オステオスペルマムに想いを込めて ~菅野ご夫妻 定年退職後の10年物語~
2025/01/07
もともとは紫色、白色、ピンクの3色しかなかったオステオスペルマム。ところが近年、黄色やオレンジなど飛躍的に花色を増やしていることで注目されています。その一端を担っているのが神奈川県の個人育種家で、サカタのタネのOBでもある菅野政夫さんです。サカタのタネの現役時代には、カーネーションの育種開発に携わりサカタのタネのヒット商品を開発した苗のスペシャリストです。定年退職してからは、ご夫婦の長年の夢でもあった「Kanno Breeding Farm」を立ち上げて、二人三脚で育種をスタートしました。
2024年の春、菅野さんから「育種したオステオスペルマムを見に来ないか」と声を掛けていただき、育種農場を訪問しました。その時期は、ちょうど開花の最盛期。ハウス内は、まるで花畑のようで、にぎやかに咲き誇る花はどれも魅力的でした。そして、花の紹介の合間にポツポツと菅野さんが話してくれるご夫婦のエピソードがすてきですっかり引き込まれ、皆さまにご紹介したいと思いました。
政夫さんの育種への熱い思い、それを支える奥さまの雅子さん。そんなご夫妻が10年かけて開発したオステオスペルマムに込められた二人の物語をお届けします。
中学1年生のときに見た赤いダリアの花がすべての始まりだった
――退職後に育種するのが夢だったとのことですが、いきさつを教えてください。
政夫さん 花の仕事をしたいと思ったのは、中学1年生の夏休み前、悲しい出来事が一つのきっかけでした。それは梅雨末期、近所に住む同じクラスの女生徒が、連日の集中豪雨による土砂崩れによって家が流され、一家全員が亡くなるという大災害がありました。
その一家の告別式の朝に私の母と会話をしていたとき、何げなく見た庭に咲いていた真っ赤なダリアの花が、私の目に飛び込んできました。「なんてきれいな色なんだろう」と思った瞬間、全身を貫くような感動を覚えました。今まで味わったことのない強い不思議な衝撃で、今でもあのとき感覚を鮮明に覚えています。そして、とっさにこの花を彼女のためにささげたいと思いました。生まれて初めて心が揺れ動いた赤いダリアの花を5本ほど切り、新聞紙に包んで、告別式の彼女の遺影に手向けました。そのとき情景は、今でも忘れることはありません。
将来の職業をどうするか迷っているとき、告別式の朝に感動したダリアの花色のことや、泥流に流された災害現場のことをふと思い出したんです。本当に唐突に「あのとき胸を打たれたような花の仕事をしてみたい、花には人を感動させる力があるんだ」という強い思いが湧き出てきて、どうしても花の仕事がしたくてサカタのタネの入社へとつながりました。サカタのタネに入社してからもいつかは育種に携わりたいとずっと思っていました。今でも告別式の朝に目にしたダリアの美しい花色は私にとって特別で、入社後はもちろん、退職後も一貫して花を見つめる私の原点です。あの赤いダリアの花は、まさに少女のまま亡くなった女生徒そのものだったと思っています。
雅子さん 結婚する前から退職したら、育種の仕事をしたいと夫から聞いていました。私の夢もあったのですが、年を取るにつれて、これだけ好きで命を懸けてやっているのだから、こっち(夫の夢)に懸けてもいいんじゃないかと思うようになりました。
私は、イケメンとかそういうのにまったく興味がないんですよ。見た目よりも、中に燃えたぎる熱いものを持っている人が好みだったんです。夫からはそれを感じて、磨けば光るダイヤになると感じたんです。そして、自分の仕事は、この人を世の中に出すことだと決心し、バックアップに徹しました。
なので、家族で退職のお祝いをしたときに、育種のための研究資金5年分を目録として渡したんです。その資金は、今まで夫が書いた園芸に関する原稿やテレビの園芸番組の出演料をコツコツためたもの。それを退職日に渡せるように準備していました。
政夫さん 自分なりにコツコツとためてはいたんだけど、妻の強力な支援は本当に励まされたね。妻の支えがなかったら、好きなことでも挫折していたかも。
うまくいかなかったら、すっぱりやめて老後を楽しみましょうよ!
――奥さま、雅子さんの強力なバックアップを得てスタートした育種ですが、長い年月の間には紆余(うよ)曲折もあったかと思います。壁にぶつかった時期はありましたか?
政夫さん 去年、一昨年くらいに、ここまで来て何も生み出せなかったら…という不安が時々よぎりました。かなりのレベルまできているとは思うけれど、自分の見る目はこれでよかったのか、時代遅れではないだろうか、若いとき感覚と違うのではないだろうか、ここまで支援してくれた妻にも申し訳ないと自問自答することもありました。
雅子さん そういうときには、常々「大丈夫よ!これだけ情熱を持ってやっているんだもの!」と思っていました。私は、「成果がなくても、形にならなくても一切気にしなくていい」と言っているの。ただ、夫が「自分が好きなことをやれた!」という満足感を得られれば、私はなんにもいらない。いつでもやめてくれていい。もしうまくいかなかったら、そのときはもうすっぱりやめて、老後を楽しみましょうよ!ってね。
――奥さまも花色の選抜をされるのですか?
雅子さん 色の選抜は、素人だから口を出しません。「この色はどうだ?」と聞かれたら、感想は言います。私は一応、女性を代表して言っているつもりです。本人がいいと思うものを作っているから、私が言ったとしても、夫はプロなのですから、考えが簡単には変わりませんよね。でも嫌なものは嫌って言います。そうじゃないと自分の選んだ色が一番と勘違いしちゃうかもしれないでしょう?
政夫さん そうは思わないけどね。やっぱり自分も迷いますよ。迷ったときは、妻に「どうかな?」って聞いて、否定されることもあるし、「いいんじゃない?」って返ってくると、「やっぱりね!」と安心します。好みは人それぞれだから、自分がいいと思っても、全員がいいとは思わないじゃないですか。それでも多くの人に賛同されるような花色にしたいですからね。
目指したのは、花色はもちろん、お客様も農家さんも栽培しやすいオステオスペルマム
――お二人のやりとりを聞いているとお互いを支え合いながらここまで来られたのがすごく伝わってきます。オステオスペルマムの開発のきっかけとこだわった点を教えてください。
政夫さん オステオスペルマムの開花した鉢植えを4~5株もらって、自宅の庭で観察していたのがきっかけでした。自宅の庭で、店頭に並ぶオステオスペルマムの花苗を十数種類も購入してきて一緒に観察しているうちに、花色、草姿など物足りないと感じるようになりました。市場関係者などはこのままでいいって言う話をずいぶん聞いたんだよね。でも、中学生のときに花の色で感動した人間としては 「美しい花色」「たくさんの花を咲かせる」「長い期間、咲き続ける」、そんなオステオスペルマムが欲しいと思いました。だったら「自分の満足いくものを作ろう!自分がやらなかったら誰がやる?今でしょ!」ってね。そう思い、開発をスタートさせました。
育種する上で「多くの花を咲かせること」「長い期間、咲き続けること」は、欠かせません。中でも、ダリアで感動した体験があったからこそ、花色に対する思い入れはかなり強いですね。「花の命は色だ!」という考えに揺るぎはなく、私にとって妥協できない部分です。なので、今回のオステオスペルマムの花色にもかなりこだわって、10年かけて選抜を繰り返しました。
雅子さん もう一つ、農家さんが作りやすいことね!
政夫さん 育種家は、直接、お客様に苗をお届けできないからこそ、「農家さんが栽培しやすいこと」は重要です。農家さんが栽培しやすい品種というのは、草姿、開花期がそろうことが求められます。農家さんの下で苗が作りやすくて、お客様のところでも花を長く楽しんでもらえる丈夫さが必要です。これがうまくいかなければ品種として完結しないと思っています。
夫が情熱と共に10年かけて作ったオステオスペルマムは、色も形も違って素晴らしかった
――菅野さんのオステオスペルマムの移りゆく花色に心躍るものを感じました。
政夫さん オステオスペルマムの基本色は、白、紫、ピンクの3色です。黄色のオステオスペルマムを作りたくてもなかなか種が取れなくて、試行錯誤を繰り返す日々でした。3年かかってようやく黄色が出て、それが今の黄色系の品種につながっています。オレンジジェリーのきっかけになる品種を見つけたときは、心が跳ねましたね。「今までのオステオスペルマムとは違う!」と感じた瞬間でした。実生苗の開花時の段階からすぐに違いが分かりました。その開花苗を見て、「オステオスペルマムは絶対進化する!」と確信しました。この品種は、種が取れなくて本当に苦労したけど、今までの積み重ねがようやく形になってきたと実感しました。
政夫さん 実は、ベリーズパインの商品化には乗り気ではなかったんだよね。私は、正直この色合いは好きじゃなかったから。ただ、開花性はとても優れていたので、素材として維持していました。でも、流通関係者がほれ込んで「これがいい!」って言うもんだから商品化しました。妻もこの花色が好きみたいで、こっちの方が人気らしいね。
雅子さん 私は、高山植物や野道に咲いているような花が好きなので、オステオスペルマムみたいな花は、あまり好きではありませんでした。あるとき、量販店に並んでいる花を見てからうちに帰ると、夫が作った花の方が、色も形もずっときれいだということに気付いたんです。他の品種とは草姿も茎の太さも全部違うと思いました。これだけ情熱を注ぎ、10年の歳月をかけて作ったものだから、パワーがあると思うんです。手に取ってくれた人にこの情熱が伝わるといいなって思います。オステオスペルマムだけでなくて、夫が作るすべての鉢物が素晴らしい!
政夫さん それは、ほめ過ぎだな(笑)
――朗らかな印象の奥さまからは想像できないお言葉が心に刺さりました。とても献身的な奥さまですが、政夫さんに対して不満を持つことはありますか?
雅子さん 私もストレスがたまることくらいはありますよ。つい「誰のおかげでできてると思ってる?」と言ってしまうことがあるもの。家の中のことは、すべて私が担当。夫は、帰ってきてから夕飯後に本読んだり、新聞を読んだりしていて。「夕食後の食器だけ洗ってくれたら、私はお風呂に入れるのに…」という話をしたら、ここ1年は食器を洗ってくれるようになりました。
政夫さん 育種に終わりはなくて、まだまだ引退までの道のりが長い…。だから、申し訳ないって思う…。お金を欲しいとは思わないけど、食器洗いくらいはやらないとバチが当たると思って。少しでも妻の労をねぎらいたいという気持ちはものすごくありますね。花の育種は、私にとって命そのもの。使命感さえ感じています。妻のために育種を成功させて、品種登録の育成者権を妻と連名で残してあげたいと思っています。
菅野さん直伝!ご家庭でオステオスペルマムを育てるコツ
――どのくらいの日照時間が必要ですか。
政夫さん 日当たりを好みますが、1日に2~3時間、日が当たれば栽培できます。置く場所は、南や東向きが理想です。
――どのように定植したらよいですか。
政夫さん 12cmポットでお届けなので、最初は直径18cmくらいのポットや鉢に植えるのがおすすめです。秋 (9月下旬から10月くらい) になったら、直径18cmから直径24cmというように、生育に応じて大きめの鉢に順次植え替えます。植え替えは、夏場を避け、気温が10℃以上ある時期に行ってください。
――開花しているときの管理を教えてください。
政夫さん メインの開花期は3~6月ですが、切り戻さなければ他の時期もちらほら咲きます。花がらは、小まめに摘みましょう。特に切り戻す必要はないですが、気になるようなら夏場は避けて、草丈の1/2程度の高さに切り戻します。
――肥料はどうしたらよいですか。
政夫さん 粒状の緩効性肥料を株元にパラパラと施肥してください。一カ所にまとめて肥料を置くとその部分だけ肥料成分が効き過ぎて、根がやけてしまうことがあるので注意してください。 また、肥料やけしにくい性質ですが、夏場は肥料を控えるようにします。「ネイチャーエイド 有機の液肥」を週に1回程度、施すのがおすすめです。
――長く楽しむコツはありますか?
政夫さん 2年目の株は、1年目の株よりも素晴らしいパフォーマンスを見せてくれるので、ぜひ挑戦してみてください。関東以西の平たん地であれば、屋外で越冬できます。寒くなるとだんだんと地上部は枯れていきますが、切ると霜で株元まで傷んでしまうので、切り戻しはせずにそのまま越冬させます。春になり暖かくなったら(地域によるが3月上旬~下旬ごろ)株元10cm程度の高さで切り戻すと新しい芽が伸びて、まとまった草姿になり見事に花を咲かせてくれます。オステオスペルマムは低温で花芽を付けるといわれていますが、12~15℃程度でも花芽を付けるので、暖かくなってから切り戻ししても間に合います。
『園芸通信』読者に向けたメッセージ
――最後に読者の方へのメッセージがあればお願いします。
政夫さん うれしいときも悲しいときも、そこには必ず花があります。それを提供する側として、絶対にお客様の期待を裏切ってはいけないという思いが私にはあります。自分が感動した花を提供したいと思って、育種に取り組んできました。花の色で感動した人間として、「皆さまにも花の色で感動してほしい、楽しんでほしい、喜んでほしい」その思いだけです。そして、「この花がある風景の中に家族の笑顔があればなおいいな」と思っています。
――菅野さんのオステオスペルマムは、パステル調の柔らかい色彩、花弁の表と裏の絶妙な組み合わせ、花色がどんどん移り変わる楽しさがあります。また、花色だけでなく、ピンと硬い茎や蒸れにくく折れにくいように設計された草姿にも感動を覚えます。性質もとても丈夫で育てやすいので、皆さまのご自宅でもたくさん花を咲かせてくれるはずです。これからどんどん新品種が追加される予定なので楽しみにしていてください。決して短くない10年という月日。その時間を花の育種に費やしたご夫婦のお話はいかがでしたか。菅野ご夫妻の情熱を少しでも感じていただけたらうれしいです。
取材日:2024/12/13
菅野政夫
かんの・まさお
1952年山形県生まれ。1973年坂田種苗株式会社(現(株)サカタのタネ)入社後、試験場勤務20年以上、オステオスペルマムなど栄養系植物の栽培・育種に携わる。退職後に夫婦でKanno Breeding Farmを立ち上げカーネーションとオステオスペルマムの育種を開始。神奈川県立相模原公園副園長、同サカタのタネグリーンハウス館長を歴任。