小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
ケンポナシ
2024/10/01
秋は、実りの季節。おいしい季節がやってきます。これからクリ、カキ、リンゴやナシなどさまざまな果物が本格的に出回ります。今年もいろいろ楽しみたいです。
しかし、今年の夏には参りました。9月になっても猛暑日や真夏日が続いて体にこたえます。クーラーのおかげで何とか過ごせるとはいえ、炎天下で仕事をしている方を見ると頭が下がります。植物たちは、炎暑をものともしないC₄植物※という猛者もいますが、多くは高温、強光線で障害を受けます。
※C₄植物(しーよんしょくぶつ)…強い日射の元で高温や乾燥に耐えるよう適応した植物と考えられ、光の強さに比例した高い光合成速度、飽和点が見られないことで高い乾物生産能力を持つ植物のこと。
今年のナシの作柄は、高温の影響で不作のニュースがありました。今回はナシとは、まったく異なる植物群でありながら、食べてみると不思議とナシの味がする、奇妙な森の恵み「ケンポナシ(玄圃梨)」のお話です。
これが、何だか分かりますか?ご存じの方は食べたことがありますか?私の手のひらに乗せると、この大きさです。これは、ケンポナシと呼ばれる樹木の先端にある丸い構造が果実です。植物学的に果実(fruit)とは、雌しべにある子房とそれに伴う構造が成長したものです。
ケンポナシHovenia dulcis(ホベニア ダルシス)クロウメモドキ科ケンポナシ属。果実は、このように梢(こずえ 樹木の先の部分)に付いています。1cmにも満たない小さな丸い果実が分かりますが、これがナシのような味がするわけではありません。この果実の軸が奇妙に膨らんでいます。これを食べてみると、あ~ら不思議!みずみずしいナシの味なのです。
ケンポナシの果実は、冬の初めに高い梢から枝ごと地面に落ちます。果実を支えている軸が膨らんでいるので、虫こぶ※のようでもあります。森の中、土や葉の上に落ちるので、ちょっと不衛生で不気味な感じもしますが、これを拾って食べるのです。
※虫こぶ…寄生した虫の刺激などに反応して、植物組織の一部が異常な発達をしたこぶ状の突起のこと
ケンポナシは、Carl von Linne(カール・フォン・リンネ、1707~1778)の弟子で、鎖国中の日本に来て植物調査したCarl Peter Thunberg(カール・ピーター・ツンベルク、1743~1828)が学名を付けました。彼は、財政支援をしてくれたオランダの支援者であるDavid ten hoven(デビッド・テン・ホーブ、1724~1787)に感謝の意味を表し、ケンポナシの属名にHoveniaと名付けました。
ツンベルクの日本での滞在はわずか1年だけでした。そんな中でも、外国人ゆえに絶えず監視され、自由に行動ができなかったといいます。それでもツンベルクは、クロマツ(Pinus thunbergii)、メギ(Berberis thunbergii)、タブノキ(Machilus thunbergii)など挙げれば切りがないほど、日本の植物を調査して学名を付けたのです。なぜそんなことができたのでしょうか?それは、きっと日本人の協力者がいたに違いありません。
ツンベルク、シーボルトの後、幕末の日本に訪れたプラントハンターでRobert Fortune(ロバート・フォーチュン、1812~1880)がいました。彼の著書である「幕末日本探訪記」で面白い記述を残しています。誇張はあると思いますが、「江戸中は、日没以後は酔っぱらいの天下」で「毎晩9時ごろまでに成人の半分は、多かれ少なかれ酒を飲んでいる」というのです。全てうのみにはできませんが、その時代の風俗を垣間見た気がします。お酒を飲んだ明くる日に、多くの日本人が二日酔いになったことは想像に難しくありません。
ナシには、二日酔いを軽減する効果があるといわれています。江戸時代に現在のような、ナシの果実の生産と流通があったかどうかは分かりませんが、山地や森にはケンポナシが生えていました。そしてケンポナシは、ナシ同様に二日酔いを軽減し、嘔吐(おうと)を止める作用があるといわれています。きっと、江戸時代の酔っぱらいたちは、ケンポナシのお世話になっていたに違いありません。これは推測ですが、江戸時代にはケンポナシが薬用として身近だったのだと思います。それゆえにツンベルクのわずかな滞在の中で、ケンポナシが目に留まったのでしょう。
ケンポナシの種形容語dulcisの説明です。dulcisとは、ラテン語で「甘い」「美味」を意味します。英語のデリシャス(delicious)と同じ語源だと思います。ツンベルクは、この実を食べて、その意外性とおいしさを味わったはずです。
ケンポナシは、温暖で湿度の高い日本、朝鮮半島、中国に生息する東アジアの固有種です。日本には、ケケンポナシという近縁種もあります。ケンポナシは樹木として成長が早く、良質な木材が取れるといいますが、樹種として多く産するわけではありません。
ケンポナシは、 6~7月に白い花を咲かせます。長年、ケンポナシを追いかけていますがいまだに開花に巡り会えないでいます。夏の樹木の花で、開花期間がとても短いのです。ここからは、ツヤのあるケンポナシの葉と若い果実ができている様子を観察しましょう。
濃い緑色をしていて、丸いのが果実です。そして花柄(かへい)があり、果軸があるのが分かります。これが成熟して、あの奇妙なケンポナシになっていくのでした。果実の中には、右の写真のような黒光りする種子が三つ入っているのです。この黒い種子を普通にまいても発芽が悪いそうです。これは、種子表面に炭化水素の皮膜がコーティングされていて水をはじく、硬実種子だと思います。しかし、種子の中に水が浸透しないと発芽はしません。
ケンポナシの実は、森に生きる獣たちのごちそうです。この甘い味は、タヌキやアナグマなどをとりこにします。彼らは、果軸ごと果実も一緒に食べ、胃袋に入れます。おなかの中で、硬い種子のコーティングが剥がされ、肥料と一緒に種子が排出されるのです。ケンポナシは、森の生き物と共生しています。食料を提供して種子を遠くに運んでもらうのでした。
次回、ついに『東アジア植物記』は連載500回を迎えます。私のルーツでもあるパンジーについてお届けします。お楽しみに。