日本で最もサクラが密集している地域はどこでしょうか?
その答えとしてまず思い浮かぶのは、古くから「一目千本(ひとめせんぼん)」の名で親しまれてきた、奈良県の吉野山ではないでしょうか。
下千本・中千本・上千本・奥千本――これらを合わせると、およそ4千本。いえ、吉野山全体では合計3万本ものサクラがあるといわれています。

吉野山を持つ「大峯(おおみね)山脈」は、温暖な紀伊半島の背骨となる山塊です。この地域はもともと、ヤマザクラが生育する条件がそろった、いわば「サクラの楽園」です。
しかし、吉野山にこれほどの景観が生まれた背景には、自然条件のほかにも理由があります。

大峯山脈は、修験道の霊場として語られるときには「大峯山系」とも呼ばれ、古くから吉野山と深い結びつきを持ってきました。
飛鳥時代、呪術者であり修験道の開祖とされる「役行者(えんのぎょうじゃ)」は、吉野から連なるこの霊山で厳しい修行を重ね、深い瞑想(めいそう)のうちに神仏の姿と真理を心に感得したと伝えられています。その役行者たちは、神仏の姿をサクラの木に刻んで現しました。
それ以来、千年以上にわたり、吉野山ではサクラを神仏への奉納として植える「献木(けんぼく)」が宗教的な営みとして受け継がれ、多くの人々の祈りとともにサクラが植えられてきたのです。

寒い冬に耐えて春に輝くサクラの一瞬の煌(きら)めき、そして散り際のはかない美しさ。その姿は、山に神が宿り、内なる煩悩を砕き、超自然的力で、災いをはらおうとする修験道的世界観と重なるように思います。
吉野山は、短命なサクラの花を通して、永遠ではない命の無常を示しているようにも感じます。

紀伊山地は、豊富な雨量に恵まれ、スギなどの針葉樹と常緑広葉樹が広がる山地です。その林冠のすき間や谷あい、尾根筋、急斜面など、木々が途切れて光が差し込む場所(ギャップ、gap)には、ヤマザクラが豊かに生育し、エドヒガンやその雑種も共に暮らしています。こうして、吉野山の森は、長い時間をかけて高い遺伝的多様性を育んできました。
やがて人の手が加わり、園芸種であるサトザクラが植えられるようになります。現在の吉野山のサクラは、野生種・園芸種・それらの交雑種が混然一体となり、いわば雑種群(hybrid swarm)を形成しています。
「ヨシノザクラ」とは、ヤマザクラを中心に、自然と人の営みが織りなしてきた独自のサクラ集団であり、吉野山はまさに、新たなサクラへの“進化の実験場”ともいえるのです。

さて、ヤマザクラ複合体に起源を持ち、日本のサクラを語る上で決定的な役割を担ったサクラが、日本のある島に存在します。
それは、新生代・第四紀・更新世――氷期と間氷期が繰り返され、マンモスが生きていた時代に、海底300〜400mから噴き上がった火山の頂として誕生した伊豆大島です。

伊豆大島は典型的な火山島であり、近年に至るまで噴火を繰り返してきた標高758mの三原山によって形づくられました。
島が誕生した当初は、溶岩と火山灰に覆われ、生命のかけらもない世界だったと考えられています。しかし、やがてコケ(苔)が生え、シダが根づき、草木が種子から芽生え、草原から森林へと姿を変えていきました。その過程は、現在でも島の生態系を観察することで手に取るように理解できます。
そしてこの火山島に、いつしか鳥がヤマザクラ複合体の種子を運び込み、芽生え、広がっていったのでしょう。

サクラにとって、火山島で生きることは想像以上に過酷です。吹きつける潮風、強烈な日差し、花粉を運ぶ昆虫や鳥の少なさ――。 弱い個体は淘汰(とうた)され、強いサクラだけが生き残れる環境でした。
潮風に耐えるため、葉のクチクラ層を厚くして環境への耐性を高めること。昆虫が少ないため、花を大きくし、香りを強くして自己アピール力を高め、受粉の機会を得ようとすること。そうしなければ子孫を残せないという、強い選択圧が働いたのです。
事実、伊豆大島に生息するタメトモユリ(ヤマユリの変種)は、世界最大のユリとして知られ、島の選択圧の強さを象徴しています。さらに、度重なる噴火はサクラたちを何度も焼き尽くし、 滅んでは生まれ、滅んでは生まれを繰り返してきました。
その過酷な身の上を背負っているのが、オオシマザクラです。

オオシマザクラ
オオシマザクラPrunus speciosa(プルヌス スペシオーサ)バラ科サクラ属。種形容語のspeciosaは、ラテン語の「speciosus」に由来し、「美しい」「華やかな」「見事な」 を意味します。
この命名者は、日本の植物分類学の基礎を築き、サクラ研究の第一人者である小泉源一氏です。小泉氏は植物を深く愛し、若いころには牧野富太郎氏のもとへ自ら弟子入りを願い出たという、謙虚で温かな人柄の研究者として伝えられています。
きっと彼は、オオシマザクラの花の大きさと美しさに感動したのでしょう。その感情を込め、最上級の褒め言葉として「speciosa」の名を与えたのだと思います。

現在、伊豆大島の泉津地区には、推定樹齢800年以上とされるオオシマザクラの古木が、国の天然記念物として保存されています。かつては大島近海を航行する船からもその姿が見えたと伝えられるほどの巨木でしたが、主幹はすでに枯れ、現在は倒れた枝が地面に根を張った「ひこばえ(孫生え)」が生き残っています。
この古木がすべてのオオシマザクラの原木であるとは考えられませんが、 白く統一感のあるオオシマザクラの中から、同じ形質を持つごく少数の個体が、噴火を生き延び、現在のオオシマザクラとして成立したと考えるのが自然です。
次回は、『サクラの旅路[その7]オオシマザクラとオオヤマザクラ』です。名前が似ているので言い間違えたり、書き間違えたりしやすいのですが、実は異なる旅路を歩んできたサクラです。この二つのサクラの不思議な縁についても語りたいと思います。お楽しみに。