小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
「フォーチュンベゴニア(R)」[その1]
2022/09/06
涼しいアンデス山脈、高山地帯の夏に咲く球根ベゴニアの原種たち。世界で最も美しい花の一つとされる高嶺の花は、夏に猛暑に襲われる東アジアの平暖地で楽しむのは無理だと、長い間思われてきました。そんな常識を覆したのは、「フォーチュンベゴニア」です。その開発の経緯経過を、自ら東アジア植物記に書き留めておこうと思います。
2005年8月16日。バルト海を渡るフェリーの発着場所があるドイツのフェーマルンの民家の庭です。コンテナや花壇に植えられた美しい球根ベゴニアが目に留りました。日本では旧盆の季節です。この日、この場所の気温は15℃。近くを通り過ぎたお嬢さんは革のジャケットを着ていました。
私のようにヨーロッパを旅して球根ベゴニアの美しさに魅せられた日本人はたくさんいるはずです。しかし、その思いは日本の平暖地露地において、実現することはありませんでした。フェーマルンの北緯は54度28分です。東アジアにその緯度と同じ場所は北海道にはなく、樺太北部かカムチャッカ半島なのです。総じてヨーロッパ北部の都市は、稚内よりも高緯度にあります。花の都パリでさえ、札幌より北です。
デンマークの花壇です。緯度が高く、夏は比較的涼しいヨーロッパ中北部では、球根ベゴニアはペチュニアやニチニチソウのように、夏の花壇苗として使われるのです。どの花よりも大きな花を咲かせる球根ベゴニアはひときわ目を引きます。
球根ベゴニアは日本において、3月上旬に種をまき、4月下旬にポット上げ、6月下旬に開花した苗に仕上げることは、園芸のプロであれば難しくありません。しかし、球根ベゴニアは苗ができても、梅雨明け後の高い気温では、北海道か高冷地、もしくは温度管理した冷室でなければ育たないのです。
横浜の7月23日の写真です。球根ベゴニアはアンデスの山中、絶えず雲や霧が舞う雲霧林(うんむりん)という環境に多くの原種を持っています。従って、梅雨の涼温多湿、低日照の中ではよく育ち、花を咲かせることができます。しかし、梅雨明け後、強い日射が葉に当たるとやけどを起こします。猛暑が訪れ、30℃以上の高温が続くと、球根ベゴニアは体調を壊し、しまいには枯死してしまいました。
このような苦い経験は私も含め、多くの園芸家が経験してきました。ですから戦後の長い間、園芸業界ではきれいな花だけど、球根ベゴニアは温暖な土地での生育は無理な花、アンタッチャブルな花と思われてきたのでした。でも、この美しい球根ベゴニアを本当に日本の温暖地で楽しむことはできないのでしょうか?私は、気温が上昇する春から夏に楽しむのではなく、次第に涼しくなる秋から冬に楽しんだらよいのではないかと考えたのです。世間には先に述べたような球根ベゴニアアレルギーがあり、この考えに賛同してくれる人は当時ほとんどいませんでした。
当時、花種の営業マンだった私は、埼玉県の鴻巣(こうのす)という花の産地がお客様の一つでした。そこでお父様の後を継いで花作りをする若者、飯塚園芸さんが私の考えに賛同し「フォーチュンベゴニア(以後、秋に出荷できる球根ベゴニアのことをフォーチュンベゴニアと記述します)」を作り始めました。6月に播種、2カ月育苗、8月にポット上げ、9月15日ごろ出荷するスケジュールを計画しました。結果は2008年9月のこと。何千粒もの種をまき、作れたのは上の写真にあるこれだけでした。「きれいな花だな」「可能性は感じるけど」と期待感と挫折に複雑な表情を見せる彼。でも、くじけなかったのです。これが初めの一歩でした。
翌2009年9月18日。上の写真は「フォーチュンベゴニア」初出荷のときのものです。あそこまで作りにくかった植物をよくぞここまで仕上げた、お見事です!後にも先にも、東アジアにおいて彼ほど「フォーチュンベゴニア」をうまく作れる生産者には出会っていません。さあ、ここからが大変です。この花が売れる筋道を開発しなければなりませんでした。
一つの園芸作物を開発するということは、可能性を見い出し、種苗の生産技術と供給を確立して、生産品を流通、販売のルートに乗せることです。それと同時に消費者の購入動機を作り出すことでした。流通の鍵を握る、大田花き市場には私の「フォーチュンベゴニア」ビジョンを理解してくれる田中氏がいました。「フォーチュンベゴニア」が売れるようになったのは、彼のおかげです。その日から全国の市場、流通業者、小売り店への説明と消費者アピールの旅が始まり、徐々に全国への販路を広げていきました。
今では「フォーチュンベゴニア」は、多くの通信販売や園芸店で購入できるようになりました。8月下旬や9月上旬にお店に出る場合もありますが、9月のお彼岸まではまだ暑いので半日陰や日陰に置いてください。不思議なことにお彼岸を過ぎると気温も徐々に下がり、暑さが穏やかになります。その時期には「フォーチュンベゴニア」は日当たりのよい場所に置くと、とてもよく生育して驚くような大輪の花を咲かせ続けます。
購入したポット苗の「フォーチュンベゴニア」は色々と利用できます。「フォーチュンベゴニア」は、秋色のコンテナによく合います。この豪華さは、この植物だからこそ表現できます。一般的な花の大きさは7~8cmですが、肥料が好きな植物で、肥料がよく効くと最大10cmほどで咲くこともあります。
この子たちは花壇植えにも適します。株の間隔は30cmです。9月上旬から下旬に植え、12月上旬までには隙間が埋まるほど生育して、見事な花壇を作ることができます。
上の写真は恥ずかしながら、私の作品です。「フォーチュンベゴニア」は、ハンギングの素材としても優秀です。きっと皆さんなら、もっと素敵なハンギングを作ることでしょう。「フォーチュンベゴニア」の生育適温は25℃です。この気温では、1日に5mmほどの成長スピードでどんどんと大きくなります。30℃以上の高温では多くのトラブルを起こしますが、30℃以下から5℃くらいまでの冷涼な気温下では、パンジーなどの秋冬の草花と同様、信じられないほど丈夫で扱いやすい花苗です。「フォーチュンベゴニア」は、きっと皆さんの園芸ライフを豊かなものにしてくれることでしょう。
次回、「‘フォーチュンベゴニア(R)’[その2]」では植物学的に解析し、より楽しむために必要な情報を解説します。お楽しみに。