2024/08/27
開発に14年、日本ほうれんそうと寒締めのいいとこ取りをした昔ながらの日本ほうれんそうタイプ「寒締め吾郎丸」。30年以上ホウレンソウ一筋のブリーダーに開発秘話をお聞きました。
新しい品種を開発するのがブリーダーの仕事です。どのような品種を作るか、まず目標に合った親の選抜を行います。次に優れた品種を生み出すために、選抜した親同士を組み合わせます。そのため、1年間で交配する組み合わせの数は数百にも及びます。
「ホウレンソウなら何でもいい」と
言われているような気がした…
――ホウレンソウ「寒締め吾郎丸」の育種がスタートした経緯を教えてください。
田中入社2年目にホウレンソウの担当になって30年以上、ずっとホウレンソウ一筋です。私がホウレンソウの品種開発に関わるようになったのは、2008年に販売を開始した「クロノス」くらいからかな。それ以降、国内に流通する当社のホウレンソウの、ほとんどに関わっています。
ホウレンソウの品種開発といえば、昔から収量と作りやすさ、すなわち農家の方々がホウレンソウでどれだけ利益を出しやすいかが重要視されてきました。そして、最近よく言われるようになったのが、収穫・調整作業(下葉を落とすなどの作業のこと)のしやすさです。ホウレンソウを生産する手間の8割が収穫・調整作業といわれていて、収穫してから出荷までの作業がしやすいものが求められています。
また、最近ホウレンソウで問題になっているのが、カビによる「べと病」という病気です。これは流行性の病気で、インフルエンザのように毎年どの型がはやるのか分からないし、はやる年もあれば、はやらない年もあり、新しい型も次々出てくるので、いたちごっこになっています。本来なら、生産者の方は、試作を重ねて慎重に品種を決めるところ、今は病気一つで試作もせずに品種をガラッと変えてしまうというような事態になってきています。
生産者目線で開発されたホウレンソウを取り巻くこれらの環境は、青果物を買う人にとってはどうでもよいことですよね。ホウレンソウのブリーダーとして、「ホウレンソウなら何でもいいや」「ホウレンソウは、何の品種を作っても全部ホウレンソウでしょ」と言われているような気がして、このままではマズイ!と思いました。品種に対してこだわりがあれば、そんなに簡単に品種を変えられないはず。だったら、生産者も消費者も「この品種じゃないと!」と、思ってもらえるようなホウレンソウを作ってみたいと思ったのが、「寒締め吾郎丸」開発のきっかけでした。
生まれて初めて
「おいしい!」と言われた
ホウレンソウ「寒締め吾郎丸」
――「寒締め吾郎丸」を食べたとき、えぐみやクセがなく、とにかく甘いと思いました。
田中
農場では、収穫した作物を従業員に配ることがあります。ホウレンソウもよく配るのですが、おいしいと言われたことがありませんでした。当時、開発中の「寒締め吾郎丸」を持って帰った従業員に、初めて「おいしかった!」「子どもも喜んで食べた!」と言われました。しかも、びっくりした顔で。そんな経験は今まで一度もなかったです。
「寒締め吾郎丸」は、よく甘いって言われますが、他の品種と比べて特別に糖度が高いわけではありません。それなのに甘いと感じるのは、えぐみなど余計なものを引き算していった結果だと思います。
――えぐみ以外の余計なものとは何ですか。
田中 ホウレンソウを食べたときに、最初は甘くても、口の中に甘くない筋が残ると、おいしいと感じにくくなってしまいます。「寒締め吾郎丸」の一番よいところは、えぐみが少ない上に、歯切れがよいというか、筋がかみ切れて、口の中に残らないことです。他の品種に比べてそのよさがストレートに出やすいから、すごく甘く感じるのだと思います。まずくする要素が少ないからこそ、冬のホウレンソウ本来の味を感じやすいのだと思います。
ミズナみたいな
ホウレンソウを作りたかった!
――「寒締め吾郎丸」は、昔ながらのホウレンソウをほうふつとさせる見た目が特徴的ですよね。
田中 いろいろ交配していると、たまに面白いのが出てきて、なんか水菜っぽいホウレンソウがあるな?と思ったのが始まりです。こんなこと言ったら怒られてしまうかもしれないけれど、遊び半分で水菜みたいな葉の枚数が多いホウレンソウを目指していたら、偶然、ボリューミーなホウレンソウができて、運がよかっただけだと思います。
葉がギザギザしているのが特徴の「寒締め吾郎丸」
――遊びで作っていたホウレンソウの割りに、開発に14年とかなり時間がかかっていませんか。
田中
特殊な形のホウレンソウだったので、なかなか形がそろわず丸くなってしまったり、違う形になってしまったり、形をそろえるだけで10年かかりました。株の形だけではありません。1枚1枚の葉の大きさが極力そろうようにしました。
普通のホウレンソウは、年に2回交配するのですが、このタイプは、年に1回しか交配できなかったので、結果的に品種として発売できるまで14年とかなりの年月がかかってしまいました。
――「寒締め吾郎丸」は、収穫の時に葉が絡みにくいですよね。
田中 ホウレンソウの葉は、隣の株と絡まり合うと編み込んだようになって、どうやって分けるの?みたいなことになりますよね。その点「寒締め吾郎丸」は、日本ほうれんそうタイプのわりに立性で、茎が折れにくい特長があります。また、他のホウレンソウに比べると葉が小さいというか、大きくなりません。だから絡みにくいのだと思います。
成長がゆっくりだから
家庭菜園にもおすすめ!
――「寒締め吾郎丸」は、成長がゆっくりと聞きました。家庭菜園で食べきれないというお悩みにぴったりの品種ではないですか。
田中
ホウレンソウは、葉の数が少ないとどうしても栄養がそこに集中して、伸びが早くなります。ところが「寒締め吾郎丸」は、葉が次から次へと出てきて伸びが分散するため、他の品種に比べ、ゆっくり育ちます。それが、収穫期からの在圃性(畑でのもち)のよさにもつながっています。
家庭菜園ならまき時をずらして収穫時期をずらしつつ、株を抜かずに葉かきホウレンソウみたいな食べ方をしてもいい。寒さが厳しくなるほど、甘味が増します。耐寒性も強いので、冬の長い間楽しめるホウレンソウです。
撮影日:2023年2月 撮影地:横浜市
※過度な低温は葉傷みなどの原因になるので
ご注意ください。
ブリーダー直伝!
家庭菜園でホウレンソウ
「寒締め吾郎丸」を育てるコツ
――ホウレンソウといえば、土壌の酸度に注意が必要ですよね。
田中
ホウレンソウは、日当たりがよければ、よほどダメな事情がない限り追肥もいらないほど手がかかりません。種をまいて4、5日で無事に発芽さえすれば、あとは非常に楽で家庭菜園初心者向きの作物だと言えます。
ただし、酸性土壌だと作れません。極端に酸性でなければ作れるのですが、酸度が強いと最悪、発芽もしないし、発芽したとしても本葉が伸びず、次第に枯れます。石灰を入れて、目安としてはph6~6.5前後になるように調整してください。品種とか肥料とか関係なしに、まずはそこを注意してほしいです。もし、ホウレンソウがまったく育たないという場合は、まずは土壌の酸度を疑うとよいと思います。
――その他にも栽培上の注意点はありますか。
田中 ホウレンソウは、水没してしまっただけで品種に関係なく枯れてしまうので、平畝は絶対に避けた方がいいです。通常の畑なら5cmくらい、水はけがよくない畑なら10~20cmくらい高めの畝立てをします。
――ホウレンソウの根は地下に60cmくらい伸びると聞きました。育てるにはどのくらい深く耕す必要がありますか。
田中 畑の場合は、30cmくらい耕すのが理想で、その下は岩盤でもいいと言われています。60cm近く耕すと肥料分などがたまる場所がなくなってしまい、逆に育ちにくくなってしまうそうです。また、暑い時期の場合は、根が浅いと弱りやすいので、30cmよりも少し深く耕して、根が深めに張る方がよく育ちます。鉢植えの場合も深いプランターではなく、よくある20cmくらいの高さの一般的なプランターでもできます。
――毎年、残暑が厳しいですが、家庭菜園ではいつごろに種をまくと失敗しにくいでしょうか。
田中 家庭菜園では、関東の温暖地基準で10月10日を過ぎたくらいかな。昔は9月半ばくらいから普通に作れたのですが、年々できなくなってきています。年によってだいぶ異なりますが、2023年は、千葉県袖ヶ浦市で10月25日にも種をまいて遅過ぎるかなと思っていたのに全然問題なかったです。ただし、まき時が遅過ぎると温度が下がって発芽が難しくなってしまうので気を付けてください。
――「寒締め吾郎丸」は、どのくらいの間隔で種まきをするのが理想ですか。
田中
畝間は10~20cmくらいで、条間15cm、株間は5cmくらいが標準です。プランターでも同じです。密植すれば小さくひょろっと育つし、多少株間を空ければがっちり育ちます。
家庭菜園なら最初は株間を狭めで間引きしたものを食べながら育ててもいいし、間引きが面倒な方は、最初から5cmの株間を空けて育ててもよいです。密植して間引きもせず風通しが悪くなると、病気などにかかりやすくなるので、そこは注意が必要です。
――水に漬かってしまうと枯れてしまうとのことでしたが、種まきの後の水やりはどうすればよいですか。
田中
農場の場合だと秋に種をまいて、かん水チューブを使って土の表面に水が浮き始めるくらいまでかなりしっかりと水をやります。しばらくして乾いてしまうくらいの水では足りません。その後は、基本的に水やりはしません。この畑も10月25日に種をまいた後、まったく水をやっていないです。
本当に雨が降らない年で、前半ものすごく暑くて、株が小さいなら水をやってもいいかなーくらいの感覚です。鉢植えは土の表面が白っぽく乾いたら、鉢底からしっかり水が出るまでやってください。
――病害虫の防除について教えてください。
田中
家庭菜園では、薬剤散布はなるべく避けたいという方もいますよね。風通しをよくするために適正な株間にするのも大切なことです。それでも虫が付いてしまったら、捕殺かあまりにひどい株があれば、それを抜いて広がるのを防ぐのもよいと思います。
シロオビノメイガなどは、新芽のところに一匹でいたりするので、見つけ次第、捕殺します。
被害が拡大しやすいハスモンヨトウも最初は1枚の葉から始まります。1枚の葉に100個近くの卵を固めて産むので、その葉を取り除いてしまえば被害を防止できます。卵に気付かず幼虫が生まれても、1枚だけ透かしが入ったような葉があったら、その時点で取り除けば間に合います。大きくなって土に潜ってしまうと対処のしようがないです。そうなってしまったら、夜中に探すことになってしまいます。
『園芸通信』読者に向けたメッセージ
田中 よく考えたら、ホウレンソウは食べるものなのに、おいしさはどうでもよかったのかって思いますよね。「このホウレンソウでないと食べられない」っていう話は聞かなかったので、おいしいホウレンソウなんて考えもしなかったし、仕事中でも味を確かめようとはしませんでした。しかし「寒締め吾郎丸」が完成してからは、畑で味を確認するようになりました。
今までホウレンソウが品種名で一人歩きすることはあまりありませんでしたが、「寒締め吾郎丸」はギザギザの葉型が特徴的で、見た目もすてき。唯一無二だと思います。今年の秋は、ワンランク上のホウレンソウを作って、ぜひ食べてみてください!
「あっこれ、おいしいやつだ!」「冬のホウレンソウといえば、『寒締め吾郎丸』だよね」「ホウレンソウが欲しいんじゃない、『寒締め吾郎丸』が欲しいんだ!」くらいの存在になっていってほしいですね。