小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
キブシ属キブシ
2022/04/05
選抜高校野球が終わり、プロ野球が開幕しました。昨年、海の向こうでは、日本の若者が、月間MVPや年間MVPを獲得したとかのニュースがあり、自分のことのようにうれしいもの。
春はまた、さまざまな木々たちが光り輝くときです。サクラなどの千両役者が登場する前に、露払いをするのが、キブシです。その開花は、どこのニュースにものらないし、多くの人の目に留まっても、振り向かれないかもしれません。それでも私は早春の花で、一番気になる花は何かと問われればキブシと答えます。
東アジアの気候でたたき上げられ、パフォーマンスのために、用意周到に調整を行い、いぶし銀の活躍を見せるマルチプレーヤーのキブシ。私は、3月の月間MVK(木)があるとしたらキブシを推奨します。
キブシStachyurus praecox(スタキウルス プラエコックス)キブシ科キブシ属。学名の命名は、幕末に日本の植物を研究した、シーボルトとツッカリーニによってなされました。Stachyurusの属名は、ギリシャ語の「stachyus(穂状)+oura(tail 尾)が語源と説明されていて、垂れ下がる花序を表しています。
キブシの種形容語のpraecoxは、早咲きの、大変早い、極めて早く現れる という意味を持っています。その名の通りキブシは、他の木々たちがやっと動き始めるころ、いち早く目覚め、花を咲かせる落葉性の低木です。
キブシが誰よりも早く目覚めるのは、この植物が用意周到な調整を怠らないからです。この写真は、キブシの9月20日の様子。すでに花芽分化は終わっていて総状の長い花序を形成して、既に開花のルーティンに入っています。
キブシ科キブシ属は、一科一属の植物で、ヒマラヤ東部から始まる、照葉樹林起源の植物と考えられます。キブシ属は熱帯モンスーンの影響を受ける、東アジアの温暖で湿潤な環境に数種が生息しています。
ヒマラヤキブシStachyurus himalaicus(スタキウルス ヒマライクス)キブシ科キブシ属。種形容語のhimalaicusは、この植物がヒマラヤ地域に原生することを表します。日本のキブシより花序が雄大なキブシ属で、ヒマラヤ東部~ミャンマー、中国雲南省などに生息しています。
日本には、キブシが固有種として分布していて、北海道南部から鹿児島の島嶼(とうしょ)まで広く生息しています。命名者のシーボルトは、その著書、『日本植物誌』の中で「キブシをかなりまれな植物であり、見た目は素晴らしいが、不快な臭いである」と書いています。それは、正しい認識ではないと思います。キブシはまれではなく、日本各地の雑木林、林縁によく見られる低木であり、不快な臭いはしません。この植物、特に谷間の川沿いなど開けた空間があり、湿度が高く、土が湿っていることを好みます。
キブシは、雌雄異株でした。長く立派な花序をたくさん付けるのが雄株です。花には短い花柄があります。がく片と花弁は4枚、8本の雄しべがりりしく、雌しべは頼りなさそうに黄化していました。
雄株に比べ開花が遅く、やる気なさそうに、まばらに小さな花序を付けるのが雌株。雌しべがはっきり確認できますが、雄しべは形だけで、雌しべの脇でしなびています。キブシには、明確な雄株、雌株の他に両性株もあると聞きます。
キブシの雄株と雌株の花を拡大して比較してみました。両方とも両性を持っているようですが、雄花には雌しべが、雌花には雄しべが役に立ちそうもありません。
キブシは、低木であり木材がとれる樹木ではありません。樹皮は灰褐色ですが、新しい幹は茶褐色です。本来、里山に近い山林に生える木なので生活のためにいろいろと使われてきました。伐採が簡単なのでまきにも使えるし、幹を切断すると白い髄があり、簡単にくりぬくことができました。吹き矢の筒やストロー代わりにも使えそうです。
キブシの花は、春の山菜にすると聞きました。ならば早速、天ぷらにして賞味。特に味わい豊かというわけではないけれど、ほろ苦い春の味です♪
キブシの雌株には、果実がなります。それが、秋になると緑色~黒色に熟します。その果実には、ポリフェノールの一種であるタンニンが豊富に含まれています。主にタンニン原料は、ヌルデという植物に付くアブラムシの虫こぶからとります。それを「五倍子」(ふじ)といいます。キブシという和名は、この果実から取れる黒色原料を五倍子の代用とするので木倍子(キブシ)といわれます。
キブシなどからとれるタンニンは、このような用途にも使うことがあります。それは、お歯黒です。お歯黒は、日本において過ぎ去った風習と思っていましたが、キブシ属の分布に重なる、照葉樹林帯に生きる民族には、現存する風習なのかもしれません。中国最南部ミャンマーとの国境地帯、熱帯雨林で暮らしているラフ族と思われるご婦人の歯は、お歯黒でした。
お歯黒は、酢酸に鉄を溶かし、ようじで歯に塗り、五倍子粉(ふしこ)を上塗りし、繰り返すことで完成します。酢酸に溶けた鉄は、タンニンと結合して水に溶けない黒色に変化するのです。口腔衛生という、概念や用具、用品、サービスが受けられない時代や地域において、天土にある鉱物やキブシなどの植物を使って、大切な歯を皮膜で覆うことは、それなりに理由のあることなのだと思います。
キブシは日本のほぼ全国に原生し、山地や雑木林、林縁などに生息する低木なので、地域ごとにさまざまな変種が分化しています。ハチジョウキブシStachyurus praecox var. matsuzakii(スタキウルス プラエコックス バラエティー マツザキイ)キブシ科キブシ属。この植物は、伊豆諸島、関東南部などの海岸付近に生えるキブシの変種です。浜風に耐えるように葉が厚く、丈夫で花穂が長くやや大型です。
キブシの花は身近に咲くので、毎年よく目にします。そして、すぐに暖かい春が来るんだなと感じさせてくれます。キブシ、お気に入りの一つ。3月の月間「MVK(木)」をあげたい早春の花です。
次回は「日本海の積雪と新潟の植物[前編]」です。お楽しみに。