東アジア植物記 サクラの旅路[その10]サクラの交雑進化

サクラたちは、出会いと別れを繰り返しながら、長い旅を続けてきました。

サクラの花は、雄しべと雌しべが共に成熟する「雌雄同熟」という構造です。そのため自分の花粉も雌しべに付くので、自家受粉しそうに思えます。ところが、サクラの雌しべは自分と同じ遺伝子型の花粉を識別して花粉管の伸長を止めます。花の構造的には自家受粉できそうなのに、自分の花粉が遺伝子レベルで拒否されるのです。

この仕組みは、少し難しい言葉で「配偶体型自家不和合性(Gametophytic Self‑Incompatibility、ガメトフィティック セルフ インコンパティビリティー)」といいます。この不和合性の仕組みによって、異なるサクラの花粉が柱頭(ちゅうとう)に付いたときにのみ花粉が発芽し、受精へと進めます。

吉野山

つまりサクラとは、自然界で互いに混ざり合う性質を持った樹種なのです。

上の写真は、ヤマザクラの聖地として知られる奈良県の吉野山です。この大峰山地にはエドヒガンザクラも自然分布していることが分かっています。サクラが自然と混ざり合う性質なら、ヤマザクラとエドヒガンザクラの雑種が存在しても不思議ではありません。ところが、そのような雑種は、めったにないのです。

なぜかというとエドヒガンザクラの開花が早く、ヤマザクラの開花が遅いという、開花の時期の違いがあるからです。これを専門用語で「時間的隔離(temporal isolation)」といい、この現象がヤマザクラとエドヒガンザクラの間に存在するのです。もし、この時間的隔離がなければ、この山地でヤマザクラとエドヒガンザクラの交雑が進み、エドヒガンザクラは雑種となって存在がなくなってしまいます。

上の写真は、ヤマザクラとオオヤマザクラです。このサクラは、ヤマザクラが暖地の低山を主な生息地とするのに対し、オオヤマザクラは寒地の低地や高い山に生えることから通常混ざり合わないのです。それを「地理的隔離(geographical isolation)」と呼びます。​

さらに、生息する環境の違いによって、交雑が起こりにくくなる「生態的隔離(ecological isolation)」と呼ばれる現象もあります。​

いくらサクラが自由に交雑する樹種だとしても、種(しゅ)と種の間にはさまざまな自然の障壁があるのです。人間の恋愛がいくつもの障害を乗り越えてゴールするように、サクラたちも、自然の障壁を乗り越え、縁を結びながら長い旅を歩み続けてきたのです。​

ソメイヨシノ

ソメイヨシノPrunus×yedoensis(プルヌス エドエンシス)バラ科サクラ属。種形容語のyedoensisは、江戸を意味していて、学名中の「×」は、交雑によって生まれた種ということを示しています。

花は大輪で薄いピンク色。葉が展開するより先に花が咲く「先花性」で、1本の花枝からでも、実にたくさんの花を咲かせます。人々がまるで花に包まれているかのように感じられるのです。

ソメイヨシノは、日本に待ちわびた春を運ぶ女神のような存在。ソメイヨシノの咲かない春は考えられません。

サクラたちは、さまざまな隔離や障壁があってもそれを乗り越えようとします。たとえばエドヒガンザクラが早く咲く年であっても偶然に寒の戻りがあれば、開花期がずれ、他のサクラと花の時期が重なることもあります。また、地理的な隔離も空を自在に飛ぶ鳥たちの介在があれば話は別です。

そうして生まれたのが、優しくしなやかな美しさを持つ「先花性」のエドヒガンザクラを母親に、花が大きなオオシマザクラを父親に持つ自然雑種ーーすなわち、ソメイヨシノだと考えられています。

その産地は、伊豆半島か富士南麓の可能性が高いと想定されています。その実生の中に、 花が大きく、成長が早く、観賞価値の高い個体が現れたのです。

ソメイヨシノのがく片を観察してみると、そこにはオオシマザクラに由来すると考えられる鋸歯(きょし)がありました。

ソメイヨシノは、江戸にあった染井村の植木職人が作ったという物語がよく語られますが、今より昔、江戸時代に計画的な樹木育種プログラムが存在していたと想定するのは現実的ではありません。それよりも、自然交雑で偶然生まれた一個体を、植木屋が見いだし、挿し木や接ぎ木によって増殖・流通・販売したーーそのほうが、真実に近いことなのだと思います。

カワヅザクラ

カワヅザクラPrunus×kanzakura(プルヌス カワヅ)バラ科サクラ属。種形容語のkanzakuraは、静岡県の伊豆加茂郡河津町を意味します。カワヅザクラは、地元の人が河津川沿いの雑草の中で偶然発見した自然交雑種です。

このサクラは自然交雑によって生まれましたが、わずかな人の介在がなければ誕生し得なかった雑種でもあります。

人の介在という理由は、カワヅザクラの母親がカンヒザクラだと考えられているからです。2月に咲くほど超早咲きのカワヅザクラの性質は、亜熱帯起源のサクラであるカンヒザクラの因子以外に説明が付かないと思います。

カンヒザクラの自然自生地は沖縄ですが、恐らく伊豆半島のどこかに園芸用としてカンヒザクラが植えられていたのでしょう。

通常、オオシマザクラはカンヒザクラに比べて開花時期が遅いのですが、伊豆大島では暖流の影響を受けて早咲きになります。

そんな伊豆大島では、早く咲くオオシマザクラの個体があります。オオシマザクラは、蜜が多く、強い香りを出し、花粉媒介者へアピールします。そこにサクラの蜜を好むメジロなどの鳥が訪れます。伊豆大島と伊豆半島の距離は、翼を持つ鳥にとって大して遠いものではありません。

こうして自然の力と人の営みが重なり合った末に誕生したのがカワヅザクラです。

カワヅザクラ

ソメイヨシノとカワヅザクラは、日本の風土と、サクラを愛する日本人が深く関わって生まれたサクラの2大スターだと思います。

改めてカワヅザクラのがく片を観察してみましたが、そこにもオオシマザクラの鋸歯がギザギザと明瞭に刻まれていました。

これは富山植物園で観察した、ウンナンザクラ(Prunus yunnanensis)とソメイヨシノPrunus×yedoensisの交雑個体です。

やや枝垂(しだ)れ性で花枝に花が少ない原種のウンナンザクラに対し、ソメイヨシノを交配すると、枝が横に広がり、枝一面に花を付けるようになりました。

本来、時間的隔離、環境的隔離、地域的隔離を人が介在することによって、サクラたちは隔離を乗り越え姿を変えてゆきます。その積み重ねから、サトザクラと呼ばれる園芸品種群がたくさん生まれてきました。

一般に、種と種の間には「遺伝的隔離(genetic isolation)」があってその交配は困難な場合が多いものです。ところが、サクラたちは染色体数が共通なので受精が成立しやすいという性質を持っています。そして、成立した胚を大切に育てる術を持っています。

サクラたちは、自然に縁を結びながら、ときには人を介しても進化し続けていく植物なのでした。

次回は、『サクラの旅路[その11]山岳系サクラ群 タカネザクラ』です。お楽しみに。

小杉 波留夫

小杉 波留夫

こすぎ はるお

サカタのタネ花統括部において、「虹色スミレ」「よく咲くスミレ」「サンパチェンス」などの市場開発を行い、変化する消費者ニーズに適合した花のビジネスを積極的に取り組む。定年退職後は、学校の先生に対する園芸指導や講演活動をしながら、日本家庭園芸普及協会の専門技術員として、自ら開発した「たねダンゴ」の普及活動などを行っている。
生来の「花好き」「植物好き」である著者は、東アジアに生息する植物の研究を楽しみに、植物の魅力を発信中。

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