小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
世界球果図鑑[その27] トウヒ属6
2022/02/08
今まで、日本の国土に生息しているトウヒ属を、4種と1変種、見てきました。日本は、意外とトウヒ属の種が多い国土だと思います。残りは2種ありますが、これらも世界で日本にしか生えていないトウヒです。
何の説明もいらないあの山(富士山)の写真です。この山の北麓東部では、日本に固有のトウヒ2種が、同じ場所、同じ森で見ることができます。
そこは、富士山の噴火によってできた溶岩原です。溶岩が冷えて固まった大地に、雨や霧が降り、湿度が保たれると菌類がすみつき、やがてコケで覆われます。蘚苔(せんたい)類やシダが作るわずかな腐植をよりどころに、栄養分の乏しい場所であっても、植物の種(タネ)から芽が出て、マツ類など、菌と共生することができる針葉樹を主な樹種とする森ができました。
さまざまな都市伝説を生んだ青木ヶ原の樹海です。コンパスが利かないとか、一度入ると、出ることができないということはなく、樹海というほど広大ではありません。整備されたきれいなハイキングコースなどもあり、ヤマガラやシジュウカラなどが飛び交う穏やかで美しい自然の森です。ただ、その入り口には、「命は大切なもの、一人で悩まず相談しましょう」といった内容の看板が立っていました。
青木ヶ原の植生は、針葉樹のゴヨウマツ、アカマツ、カラマツ、ツガ、ヒノキ、落葉広葉樹のミズナラ、ブナなどで構成されていました。それらが高い位置で樹冠を作り、低木としてソヨゴやアセビ。こけむした地表に紅一点、ミヤマシキミSkimmia japonica(スキミア ジャポニカ)ミカン科ミヤマシキミ属が彩りを添えています。そして、日本に固有のトウヒ属2種が、生息していました。
高木針葉樹の生い茂る樹海の中で、お目当てのトウヒを探すのには苦労しました。樹木が密生しているので、トウヒ独特の樹姿を視認できません。針葉は、はるか上にあり、形状が判断できません。このようなときに最も頼りになるのは、「落とし物」です。
トウヒらしき樹木の下に「落とし物」が見つかりました。それは、今まで見てきたトウヒの球果とはかなり違い、ずんぐりとして寸詰まり。やたらと丸っこい形状です。大きさは、長さ9~6cm、幅6~5cmくらいでした。
No.70 ハリモミPicea torano(ピケア トラノ)マツ科トウヒ属。英語でハリモミのことを、Tiger-tail spruce (タイガーテール スプルース)といいます。針葉がトラの尾のように、しましま模様であるというわけではなく、針葉がトラの牙みたいに鋭いことを表現しているのだと思います。種形容語のtoranoを和訳するとトラの尾です。今までハリモミは、Picea polita(ピケア ポリタ)とされてきました。種形容語のPiceaは磨き上げた=エレガントという意味。現在、それは異名synonym(シノニム)とされています。
ハリモミの針葉は、まさに「針」です。あらゆるトウヒの中で最も鋭いとされます。針葉は太く、長さ2cmほど、枝に対し直角、らせん状に付き、著しく尖ります。その葉に触ると、飛び上がるほど痛いのです。
日本産のトウヒは、寒冷地、亜高山帯にほとんどが生育していますが、ハリモミは、南東北~九州の太平洋岸の山地に散在し、例外的に生息許容範囲の広いトウヒです。
ハリモミ最大の特徴は、鋭い針状の針葉と、この球果の形状だと思います。あなたが日本の森で、卵みたいに丸いトウヒ状球果を見つけたら、それはハリモミです。鋭く痛い針葉を持ったハリモミが近くに生えています。この球果の形状を植物学で、卵形と表現します。
ハリモミの球果を見つけたすぐ先に、長楕円(だえん)形の細長いトウヒ状球果を見つけました。種鱗(しゅりん)は薄くもろい球果、明らかにハリモミのそれとは異質です。これは、分布の地域性から見ても、あのトウヒの「落とし物」に違いありません。
No.71 マツハダPicea alcoquiana(ピケア アルコキアナ)マツ科トウヒ属。このトウヒは、マツのような樹皮であることからマツハダと呼ばれます。灰褐色の木肌、厚い鱗片(りんぺん)が不規則に裂けるのですが、樹皮だけでマツハダを見分けるのは難しいと思います。葉などを確認したいのですが、手が届きませんでした。
マツハダ最大の特徴は、球果の形状です。長さ8~9cm、幅3~3.5cmの長楕円形。先端が紙のように薄く、波状に尖ります、そして、乾燥すると先端が、やや反り返るのです。この反り返りがマツハダに特有なのです。
マツハダは、日本に固有のトウヒ。本州中部の山岳地帯、湿った溶岩帯を中心に生息しています。種形容語のalcoquianaは、激動の幕末に来日したイギリスの腕利き外交官Rutherford Alcock(ラザフォード・オールコック)の名前から付けられました。そのエピソードについてお話しします。
横浜市神奈川区反町、ここにはサカタのタネガーデンセンター横浜があります。園芸の殿堂であり、日本のガーデンセンターの草分けで、園芸を知り尽くしたアドバイザーにいろいろ相談できます。ここから、JR東海道線、京浜急行線を挟んだ、向こう側には、旧東海道神奈川宿がありました。
ガーデンセンター横浜から、直線距離でわずか300mほど先に、幕末のイギリスの総領事館跡があります。オールコックは、初代駐日総領事でした。日本の風土を愛した彼は、外国人として初めて1860年9月、富士登山をした人間です。そのとき、偶然にイギリスから、若きプラントハンターJohn Gould Veitch(ジョン・グールド・ヴィーチ)が彼の元に訪れたのです。すぐさまオールコックは、ヴィーチを英国公使館付き植物学者に任命し同行させました。ヴィーチは念願の日本植物調査と採取の機会を得ることができたのです。そのときまで、外国人が霊峰富士山に登ることは、許されなかったのです。
ヴィーチは、外国人として初めて、富士山周辺の植生を調査しました。彼が描いた富士山の標高別植生分布図が今に残されています。彼はここで多くの針葉樹の種(タネ)と、標本を採取しました。その中にマツハダがありました。マツハダは、 オールコックに感謝の意を込め、ヴィーチによってPicea alcoquiana(ピケア アルコキアナ)と命名されました。日本を出てヴィーチは、フィリピン、オーストラリアなどを訪れ、多くの植物をイギリスに持ち帰ったのです。ヴィーチは、心優しく、親切で意志の強い若者だったといわれています。それは、彼の肖像からも、うかがいしることができます。イギリスに帰国して結婚したのですが、ほどなく妻と二人の幼子を残し、結核で世を去りました。31歳でした。
次週からは、「世界球果図鑑 ヒノキ科シリーズ」が始まります。
次回は「世界球果図鑑[その28] イトスギ属 前編」です。お楽しみに。