。外湾には、東京海底谷と呼ばれる大規模な海中峡谷があります。それは、数百メートルの深海まで、一気に落ち込む崖。そして相模トラフへとつながっていきます。この海底谷には、江戸前の川が運んでくる栄養がたっぷりあります。そして、それを糧とする妙な深海生物が暮らす楽園があります。沈黙のパラダイスは、海上を忙しく行き来する船たちによって、開発から守られているのでした。

そんな、東京海底谷と周辺海域に生息している、珍しい生き物を一つ紹介します。

オキナエビス(翁恵比寿)Mikadotrochus beyrichiiオキナエビス科オキナエビス属といいます。これは、2005年6月、東京湾金谷沖の水深120mにて採取されたものです。縁あって私の手の中に収まっていますが、カンブリア紀後期から姿を変えず、深海に生息することによって生き抜いた、日本を代表する世界的に希少な貝の一つです。

観音崎の海岸では、そんな不思議な海底を隠している東京湾を見ながら、ヤツデが花を咲かせています。海に近い海岸林や山林に生えるとされるこの植物ですが、塩水が飛んでくる海と陸との際にも生えていました。ヤツデの頑丈さ、環境適応力。厚いクチクラ皮膜に包まれた葉は、情け容赦のない海岸環境によって育まれたものでしょう。このような、過酷ともいえる場所で生きてきたヤツデ。そんな経験が連綿として、この植物の遺伝子に刻まれてきたのだと思います。

ヤツデFatsia japonica(ファツィア ジャポニカ)ウコギ科ヤツデ属。属名のFatsiaは、漢字の「八」に由来します。種形容語のjaponicaは、ご存じ日本産という意味です。南東北から沖縄までの温暖地の海岸林や山地に分布していますが、一部、韓国の済州島にも生えていると聞きます。ヤツデ属は、東アジア特産の常緑低木。この植物を含め3種あり、2種が日本に1種が台湾にあります。

ヤツデの花は晩秋~冬に開花します。枝先に花が集まって球状に咲きます。それを散形花序といいます。この花序が集まり円錐(えんすい)状の複花序となります。大物役者のヤツデは、今年の最後を飾る花の一つ。花らしくはないけれど、ヤツデとしては、これが、精いっぱいのオメカシ。乳白色の花茎と花をめでてあげましょう。

ヤツデは、雌雄同株ですが、雄花と雌花、両生花を持っているみたい。ちゃんと経過観察をしないと、この開花システムを説明するのは難しいと思いました。ヤツデの不思議な花は、あの手この手で自家受粉を避ける仕組みを持っています。

ヤツデが花を開くと、アリやハチ、ハエなどが子房の周りに分泌される蜜をなめにきます。寒い時期に開花するヤツデは、花の少ない時期の冬の虫たちの貴重なエネルギー補給源になっている様子です。そして、同時に彼らが、ヤツデのポリネーター(花粉媒介係)になっています。

虫たちがポリネーターなら、鳥たちはトランスポーター(種子運送係)です。受粉に成功した花の果実は、翌春に黒く熟します。それは、ヒヨドリなどの鳥の餌になります。一度生えたら動けないヤツデにとって、鳥たちが子孫を別の場所に運び、肥料付きで種(タネ)を散布します。植えたはずのないヤツデが、庭に生えてきた経験がある方もいらっしゃると思います。ヤツデは外交上手。自分の生活圏を広げるために、虫や動物たちと同盟関係を結んでいます。

ヤツデの1枚の葉(単葉)は、掌状に裂けます。植物学では手のひらの形を掌状と表現します。和名のヤツデは、八の手のことなのですが、手のひら状の裂け目は8つに裂けるとは限りません。この写真のヤツデは9~10枚に裂けています。

ムニンヤツデFatsia oligocarpelle(ファツィア オリゴカルペラ)ウコギ科ヤツデ属。一度も大陸とつながったことのない海洋島である小笠原諸島に固有のヤツデです。葉は、5~6枚に裂けています。

こちらのヤツデは、9枚に裂けています。いろいろとヤツデの葉を調べてみてもそれは不規則で、8枚に裂けている葉はまれです。『牧野新植物図鑑』は、ヤツデの和名についてこのように述べています。「ただ何となく、その分裂葉を眺めて付けた名」、「数多いことを八で表現したもの」と辛辣(しんらつ)です。ヤツデの「八手」には、根拠はないようです。八という数字が吉祥数なのは理解できます。

「ヤツデ」という名前が、ただ何となく付けた名前であっても、ヤツデという植物に文句があるわけではありません。私は、常々ヤツデというヤツは、大したヤツだと考えています。私たちはもっとヤツデを理解して、仲良くなる必要があると思うのです。そうすれば、この燃油の高い時勢に合った、今どきの観葉植物の世界が展開できるのではないかと思います。

次回は「ヤツデのススメ[後編]」です。お楽しみに。

JADMA

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