小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
トチナイソウ属[後編] 刺叶点地梅ほか
2024/07/23
トチナイソウ属は、かれんな花姿を持つ植物群です。それは、ヒマラヤを起源として、主に東アジアを中心とする北半球の高山帯に分布しています。それらは、寒冷な気象条件に適応した植物ですが、中には耐暑性を獲得して、熱帯域に生息する種(しゅ)もあります。トチナイソウ属[後編]では、中国の雲南省、四川省の2900〜4500mの高山に生息するトチナイソウ属から始まります。
20世紀に書かれた小説『失われた地平線』(ジェームズ・ヒルトン著)では、ヒマラヤ山脈のどこかにある神秘の国「シャングリラ」は、草花が咲き乱れる理想の楽園として描かれています。21世紀になって、そのイメージから中国の雲南省デチェン チベット属自治州中甸県は、正式に「香格里拉(シャングリラ)市」に改名したのでした。シャングリラの郊外には、確かに草花が咲き乱れる景色があります。
標高3400mのやや乾いた草原の斜面では、足の踏み場もないほどヒマラヤイチゲAnemone obtusiloba(アネモネ オブツシロバ)キンポウゲ科イチリンソウ属が生えていました。この植物は、白から空色、濃い青までの色幅があり、1株でも花色が変化しているようで、そのグラデーションがとてもきれいでした。この花が辺り一面に咲く様子を見ていると、この世の楽園とは、このようなところなのだろうと思うほどです。そんな場所に「刺叶点地梅」がところどころに咲いていました。
余談ですが、このヒマラヤイチゲは、イチリンソウ(アネモネ)属として承知していましたが、最近、分類が新設され、変更されました。現在は、Anemonastrum obtusilobum(アネモネストラム オブツシロブム)キンポウゲ科アネモネストラム属というのが新しい名前です。属名のAnemonastrumは、「アネモネのような」という意味です。理由は分かりませんが、イチリンソウ属と区別する必要があったのでしょう。それは、モンゴル、チベット、パキスタン、ネパールなど2100~4300mの高山に生息しています。
一面のヒマラヤイチゲに混ざり、ちょうど開花盛期を迎えていたのは、アンドロサセ スピヌリフェラAndorosace spinuliferaサクラソウ科トチナイソウ属。中国名は「刺叶点地梅」です。「叶」とは、「葉」という意味で、種形容語のspinuliferaの意味は「とげを持つ葉」という、中国名のままと同じ意味です。
アンドロサセ スピヌリフェラは、地下部に根茎を持つ宿根草で、根際から20cm程度の花茎を立ち上げ、茎の頂に散形花序(散形花序)を開きます。梅のように丸い5枚の花弁は、大きさ1cm程度です。中心部が赤紫に染まりますが、咲き始めは黄色です。葉は、長さ5cm程度の長卵型の根出葉、表面は、柔らかい毛で覆われていて、その先端はとげのようにとがります。
アンドロサセ スピヌリフェラは、中国雲南省北西部と四川省西部の固有種です。生育環境は、標高2900~4500m付近のやや乾燥した草原や丘陵地などに生育する植物です。
トチナイソウ属は、寒冷な気候に生息する植物ですが、熱帯域などに分布を広げた種(しゅ)もあります。次は、東アジアのみならず、パキスタン、フィリピン、ニューギニアなど広域分布しているトチナイソウ属です。上の写真は中国、山東省泰安(たいあん)市にある小高い丘です。
ガイドを頼んで植物観察に出かけたのですが、その貧相なフローラにはがっかりしました。この地域の降水量は日本の半分程度、一度切り開いた森はなかなか元に戻らないのです。林は痩せ、山は乾燥していてわずかな植物種しか見当たりませんでした。
そんな乾燥した丘の岩場に、小さな白い花を付ける植物を見つけました。根出葉から花茎を立ち上げ、がく5枚、花弁5枚、梅のような丸い花姿、写真では確認できませんが、明確な葉柄を持ち、1cm程度の半円形の葉を持ちます。花序に付く花数も少なく、花冠の大きさは5mmほどです。花の大きさがあまりにも小さいために最初は、モウセンゴケ属Drosera umbellata(ドロセラ ウンベラータ)として記載しました。
リュウキュウコザクラAndrosace umbellata(アンドロサセ ウンベラータ)サクラソウ科トチナイソウ属。中国名は「天地梅」です。おそらくトチナイソウ属で、最も南に分布する種だと思います。種形容語のumbellataは、アンブレラを意味します。それは、花序が傘のように広がるからです。植物用語では、散形花序といいます。
リュウキュウコザクラは、山地の開けた草地に生息する一年草です。中国でも西部の乾燥地帯を除き、ほとんどの省に生息しています。和名のリュウキュウコザクラ(琉球小桜)とあるように、日本の沖縄をはじめ、九州、四国、中国地方にも生息していて、大陸と地歴的つながりのある地域に広く生息しています。
トチナイソウ属の愛らしい花姿を楽しみたいと思う方のために、園芸種が開発されています。それは、北米とヨーロッパアルプスに原生する、アンドロサセ セプテントリオナリスAndrosace septentrionalisサクラソウ科トチナイソウ属を元に改良された、アンドロサセ スターダストという品種です。種子も販売されているので、ご家庭でも楽しめます。リュウキュウコザクラと同じように見えるかも知れませんが、葉の形状が異なり、一つの花序に付く花数が多いのです。中国名は「北点地梅」です。
トチナイソウ属という名前は、岩手の早池峰山と北海道、千島列島などに生える、トチナイソウを発見した、栃内壬五郎(とちないじんごろう)氏に献名された名です。「妖精の燭台(しょくだい)」と呼ばれる、このファンタジックな植物群の多くは、極地や山地に生息しています。その高山に吹く冷風を想像して、涼んでもらえればうれしいです。
次回は、丸くてつやつやした実を付ける「トチノキ」のお話です。お楽しみに。