枝を覆い尽くすように、華やかに咲き誇り、人々を魅了するサクラがある一方で、日本の山々には、早春の静けさの中で、そっと花を開くサクラもあります。
その一つが、チョウジザクラです。
サクラが“サクラらしさ”を獲得する以前――その面影をどこかに残す、「原始的な形態を今に伝えるサクラ」がチョウジザクラであると、私は感じています。

チョウジザクラ
チョウジザクラPrunus apetala(プルヌス アペタラ)バラ科サクラ属。チョウジザクラは、日本の山地に生息する野生のサクラです。長めの花筒を持つ小さな花を、やや下向きに咲かせます。
暖地の平地では見かけず、その生育地は、日当たりのよい山地の岩場や沢沿い、石灰岩地などに限られます。そのため、開花期に探さないと見られないサクラです。

上の写真は、チョウジザクラの花です。花は小さく、細長い形状をしています。この姿が香辛料として知られるクローブ――和名で「丁子(ちょうじ)」に似ていることから「丁子桜」と呼ばれています。花の大きさは直径およそ2.5cm、長さは3cmほどで花柄(かへい)やがく片に細かな繊毛が確認できます。
多くのサクラは、短い花枝により多くの花を付けるように進化してきましたが、チョウジザクラは原始的な形状を維持していて、短枝に2花を並んで付けることが大きな特徴です。

チョウジザクラの学名に含まれる種形容語apetalaについての解説です。
ラテン語のapetalaは、「a(無)」と「petalon(花弁)」から成る語で、「花弁を欠く」ことを現す用語です。しかし、このサクラには、小さいながらも確かに花弁があります。したがって、このapetalaという命名は、実態と矛盾していることになります。
この学名の命名者は、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz von Siebold、1796~1866)とヨーゼフ・ゲアハルト・フォン・ツッカリーニ(Joseph Gerhard von Zuccarini、1797~1848)です。

シーボルトは長崎県の出島を拠点としていたので、日本各地を自由に植物調査できない身の上でしたし、ツッカリーニは来日したことがありませんでした。そのため、チョウジザクラの標本が不完全な状態のものだったと考えられます。
チョウジザクラは、花弁が落ちやすい性質を持つことから、花弁が落ちた状態などの標本をもとに学名が付けられた可能性が否定できません。そして、矛盾した学名が生まれたのだと、私は考えています。

チョウジザクラの生育環境は、山地の中腹に見られる風衝(ふうしょう)地やガレ場など、土壌が浅く崩れやすい、乾燥した不安定な土地です。こうした環境で生きるため、チョウジザクラは大木にはならず、樹高5~6mといった、やや低めの樹形にとどまります。
また、チョウジザクラは先花性でなく、葉は開花とほぼ同時期に展開します。若葉では目立ちませんが、成長した葉は独特な形になります。

チョウジザクラの葉は、全体として倒卵形を呈します。葉縁には深い欠刻状の鋸歯(きょし)が並び、大きいものでは長さ約10cm、幅約5cmに達します。中でも特徴的なのは、葉先が尾状に細く伸び、約2cmの尾状突起(尾状鋭尖頭)を形成する点です。このような葉形は、日本のサクラの中ではチョウジザクラだけが示す特有のものです。
こうした葉の形状は、中国の横断山脈に生息する、尖尾桜桃Prunus caudata(プルヌス カウダータ)バラ科サクラ属に類似しています。さらに、この両種はDNAの比較においても強い類似性を示すといいます。

この特徴的な葉の形状を持つサクラは、中国の横断山脈と日本の山地にのみ知られており、他の地域では確認されていません。
サクラの起源が横断山脈にあるという考えは、有力な仮説です。その遺伝子の連なりが、直線距離にして3000km以上も離れた日本列島に見いだされるという事実は、サクラの旅路を考えるうえで、大きな示唆を与えてくれます。

最終氷期(直前の氷河期)最盛期には、大量の海水が南極や北極に固定され、海面は今の水準に比較して100~130mも低下したとされています。こうした古地理学(paleogeography)の知見を踏まえると、横断山脈と日本列島の山岳地帯がつながりました。当時は大陸と台湾が陸続きで、台湾から南西諸島にかけても、深い海溝を除けば多くの島々が山地で連なり、日本列島へと続いていました。この地形が、いわゆる「東シナ海山岳回廊」です。
最終氷期は、およそ6万年も続きました。その間に比較的温暖な時期と寒冷な時期が繰り返されたはずです。こうした時の中でこの回廊を渡った動植物があったはずです。横断山脈の高山に生育していた原始的なサクラの一群も、最も寒冷な時期にこの東シナ海山岳回廊を経て、日本列島へ到着し、日本の山岳サクラ群の礎となったに違いないーー私はそう捉えています。その後、これらのサクラは日本の地理と気候の中で保存されましたが、横断山脈以外の地域では絶滅したのでしょう。
こうしてみると、隔絶した両地域にのみ原始的なサクラが分布している理由だと考えられます。この「東シナ海山岳回廊」こそが、山岳系サクラ群がたどった道ではないのかと私は考えています。

オクチョウジザクラ
チョウジザクラは、岩手県以南の太平洋側にある山地に生息するサクラです。その中から、環境の違いに適応して日本海側に生息するようになった一群があります。
それが、上の写真のオクチョウジザクラPrunus apetala var. pilosa(プルヌス アペタラ バラエティー ピローサ)バラ科サクラ属です。

オクチョウジザクラの変種名のpilosaとは「毛が多い」「毛深い」ことを表します。チョウジザクラも繊毛が見られますが、オクチョウジザクラの毛深さは観察すると違いがよく分かります。
この変種は、日本海側の積雪環境に適応した結果、花被が一回り大きくなり、さらに保温効果を高めるために、毛深くなったと考えられます。また、春早く開花するのではなく、雪解けの遅い環境に合わせて、開花時期もやや遅れる傾向を示します。

チョウジザクラの花は、サクラ類の中で異質な存在です。それは、ミツバチの少ない山岳環境に適応して獲得された形質に違いありません。下向きに咲く、長い花筒の中は、意外にも雨をしのぎ、暖かい空間なのかも知れません。
こうしたチョウジザクラの花が、どのような昆虫に対応しているのか観察したことがあります。次回は、『山岳系サクラ群ーマメザクラ』のお話です。お楽しみに。