小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
「フォーチュンベゴニア(R)」[その2]
2022/09/13
日本で一番長い山脈は、岩手県から栃木県に及ぶ奥羽山脈です。その長さは500kmあります。では、世界一長い山脈はどこでしょうか?それは、南米のアンデス山脈。その広がりは奥羽山脈のおよそ15倍です。アンデス山脈は、私たちの想像を超える圧倒的なスケールを持つ山塊(さんかい)です。「フォーチュンベゴニア」は、そんな南米の山中に暮らす塊茎(かいけい)を作る原種ベゴニアたちの交配によって誕生した交配種です。
どこからどこまでがアンデス山脈なのか意見は分かれているようです。その長さは7,500kmとも8,900kmとも定かではありません。幅は200~750kmもあり、その範囲は世界最大。南アメリカ大陸の西岸に沿ってそびえ立ち、その懐には熱帯から寒冷、湿潤から乾燥とほとんどの環境を保有しています。
「フォーチュンベゴニア」の元になった球根ベゴニアの原種たちは、アンデス山脈の標高1,500~2,500mほどの亜熱帯雲霧林(うんむりん)の半日陰で湿った岩場や斜面、崖などに原生しています。
19世紀、いち早く産業革命を成功させたイギリスは、植民地を支配した帝国主義国家でした。その強い国力を背景に、世界中へプラントハンターを派遣して、有用な植物を集めたのです。The Veitch Nurseries(ヴェイッチナーセリー)は、19世紀のヨーロッパで最大の種苗会社でした。その会社のプラントハンターの1人である、Richard Pearce(リチャード・ピアース 1835~1868)は、アンデスのペルーボリビアなどで植物の採取をしました。
ベゴニア ペアルケイBegonia pearceiシュウカイドウ科ベゴニア属。種形容語のpearceiは、この種をボリビアで採取したRichard Pearce(リチャード・ピアース)に献名されています。 ベゴニア ペアルケイは、長い花梗(かこう)を持ち、球根ベゴニアの原種の中で唯一、黄色い花を付ける遺伝子を持っています。
ベゴニア ボリビエンシスBegonia boliviensisシュウカイドウ科ベゴニア属。種形容語のboliviensisは「ボリビア産」という意味です。この種も1864年にリチャードによってアンデス山中で発見され、ヨーロッパに紹介されました。リチャードは、この他にBegonia veitchiを含む3種類の塊茎性ベゴニアを採取し、イギリスに送りました。それが、現在の球根ベゴニアという園芸種を作る先駆けとなったのです。
私も、東アジアでいくつかの原種ベゴニアを見ましたが、いずれも半日陰で空中の湿度が感じられる場所、そして例外なく斜面でした。このベゴニア ボリビエンシスは、ボリビアからアルゼンチン北部の湿った小川の縁などの斜面に生える球根ベゴニアの原種の一つです。
ベゴニア ダビッシーBegonia davisiiシュウカイドウ科ベゴニア属。ペルーで発見された球根ベゴニアの原種です。オレンジの色合いで背が低くコンパクトな性質があります。種形容語のdavisiiは、採取者であったWalter Davis(ウォルター・デイビス)にちなんで献名されています。彼もまたヴェイッチナーセリーのプラントハンターでした。この会社は、驚くほど多くのハンターを雇っていたのでした。『世界球果図鑑[その27]トウヒ属6』のNo.71で紹介した、幕末に富士登山をして、トウヒ属のマツハダPicea alcoquianaマツ科トウヒ属を発見したハンター。その命名者となったJohn Gould Veitch(ジョン・グールド・ヴェイッチ)は、ヴェイッチという名前からもわかるように、そのナーセリーの身内です。
ベゴニア シナバリナBegonia cinnabarinaシュウカイドウ科ベゴニア属。この原種は、ペルー ボリビアのアンデス山系に原生します。学名を付けたのはイギリスの植物学者William Jackson Hooker(ウィリアム・ジャクソン・フッカー)です。種形容語のcinnabarinaとは、花の色合いが赤褐色の硫化水銀系鉱物cinnabar(辰砂 しんしゃ)の色に似ていることにちなみます。茎が剛直で立ち上がり、背が高い性質です。
南米アンデス山中で見つかった魅力的な原種たちは、地下部に厚みのあるまんじゅう状の塊茎を持っています。19世紀にそれらはさまざま交配され、大きな花を付ける八重咲き品種へと選抜されたのです。故に学名はBegonia×tuberhybrida(ベゴニア チューバーハイブリダ)、通称「球根ベゴニア」と呼ばれます。Tuberとは塊茎のことです。
初期に改良された球根ベゴニアの品種たちは、草丈30cmの大きさに達するものもあります。それらは長大で専用の温室でもなければ花を楽しむのは無理な話です。現在は、草丈10cmくらいの高さで、花径7~10cmの花を付ける「フォーチュンベゴニア」が開発され、家庭で栽培しやすいサイズになりました。
さまざまな球根ベゴニアの資料を読むと「育てるのは難しい」「専用温室で育てる」「乾燥を好む」などの記述があります。本当にそうでしょうか?夏の涼しい欧州や北海道などでは、球根ベゴニアは花壇で楽しむ草花です。猛暑が襲う夏の温暖地において、その難しさを回避する栽培方法や、楽しむ季節を変える、時差園芸を開発すればよかったのです。球根ベゴニアの原種たちは、アンデス亜熱帯地域の亜高山帯雲霧林において、斜面や崖に生息し、夏の日が長い「長日(ちょうじつ)期」に開花する性質を持っています。この理解が、この植物たちを育てる上で決定的に重要なことなのでした。
次回は「‘フォーチュンベゴニア(R)’[その3]」です。お楽しみに。