小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
水の滸(ほとり)[その5] トチカガミ科
2023/09/19
トチカガミ科の植物は、世界の温帯から熱帯にかけて、20に近い属を持ち、100種以上の種(しゅ)を分布させています。それは、水の中や水面で生活する多様な種属であり、すべて水草です。普段の生活からは、縁の遠い植物群ではありますが、身近な用水路や都市河川にも生息しています。トチカガミ科のいくつかの種属を見ていきましょう。
第三京浜道路と首都高速道路が交わる神奈川県の港北インターチェンジ付近には「江川せせらぎ緑道」が整備されています。水路の両側にソメイヨシノが植栽されていて、横浜市の桜の名所として知られています。この水路は、横浜市都筑区下水再生センターからの排水を鶴見川に流すためのものです。高度に処理された排水は透き通りきれいです。
緑道を歩くと、初夏から秋にかけてハグロトンボCalopteryx atrata(カロプテリクス アトラタ)カワトンボ科カワトンボ属が、水面をヒラヒラと飛び回る姿を観察できます。このハグロトンボは、東アジアと北米で流れがあり沈水植物がある水辺に生息しています。
カワトンボの幼虫は、この沈水植物が育んでいます。セキショウモVallisneria asiatica(ヴァリスネリア アジアティカ)トチカガミ科セキショウモ属。属名のVallisneriaは、17世紀のイタリア博物学者のAntonio Vallisneri(アントニオ ヴァリスネリ、1661~1730)にちなんで命名されています。セキショウモは、東アジアからオーストラリアに広く生息する沈水の水草で、種形容語のasiaticaは、アジアを表します。
セキショウモは、親株から子株をつくるためのランナー(つる)を水中に伸ばし、水底に広がります。そして、夏から秋にかけて長い花茎を伸ばし、水面に白い小さな花を咲かせます。セキショウモは水媒花であり、水の流れによって運ばれてくる花粉を受け入れて、受粉するのでした。
こちらは、自宅近くの小さな水路に白い小さな花を咲かせていた水草です。オオカナダモEgeria densa(エゲリア デンサ)トチカガミ科オオカナダモ属。属名のEgeriaは、ギリシャ神話における、水の精霊にちなみます。種形容語のdensaは「生い茂る」「密生する」という意味です。和名をオオカナダモといいますが、カナダには縁もゆかりもありません。ブラジル、アルゼンチン、チリなど温暖な南アメリカに原生します。人間の都合で日本に持ち込まれたのですが、枝葉の切れ端から繁殖をして、在来の水草に影響を与えるほど、あちらこちらで繁茂しています。
オオカナダモは、温暖な地域の、よどんだ水域に生息する常緑の沈水植物です。茎は長く、1m程度に伸びます。茎に葉が密に輪生(りんせい)し、通常4枚の葉を付けるようです。トチカガミ科は単子葉植物なので、花被は3数性を示します。がく3枚、花弁3枚、雄しべ9本でした。花の大きさは1cm程度、純白の一日花です。
オオカナダモ属はいずれも南アメリカが原生地で、2~3種の小さなグループです。Egeria najas(エゲリア ナヤス)トチカガミ科オオカナダモ属は、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイに生息する沈水性の水草です。葉先がカールし、葉縁の鋸歯(きょし)が明確でオオカナダモに比べ繊細な印象です。この水草は、観賞用として販売されていて、丈夫なことからいずれ、オオカナダモ同様に、日本の水路で見ることになるかもしれません。
こちらは、少し珍しい水草です。ミズオオバコといいます。ミズオオバコOttelia alismoides(オッテリア アリスモイデス)トチカガミ科ミズオオバコ属。夏に、トチカガミ科に共通の3数性の花を付けます。ミズオオバコ属は、一年生の沈水植物です。流れのゆっくりした小川や水路、池や水田に生息します。
種形容語のalismoidesは、オモダカ科のサジオモダカ属(Alisma)に似たという意味です。確かに、葉がサジオモダカに似ています。英語はducklettuce(アヒルレタス)だそうです。日本でミズオオバコは、この1種だけが生息していますが、全世界に20種ほどが知られています。アフリカ、オーストラリア、アジアの熱帯と温帯域に分布し、分布の中心はアフリカだといわれています。
オオトリゲモNajas oguraensis(ナーヤス オグラエンシス)トチカガミ科イバラモ属。和名のトリゲモは、葉が鳥の毛に似たという意味で、属名のNajasとは、ギリシャ神話の、泉の精霊のことです。この精霊がいる泉の水は、病を癒やす力があるといいます。種形容語のoguraensisは、かつて京都にあった巨椋池(おぐらいけ)に生息したことによります。
Najas(ナーヤス)属は、沈水性の水草で、和名をイバラモといいます。小さくてよく見えませんが、葉にはイバラのような明確なとげがあるからです。
さて、トチカガミ科の標準属種がトチカガミです。トチカガミHydrocharis dubia(ハイドロカリス ドゥビア)トチカガミ科トチカガミ属。漢字では「鼈鏡」と書きます。鼈とはスッポンのことです。この植物の丸い葉を鏡や、スッポンの甲羅に例えたのだと思います。種形容語のdubiaは「疑わしい」「はっきりしない」という意味ですが、何がはっきりしないのか? 命名者に質問してみないと分かりません。
トチカガミは、スイレンのように基部からの大きな切れ込みの葉を持つ、浮遊性の水草です。水面に浮かぶ葉を裏返すと、その基部が奇妙に膨らんでいました。それは、細胞に空気を入れた浮袋のような器官です。この植物は、さまざまな工夫で「浮草人生」に適応しています。
トチカガミ属は、暖地性で世界に3種とされ、トチカガミHydrocharis dubiaは、東アジアから南アジア、オーストラリアの停滞水など広域分布します。宿根草のトチカガミは、秋になると茎の先端に栄養をためて、殖芽(しょくが)という水草だけが持つユニークな自己複製器官を作ります。
これがトチカガミの殖芽です。長さは4cm程度、学名はHydrocharis(ハイドロカリス)でした。属名のHydrocharisのHydroとは「水」のことで、Charisとは、ギリシャ神話における、春の芽生えの活力を表す女神のことです。属名であるHydrocharisは、この殖芽で春にトチカガミが復活する様子を観察して付けられたのでしょう。とてもすてきな名前です。
次回は「水の滸[その6] ミズアオイ科」です。お楽しみに。