大陸に起源をもつサクラは、日本の気候風土の中で、より“サクラらしさ”を磨きながら、美しい花を咲かせるサクラたちへと進化していきました。
中でも、樹勢が強い、強い香りを持ち大きな花を付けるという特徴を持つオオシマザクラは、日本のサトザクラ群という園芸品種の親として、なくてはならない存在です。これは「オオシマザクラなくして日本のサクラ文化をは語れない」と言っても過言ではありません。
このオオシマザクラの大輪性に深く関わっているのではないかと思われるのが、オオヤマザクラです。

津軽海峡から眺めると、函館山がかつて島だったことが分かります。山頂から市内方面を見下ろすと、その中心部は砂州で形成された地形であることが一望できます。
岬からは、津軽海峡を行き交う船の姿が広く見渡せます。明治期から戦後にかけて、本格的な軍事要塞として利用され、それゆえに人の入山が制限されていました。そのため、手つかずの自然が多く残り、豊かな植生が守られてきた山でもあります。
5月にこの山に登り、森の中に赤い花を咲かせるサクラを見つけました。

オオヤマザクラ
オオヤマザクラPrunus sargentii(プルヌス サージェンティー)バラ科サクラ属。種形容語のsargentiiとは、アメリカの植物学者チャールズ・スプレイグ・サージェント(Charles Sprague Sargent、1841~1927)にちなみます。
サージェント氏は、ハーバード大学のアーノルド樹木園の初代園長を務め、訪日した際に石狩の原生林でオオヤマザクラの巨木に出会い、その種子を持ち帰ったと伝えられています。学名の命名者はサージェントを師と仰ぐ、樹木学者アルフレッド・レーダー(Alfred Rehder、1863~1949)でした。

オオヤマザクラは、ヤマザクラと同じように、開花とほぼ同時に葉が展開します。
その起源は、中国の秦嶺(しんれい)山脈などに分布していたシナヤマザクラPrunus serrulata(プルヌス セルラータ)複合群にあると考えられています。しかし、このオオヤマザクラは生育に適した大陸の暖かく湿ったモンスーンと手を切り、東へ向かうメインストリートから外れ、北進しました。
そして、ロシア沿海州から樺太(からふと)――、北緯50度付近にまで旅を続け、厳寒の地でも咲く、まるで「北国の女王」となったサクラなのです。

オオヤマザクラは、中国の遼寧(りょうねい)省、吉林(きつりん)省、黒竜江省、ロシア沿海州から樺太、さらに朝鮮半島中北部に分布するサクラで、日本のサクラとしては珍しく、大陸と共通の分布域を持つサクラです。
日本は氷河期に大陸と陸続きだった時期があり、そのときにオオヤマザクラは樺太から南へ分布を拡大し、北海道、さらに本州へと南下したのです。
やがて、気候が温暖化すると北に押し返されましたが、本州などでは標高の高い地域に遺存分布として残り、北海道などの寒冷地は現在もなお、普通に生息しています。

オオヤマザクラは、シナヤマザクラやヤマザクラと形質がよく似ていますが、次のような特徴から独立した「種(しゅ)」として認められています。
1.温暖な気候を好むヤマザクラと異なり、オオヤマザクラは寒冷な気候に適応し、日本の中でもヤマザクラと住み分けていること
2.オオヤマザクラは、花の大きさが3~4.5cmになり、ヤマザクラに比べると花が一回りほど大きいこと
3.花弁が赤みを帯びていること
こうした点をもって、オオヤマザクラは独自の旅路を歩んだサクラとして、区別されているのです。

上の写真のオオヤマザクラも、自家不和合で実生によって後代を維持することから、個体ごとに形質に多様性があります。私が観察した株には、花被に細かな毛があり、がく片が微妙にギザギザし、右上の写真のように子房や柱頭に毛が生えていました。
これらの特徴は、寒冷な気候に適応するための道具であり、花被を食害する昆虫から身を守る手段なのだと思います。それにしても、私はどうもこのがく片のギザギザが気になります。

オオシマザクラ
上の写真はオオシマザクラ(Prunus speciosa)の花、下の写真はそのがく片に見られる鋸歯(きょし)を示したものです。

オオシマザクラは、花弁の大きさが3.5~4.5cmと、どのサクラよりも大輪なこと、開花の終わりに中心部が赤く染まること。そして一番の区別点は、がく片に明瞭な鋸歯があることなのです。そしてオオヤマザクラにも、花被に毛のある個体が見られます。

半八重咲きのオオヤマザクラ
こちらは、オオヤマザクラの花の中から見つけた半八重咲きの個体です。雄しべが花弁に変化して、このような形状になったものです。
もう一度、一つ前のオオシマザクラの写真に戻って観察してみると、オオシマザクラにもそのような形質が見られることが分かります。

オオヤマザクラ
北海道でオオシマザクラの観察をしていると、どうしても、このサクラと伊豆大島で見たオオシマザクラとの間にある因果関係が気になります。
オオヤマザクラは、温暖なモンスーンの影響から抜けだし、さらに寒冷な大陸東北部の凍える気候へと進んだサクラです。そこで、ベルクマンの法則(Bergmann’s Rule)によって、寒さに対応して花も大きくなりました。このオオヤマザクラは、他のサクラとは違う旅路を辿り、北回りで日本列島へたどり着いたのです。そして、氷河期には南下し、九州にもその痕跡を残しています。
北国の女王となったオオヤマザクラと、大陸から旅をして日本にすみかを見つけたヤマザクラ複合体。この二つのサクラは、列島のどこかで出会い、その子孫が伊豆大島に根を生やしたのではないか――私はそう考えました。

オオシマザクラ
オオシマザクラの樹勢の強さ、生育の早さは、南方のルーツを持つヤマザクラ複合体と、“北の女王”になったオオヤマザクラとの“雑種強勢”の賜物ではないでしょうか。
さらに、オオシマザクラが持つ大輪の花は、オオヤマザクラが素材になっていると考えることができます。
オオシマザクラの開花の終わりに中心部が赤くなること、がく片に明瞭な鋸歯、花被の毛を持つ個体が存在すること、そして、多弁化の因子を持つこと――。これらの特徴を勘案するならば、私のこの仮説も、まんざら否定できるものではないように思うのです。
オオヤマザクラとオオシマザクラは、名前が似ているだけでなく、どこか不思議な縁で結ばれているように思えてなりません。
次回、『サクラの旅路[その8]』では、エドヒガンザクラについての考察です。どうぞお楽しみに。