ヤマザクラの仲間は、花と葉がほぼ同時に展開するサクラでした。一方で、サクラの中には、葉が展開よりも先に花が咲く種類があることは、皆さんもよくご存じだと思います。このような性質を「先花性(せんかせい)」といいます。
では、この先花性という性質は、なぜ、どのような理由で備わったのでしょうか?その背景を探ってみたいと思います。

陽樹であり、亜熱帯に起源をもつサクラのご先祖さまたちは、常緑樹の木々に邪魔されない明るい場所を求めて生きてきました。沢筋や山の斜面、崖崩れなどの崩壊地ーーそうした開けた環境をたどりながら、徐々に山を登っていきました。そして、ついには森林限界付近に近い場所まで到達しました。
サクラの中には、こうして山岳環境に適応していった「山地性」の一群があります。厳しい山の気候の中、耐寒性を獲得したサクラたちは、やがて北方の低地へと生息域を広げていく可能性を手に入れたのです。

チベット自治区のような標高が高い山では、春や夏が極端に短くなります。もし、葉を展開してから花を咲かせていたら繁殖のための絶好の機会を逃すことになります。また、谷あいや山の斜面では日照時間が短いので、葉が先に展開すると花が影になりやすくなります。そうなると花の温度が十分に上がらず、受粉がうまく進まない不利も生じます。
このような環境では、葉が出るよりも先に花を咲かせる「先花性」という性質が、極めて有利だと考えられます。

ソメイヨシノ
多花性で大輪の花を付け、葉よりも先に花が咲く。そうした開花性を持つソメイヨシノこそ、日本のサクラを代表するにふさわしい品種といえるでしょう。
この開花性は、山地性サクラの大きな特徴の一つです。ソメイヨシノの華やかな花姿には、山地性サクラの血脈が、確かに受け継がれているのです。

エドヒガンザクラ
エドヒガンザクラPrunus spachiana(プルヌス スパキアナ)バラ科サクラ属。エドヒガンザクラの学名を辞典やウェブで調べると、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz von Siebold、1796~1866)が命名したPrunus pendulaや、日本で命名されたCerasus itosakuraなど複数の学名が示され、もう訳が分かりません。
Prunus pendula(下垂性の意)とCerasus itosakura(糸桜の意)は、いずれもシダレザクラのその樹形に着目して付けられた学名です。
現在では、シダレザクラはエドヒガンザクラの「枝垂(しだ)れ性」という形質を持つ変種であることが分かっています。そう考えると、これらの学名をエドヒガンザクラ全体に当てることが、本当に適正なのかが気になります。そのため、私自身の分類哲学において、エドヒガンザクラの学名はPrunus spachiana(プルヌス スパキアナ)を採用することにしました。

エドヒガンザクラの種形容語であるspachianaについて解説します。
19世紀、日本に来たシーボルトたちによって、ヨーロッパには大量のサクラの標本が送られました。それらの標本を元に、ヨーロッパのドイツやフランスの学者がバラ科植物の分類研究を進め、理解を深めていきました。このspachianaという名は、バラ科の分類学に大きく貢献したフランス植物学者エドゥアール・スパック(Edouard Spach、1801~1879)にささげられたものです。

エドヒガンザクラは、山地性のサクラが持つ「先花性」の性質を持つサクラです。日本の野生のサクラの中で、一番早く咲くのがカンヒザクラ系ですが、その次に早いのがエドヒガンザクラです。
エドヒガンザクラは、よく知られているソメイヨシノよりも5~7日ほど早く開花し、日本で最も多く生息しているヤマザクラと比べると、1~2週間も早く咲きます。

左はソメイヨシノの花で、花径は3~4cmあります。それに対して、エドヒガンザクラの花径は2~3cm。個体にもよりますが、ひと回りほど小柄です。
花の大きさこそ控えめですが、その花色はとても上品で端麗な容姿をしています。

エドヒガンザクラは、さまざまな意味で特異なサクラです。短命とされるサクラの中にあって、例外的にとても長生きで、悠久の時を生きるサクラとして知られています。
サクラは沢筋や谷、川岸といった水分・養分に恵まれた場所を好むのですが、そのような環境は、成長の早いヤマザクラに占められてしまいます。そこで、エドヒガンザクラが生息地に選んだのは、乾燥した尾根筋や土壌が乏しい山斜面などといった、より厳しい環境でした。
そこでは、水分や栄養が限られています。そのため成長が遅くなり、結果として材が堅く、ち密になります。ち密な木材は傷つきにくく、木材腐朽菌などにも強くなるため、エドヒガンザクラの長寿へつながっているのだと考えられます。
さらに、あの光沢があって横じまが目立つサクラの樹皮とは異なり、エドヒガンザクラの樹皮が縦に裂けることも、他のサクラと区別する特徴です。

とても端正で優雅な花姿のエドヒガンザクラですが、ぜひ花のがく片とがく筒(とう)を観察してみてください。
がく片が細くすぼみ、その下がつぼ状に膨らんでいることが上の写真から確認できると思います。この独特な形状こそが、エドヒガンザクラを他のサクラと見分けるための大きな特徴の一つなのです。

もう少し踏み込んで説明すると、日本のサクラの中でエドヒガンザクラは、花柄(かへい)や花柱(かちゅう)に最も多くの毛を持つサクラです。こうした柔毛(じゅうもう)は、山岳気候の急な冷え込みから花被(かひ)を保護するために機能していると考えられます。この特徴もエドヒガンザクラの起源が山地性のサクラだということを物語っているのでした。
さまざまな興味深い特徴を持つエドヒガンザクラについて、次回も引き続き考察していきます。お楽しみに。