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連載

ネブの花[前編]

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。

ネブの花[前編]

2022/08/02

松尾芭蕉が旅の目的地の一つにした秋田県象潟(きさかた)。そこは、「東の松島、西の象潟」といわれた風光明媚(ふうこうめいび)な地でした。彼がその場所に到着したのは6月です。梅雨の雨に打たれ、疲れた芭蕉。「象潟や雨に西施(せいし)がネブの花」という句を残しました。このネブの花とはネムノキのことです。

江山水陸(こうざんすいりく)の景勝とされた象潟でしたが、彼の心象にはなぜか悲しく沈鬱(ちんうつ)な風景に見えたのだと思います。雨に打たれ、うな垂れるように葉を垂らし咲くネムノキが、中国四大美女といわれていながらも悲しい運命を生きた女性、西施の姿を映したのでしょう。芭蕉の句になぜか心がざわつきます。

ネムノキAlbizia julibrissin(アルビジア ジュリブリシン)マメ科ネムノキ属。属名のAlbiziaとは、この種をヨーロッパに導入したイタリア人、Filippo degli Albizzi(フィリッポ・ディリ・アルビッツィ)にちなんでいます。種形容語のjulibrissinは、ペルシャ語の絹の花という意味です。

ネムノキは英語でPersian silk treeともいいます。それは、この木が東アジアのみならず、イランなど南西アジアを含み、広く原生していることを示しています。日本では、東北を北限に本州以南に分布しています。陽樹であり、暗い森の中には生えません。原野や二次林などの開けた場所に生える落葉の小高木です。

ネムノキがsilk treeといわれるのは、ネムノキのこの花姿によるものです。マメ科には、いわゆる蝶形花(ちょうけいか)と形容される豆独特の花を咲かせるグループと、ネムノキのような頭状花序(とうじょうかじょ)があり、集合花を付ける一群があります。1つの花には、白色から先端が赤くなる雄しべ30本ほどと、少数の白色となる雌しべがまるで絹糸のように長く伸びています。

もう少し花を拡大してみます。花序の基部には黄緑色の筒状花弁が確認できます。先端が5つに分かれているところです。その下にはがくもしっかりありました。身近に咲くネムノキですが、花の構造をしっかり見ることは少ないと思います。

ネムの集合花を見ると、1つだけ特異な花があることに気が付きました。これを頂生花(ちょうせいか)というそうで、この花だけが蜜を出すと資料にありました。要するに訪花昆虫(ほうかこんちゅう)へのまき餌的な役割と書かれていますが、他に何か機能がありそうな構造です。

ネムノキの葉を1枚取り、観察しました。1つの葉柄が2回枝分かれして、鳥の羽のように小さな葉が付いています。枝分かれした葉は、全部で18です。それを植物学では「二回偶数羽状複葉(にかいぐうすううじょうふくよう)」といいます。小さな葉1枚1枚を小葉(しょうよう)といいます。ネムノキの葉は、夜になると向かい合うように小葉が合わさって閉じるのです。

目へんに垂れると書いて「睡」るです。この「睡る」は、ネムノキなどの就眠運動から生まれた漢字だと思います。ネムノキの葉は、夜間以外だと強い雨に打たれるとうな垂れます。

セイシカというツツジ科ツツジ属の落葉樹があります。長江以南の中国大陸と台湾、そして日本では南西諸島にも原生があります。原生の中心地である中国では西施の花「西施花」とされています。おそらくは西施花の日本語読みのセイシカから当て字で聖紫花になったのでしょう。では、芭蕉の句に出てくる西施とは、どのような女性だったのでしょうか?

紀元前、春秋戦国時代、中国の南部。越(えつ)と呉(ご)は敵国同士でした。呉との戦いに一時敗れた越は、再起を期します。それが「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」の故事です。越の王は、呉の王が好色であることを知り、企てます。それは、中国の魏晋(ぎしん)南北朝時代の兵法における戦術を分類した書『兵法三十六形(へいほうさんじゅうろっけい)』の1つ、美人計(色仕掛けで相手の戦意を失わせる謀略)でした。西施は、越の王から呉の王へ謀略のために差し出されたのです。西施の美しさに呉の王は、政治に熱を入れずに女色にふけりました。やがて呉は衰退し、越に滅ぼされたのです。

越の国のとある谷にはさまれた東の施家(しけ)と西の施家という集落があります。西施は、その西の施家に生まれた、まき売りの娘でした。西施が川で洗濯をしていると、魚たちが見とれて泳ぎを忘れたとされています。彼女は、政治、戦争の道具にされ、最後は革の袋に詰められて湖に沈められました。2,500年の時を超えて伝えられる絶世の美女の悲しい物語です。※一説によると、西施は知略を尽くして生き残り、自分を道具にした人たちに一矢を報いたとも伝えられています。

夏の夜に咲くネムの花。私も芭蕉のように感傷に浸り眺めてみました。次回は「ネブの花[中編]」です。お楽しみに。

JADMA

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