小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
トチナイソウ属[前編] 景天点地梅
2024/07/16
暑いさなかですが、標高3000mを超す高嶺(たかね)に咲く「景天点地梅」という植物の話で涼んでいただきたいと思います。その漢字のイメージからも、爽快で気持ちのよい植物のように感じられます。それは、「妖精の燭台(しょくだい)」とも呼ばれる愛らしい植物です。
リゾートのイメージといえば、青い海と白い砂浜、ヤシの木陰かもしれませんが、3000m以上の山が見える場所も、優れた景色の一つに違いありません。上の写真の山は、雲南省(うんなんしょう)麗江市(れいこうし)納西族(なしぞく)自治県にある玉龍雪山(ぎょくりゅうせつざん)です。標高は5596m、北半球において最も南に位置する氷河があり、レッサーパンダやユキヒョウを宿す山です。
この山の麓(ふもと)には、山の雪解け水などが染み出す湿地草原が広がります。そこは、五色草原と形容されるカラフルな花園です。とにかくサクラソウの種類と量の豊富さは、この付近の特徴の一つです。
湿った草原は、さまざまな色合いをしたサクラソウに覆われるのですが、山斜面や小高い丘は水はけがよく、やや乾燥しており、サクラソウたちは育ちません。ガレ場にはガレ場の、岩場には岩場の植物たちが生えているのですが、その中でも異彩を放っていたのが「景天点地梅」でした。
チベットでは、3000mを超えても普通に人の営みがあり、台地状の地域なので標高計測機器を持ち歩いて高山病に注意を払います。チベット族は、高山に適応した身体能力を身に付けていますが、私は酸素の缶詰を持ち歩きました。標高3320mの丘斜面で、灌木(かんぼく)の隙間に小さな赤色の花を付ける植物を見つけました。
それが「景天点地梅」です。和名がないので中国語で表記しました。その名前は、景色のよい天地に生え、小さな梅のように丸い五弁花を付けるという意味があるのだと思います。「景天点地梅」は、サクラソウ科トチナイソウ属という植物の一群です。トチナイソウ属は、世界の極地や高山に100種以上が生息する植物ですが、ヒマラヤ山脈付近が起源とされ、70種以上が中国の高山に生息していて、そこが分布中心です。
アンドロサセ ブレヤナAndrosace bulleyanaサクラソウ科トチナイソウ属。この植物は、肉厚ロゼット状の根出葉を重ねるように展開します。この葉の形態では、草が生い茂った草原では生育ができません。小さな扇状地の岩場や崖崩れなどでできたガレ場などがこの種(しゅ)に必要です。
アンドロサセ ブレヤナは、直径10cmぐらいの葉が幾重にも重なったロゼットを作ります。高さ20cmの花茎を1本または複数本立ち上げ、直径1cm程度の色鮮やかな赤花を咲かせます。その様子がFairy Candlesticks(妖精の燭台)という別名の由来です。この種(しゅ)は、根茎などを作らず、開花後に種子を付けると枯死する一回結実性です。種子から開花まで多年を要し、開花後に実生から再生される性質で生育する環境が限定的な希少なトチナイソウ属の一つです。
アンドロサセ ブレヤナの学名、トチナイソウ属のラテン語表記Andresaceの由来です。その形状から亜熱帯の海域に生息し「人魚のワイングラス」といわれ、カサノリ科属(Acetabularia)という珍しい海藻に似ていることからの出典転用との説があります。
種形容語のbulleyanaは、チベット動乱の時代、インディージョーンズのような活躍で植物採取を行ったGeorge Forrest(ジョージ・フォレスト、1873~1932)に関係する名前です。ジョージは、イギリスの綿花商人であり、中国雲南省でのプラントハンティングのパトロンであったArthur Kilpin Bulley(アーサー・キルピン・バリー、1861~1942)にこの植物の名を献名しました。
景天点地梅は、チベット自治区と雲南省北西部に固有のトチナイソウ属です。この省は、海から離れている内陸。海抜が4~6431mにおよび、標高によってさまざまな植物がすみ分けているのも興味深い地域です。今回のアンドロサセ ブレヤナは、1800~3300m付近に生息するトチナイソウ属でした。
次回、「トチナイソウ属[後編]」では、もう少し標高の高い場所に分布域を持つトチナイソウ属が登場します。お楽しみに。