小杉 波留夫
こすぎ はるお
サカタのタネ花統括部において、虹色スミレ、よく咲くスミレ、サンパチェンスなどの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを展開。2015年1月の定年退職後もアドバイザーとして勤務しながら、花とガーデニングの普及に努めている。
趣味は自宅でのガーデニングで、自ら交配したクリスマスローズやフォーチュンベゴニアなどを見学しに、シーズン中は多くの方がその庭へ足を運ぶほど。
パンジーの来た道[その3]
2024/10/22
サカタのタネの社員として現役だったころ、北米、南米、南アフリカ、ヨーロッパ各地など、世界の種苗会社の営業マンが欧州に集まる会議がありました。そのときの懇談会で「1番の花好きは、どの国か?」という話題になりました。「それは、イングランドだろう」と衆目の一致です。そして「2番目は日本だ!」と世界の仲間たちが言うのです。「花好きを通り過ぎて花バカだ」と笑っていたのを、心うれしく感じたものです。花好きのイングランド人のお気に入りは、パンジーとバラです。イングランドは、パンジーの故郷であり、野に咲くスミレを「Hearts ease(心の癒やし、安寧)」と呼ぶお国柄です。パンジーが誕生したころ、全ての貴族と地主は、自身のために特別なパンジーコレクションを持ちたいと思っていたといいます。
パンジーは、ヨーロッパ各地に原生するスミレ属メラニューム(Melanium)=パンジー節(以下、パンジー節)で、スミレ属同士の種間交雑で生まれたものです。今まで遠く離れ、出会ったことのなかった遺伝子同士が交差した結果、劇的な変化が起きたのです。花が大きくなり、形が丸くなり、色合いの変化もさまざまでした。「マドラ」と名付けたパンジーとその子孫は、イングランドの貴族や庭師たちを夢中にしたといいます。
19世紀中盤、パンジーはイギリスで非常に人気があり、Hammersmith Heartsease Society(ハマースミス ハーツイーズ ソサエティ)などのパンジー協会ができて独自の鑑賞会を持つようになりました。その会では、交配によってできた、最新のパンジーを展示し競いました。それらを「ショーパンジー(show pansy)」と呼び、協会では、鑑賞会に出展するパンジーに厳密なルールを設けました。
1.花の形が円形でなければならない。
2.花弁が厚く、ビロード状(滑らかで光沢がある起毛)でなければならない。
3.花色は、1色もしくは2色でなければならない。 などです。
上の写真は、その当時のショーパンジーを思わせるものです。こうした偏った決まりごとは、何年もの間、イギリスでは支配的な考え方で、絶えず現れた新品種は容赦なく捨てられたといいます。
イギリスで作られたショーパンジーは、海を越えてベルギーやフランスに渡りました。ヨーロッパ各地では、イギリスで定められたルールは無視され、より美しい花を求めて人為的な交配が繰り返されました。そして、大輪になり、色彩も豊富な「ファンシーパンジー(fancy pansy)」という品種群が育成されたのです。19世紀後半になるとフランスでは、中輪多花性のトリマルドー系、ドイツでは耐寒性の強いヒエマリス系が育成されました。20世紀前半になると、スイスのログリー社によって現代パンジーの基礎となった、大輪系のパンジーが育成されました。
これが、スイスにおいて育成された「スイスジャイアント」の品種群です。下段左から、「ベルナ」「アルペングロー」「コロネーションゴールド」という名前の品種です。中央のムラサキと白の2色が印象的な品種は、「ビーコンズフィールド」といいます。花径は大きく、7cm程度の大輪で、基本色がそろい、現代のパンジーの基礎となりました。この品種は、形質がよく整い、品質がよかったので、世界中の種苗商から種子が売り出され、20世紀を代表するパンジーとなりました。現在、販売されている一代交配(F₁)パンジーの多くは、このパンジーを元に改良されたものです。
イギリスで生まれ、ヨーロッパで改良されたパンジーは大西洋を越えて、北米でも人気でした。そこは、「Bigger is better(大きいことはよいことだ)」というお国柄です。広大な土地、広い庭に適合した10cmを目安とする巨大輪が好まれ、オレゴンジャイアント系やマストドン系など大きな花を付けるパンジーが育成されました。
東アジアでは、サカタのタネがスイスジャイアント系とアメリカの巨大輪パンジーを元に、世界初の一代交配(F₁)品種群「マジェスティックジャイアント」 を開発しました。花の大きさは、10~12cmにもなる巨大輪で、品質がよく、生育が早くて丈夫でだったので、その品種群の一つが、1966年にオール アメリカ セレクションズ※で受賞を果たしました。この品種群は、世界的に人気があり、種子の注文が多く寄せられたのですが、需要に供給が追いつきませんでした。私もそんなパンジーたちの種子を出荷するのに、たいへん苦労しました。私は、この「マジェスティックジャイアント」系は、パンジーの歴史において不朽の名作だと思っています。
※オール アメリカ セレクションズ(All-America Selections(AAS):全米審査会)…1932年にアメリカ、カナダの一般園芸愛好家に対し新しい花や野菜の優良品種を紹介、普及を目的として発足した非営利機関で、世界の主要な種苗会社が競って新しい育成品種を出品する園芸業界で最も権威のある業界団体の一つ。毎年、アメリカとカナダにある多数の試作圃場で比較栽培審査が行われ、優良品種が選定される。
鉢植えで楽しむお花として誕生したパンジーは、育てやすく寒さに強いので、長期にわたって花を咲かせ続けました。そのため、花壇植えとしての需要が高まり、サカタのタネでは、風雨に強い中輪系(花径約6cm)の「マキシム」シリーズや、中輪系の単色品種の「ニュークリスタル」シリーズが開発されました。その結果、パンジーの評価はますます上がり、花壇苗として世界的に人気が高まるのでした。20世紀の花壇は、パンジーの一代交配種(F₁)が切り開きました。そして、パンジーは世界中の花壇にとって、なくてはならない存在になったのです。
10cmを標準とする巨大輪パンジーの「マジェステック」、6cm標準の中輪系の「マキシム」や「クリスタル」の人気は高まり続けた一方で、その中間である8cm標準の大輪系品種が求められました。そこで生まれたのが大輪系一代交配(F₁)の「リーガル」シリーズです。20世紀後半、官民を挙げて緑化が推進されました。ここで、カタカナ表記で意味を持つ「ガーデニング」という言葉が広まりました。秋になると多くの方が、パンジーを庭やコンテナに植えるようになり、その市場は飛躍的に増大したのです。当時の私は、市場調査の上、日本で1年間に生産するパンジーのポット苗を3億ポットと推定しました。
現代の世界における花のマーケットは、大きく分けて三つです。一つ目は伝統のヨーロッパマーケット、二つ目は世界最大のマーケットである北米、そして三つ目が日本の市場です。それぞれの需要を賄う種苗会社があり、そのマーケットに適合した品種改良を行うとともに、世界に売れる商品開発に余念がありません。急速に飛躍した日本市場には、世界の種苗会社が自らのパンジーの種子を売り込みました。パンジーの市場にも競争があるのです。皆さんもご存じのフリンジパンジーの元になったのは、フランスの地方であるChalon(シャロン)という村で育種された古い品種で「シャロンジャイアント」といいます。それは、ヨーロッパの種苗会社によって日本に持ち込まれました。
「シャロンジャイアント」やその後継品種は、フリルがあり渋い花色で、美しいパンジーの一つですが、発芽しにくく、春にならないと開花しにくい性質のために、作りづらいのです。上の写真は、生産者さんのハウスで「シャロンジャイアント」の後継品種を撮影したものです。「うまく咲かないので市場への出荷が難しい」と言っていました。
フリンジのパンジーは、フランスの田舎で生まれ、イタリアのナポリでも改良が続けられました。その後、日本でも改良され、その最新版がサカタのタネの「絵になるスミレ」です。「絵になるスミレ」は、色鮮やかで花も大きくなる性質を持ち、開花習性も改善された現代のフリンジパンジーになりました。
上の写真は、ある花の生産者さんのハウスです。サカタのタネのパンジーは、夏の8月中旬までに種子をまくと、10月下旬~11月に花が咲き始め、秋から春まで長期にわたり花を咲かせ続けます。ところが、ヨーロッパのパンジーでは、同じ日にまいても秋に花が咲かないことがあります。花が咲いたポット苗(写真の右側)は、出荷が順調に進んでいる様子ですが、花が咲いていないパンジーの一群(写真の左側)があります。秋に咲くパンジー、咲かないパンジーがあります。なぜ、そのような違いが起きるのでしょうか?
次回は、秋から翌年春まで長期にわたって花を咲かせ続ける「現代パンジー」の秘密についてお話します。お楽しみに。